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雑記(一〇)

 二月二十八日の昼頃、陸相官邸の一室の空気は、栗原安秀の発言によって一変した。

 村中孝次の手記によると、栗原は泣きながら言った。「今一度統帥系統を経て、陛下の御命令を仰ぎ、一同、大元帥陛下の御命令に服従致しませう、若し死を賜るならば、侍従武官の御差遣を願ひ、将校は立派に屠腹して下士官兵の御宥しを御願ひ致しませう」。この涙ながらの提案に、「一同感動せらるること深く余等これに同意す」。そして、その後やって来た師団長の堀丈夫、歩兵第一連隊長の小藤恵に、栗原の口からふたたびこれと「同一の意見」を伝えることになった。つまり、栗原の言った通り、天皇の意向をうかがおうということ、そして天皇に死ねと言われたら、将校たちは自決しようということ、この二点が方針として合意されたことになり、その内容が鎮圧側に伝達されてしまったのである。

 しかし、ここで「一同」は、栗原発言の何に「感動」させられたのだろうか。この栗原の意見に「同意」することになったのも、その「感動」の結果のように見えるのだが、それは一体、どういうことなのか。村中の記述では、どうもそのあたり、この書き方では、はっきりしない。

 実際、村中はこの直後に「事重大にして将校一同に相談して了解せしむる必要ありと思ひ、香田大尉と図り将校全員至急に参集を乞へり」と書いている。その場では流れが決まってしまったものの、やはりこれは将校全体の了解が必要だと思いなおして、集合をかけているのである。自分自身、栗原の意見を受け容れたことが重大なことであったと、後から気づいたのであり、それは要するに、栗原の発言によってもたらされた「感動」の正体が、そのときはまだ、はっきりつかめてはいなかったということであろう。ようやく、酔いがさめてきたような感じである。

 ただし、村中よりも早く、栗原発言への違和感を自覚していた者がいる。磯部浅一である。磯部の手記には、同じ場面のことがこう書かれている。「栗原が「統帥系統を通じてもう一度御上に御伺ひ申し上げようではないか。奉勅命令が出るとか出ないとか云ふが、一向にわけがわからん、御伺ひ申し上げた上で我々の進退を決しよう。若し死を賜ると云ふことにでもなれば、将校だけは自決しよう。自決する時には勅使の御差遣位ひをあおぐ様にでもなれば幸せではないか」との意見を出す。余が一寸理解し兼ねて質問を発しようとした時、山口氏が突然大声をあげて泣きつつ、「栗原、貴様はえらい」と云ひて栗原のかたわらに至り、相擁す。栗原も泣く、香田も泣く」。

 磯部は、疑問を感じたのに、山口一太郎がいきなり声をあげて栗原へ近づき、抱きあったために、質問する機会を逸してしまったというのである。村中の手記では、栗原は発言しながらすでに泣いていたことになっているが、それはともかく、栗原も香田も涙を流す様子を前にした磯部は、質問を断念してしまう。「統帥系統を通じて(小藤―堀―香椎)御上に吾人の真精神を奏上し、御伺ひをすると云ふ方針は、此の際極めて当を得たるものなることを感じたので、余は「ヨカロウ、それで進まう」と云ふ」。

 この展開は、切なくもあり、おかしくもあり、怖ろしくもある。「一寸理解し兼ねて質問を発しよう」としていたはずの磯部が、感動して泣き、抱きあう一同の様子に流されるようにして、承諾を口にしてしまうのである。

 磯部はその後、気をとりなおして、何とか自決の方針へ向かう流れを止めようと、仲間たちに働きかけている。まっさきに声をあげて栗原を称えた山口に「上表文に何と書くのです、死を賜りたい等と書いたりしたら大変ですよ」と言い、山口が少し考えてから「吾々は陛下の御命令に服従します」と書いたのを見て、「どうも余の考へと少しく相違する」と思う。村中が、同志たちが集合した席で「自決せねばならなくなるかもしれん、自決しよう」と言うと、それへ「余は「俺はイヤダ」と吐き棄てる様に答へる」。さらに香田、村中、栗原の三名を小部屋に連れて行き、「一体、ほんとに自決するのか、そんな馬鹿な話はないではないか、俺が栗原の意見にサンセイしたのは、自決すると云ふ所ではない、統帥系統を通じて御上に吾人の真精神を申上ぐべく御伺ひすると云ふ所だ。山下、鈴木、山口共に感ちがひをしてゐるのではないか」と言って、自決する理由などないことを説いている。

 しかし、流れは変えられなかった。磯部は手記のこの部分に「註」を付して、当時の事情をまとめている。すなわち、二十八日の午前に磯部が戒厳司令部に行っている間に、村中、香田、対馬勝雄は、第一師団司令部で堀から奉勅命令は下達されていないと明言されたこと。堀の発言は午前八時の勅命実施が延期されたためで、後に午前十時からの実施が確定したために山下、鈴木貞一、満井佐吉らが退去を勧告して来たということ。その事情を知らなかった磯部たちは「唯何だか奉勅命令でオドカサレてゐる様にばかり考へた」ということ。堀は、十時からの勅命実施を知って驚いて、磯部たちのところへ来たということ。

 その「註」の最後に、磯部は書く。「鈴木、山下、堀、小藤各官が交々退去を勧告するので、止むなく退去、或ひは自決を覚悟する。余は吾々をこの羽目におし落した不純幕僚に対し、冲天の怒りをおぼえた。悲憤の余り、別室に入りて天地も裂けよと号泣する」。磯部は、なおも死を望まなかった。そして、死を受け容れようとする同志の様子に、とてもついていけなかった。この差は大きい。

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