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「それ」がある時とない時 ~わたしの場合~

お酒のストック

お酒を飲んでいた頃の話。

ストックがある時

部屋にボトルが並んでいると、飲む量が少ない傾向にあった気がする。

ストックがない時

部屋にお酒がないと、夜でもコンビニに買いに出ようとしていた。
妻に「もうやめときな!」と、よく怒られていた。

店頭のガンプラのストック

ストックがある時

店頭に豊富にガンプラが並んでいた頃は、年に1つか2つ買えればよかった。

ストックがない時

店頭に豊富にあった時には気にならなかったキットが、なぜか輝いて見えるようになった。

この機を逃すまいと、少しでも興味が湧けば手を出すようになった。

今や、積みプラが増えつつある。

「それ」がある時と、ない時に共通する心理

「それ」がある時は安心するのか、あまり手を出そうという気にはならない。
しかし「それ」がないとなると不安になるのか、すぐにでも手に入れたくなってしまう。

紙で書籍を購入していた時もそうだったかも知れない。
積読三昧だった。

今は、娘の本以外は電子書籍で購入している。
ふと思い立った時に、いつでも手に入る安心感からか、紙の頃よりは積読はマシになった。
迷った時は、図書館を使うのも効果的だ。
読まないうちに返却期限が来ても、返してしまえば満足することがある。
なぜあの時、興味を持ったのだろうと後になって思うことがある。

お酒は一生分飲み尽くしたのか、運良く止めることができた。
積読も、電子化と図書館のおかげで、改善した。

目下のところは、ガンプラだ。
結局ガンプラの話に落ち着いてしまった。
ガンプラに毒されてきている。

とはいえ、いい趣味だと思っている。
家庭を蔑ろにするわけでもない。

どれだけ手に入れれば満足できるのか、それとも積みプラがエスカレートしていくのか。
どこでバランスがとれるのか怖くなる。

クライミングも、今は室内のボルダリングで落ち着いている。
岩を登るようになると、家庭を蔑ろにしてしまう予感がする。
その恐怖からか「今度一緒にやりませんか?」という、悪魔の誘いには乗らずに済んでいる。
岩を登る恐怖が、興味を上回っているというのが本当のところかも知れないが。
いずれにしても、岩場が近くになくて良かった。

ある時とない時、ものが溢れ欲しいものがいつでも好きな時に手に入るこのご時世、あることが当たり前になり過ぎて、ないと急に不安になる。

そういうことだろうか。

足るを知る

まだまだ、未熟だ。
程よく生きるのは難しい。

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