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2019年にみた希望。ボーダリングとトランスボーダーを繰り返して、俯瞰で見る自由。

いま。2019師走。今年ももうすぐ終わる。

年始にたてた目標の婚活と転職は完全に失敗した。
(あんまりリスクを取れなかった)
たくさんのはじめましてを交わして、それで終わった。
世界に手触りがなくって、本当はみんな存在していないんじゃないか。
わたしの意思がなくなって、このまま透明人間になるんじゃないかって
思っていたし。

たまにいまも夜、思う。

ただ、今年は。気づいたこともたくさんあった。
まず、わたしが触ろうとしていた架空の世界は存在していないということ。
そもそもわたしはずっと世界を歩いて、踏んでいる。
生まれたときから、ずっと、現実世界の連続の中にわたしがいる。
…はずなのに、なんで世界に手触りがないなんて感じていたんだろう。

インターネットのおかげで言葉は身体を超えてどこへでもいける。
世界は狭くなっているはずだった。
実際にあったことがない人や、触れたことのない世界に、ボタンひとつで
リアクションを送ることができる。

ただ、それで世界に触ったつもりでいても
身体性のともなわない手触りは、やっぱりバーチャルなんだよね。
どこか遠くの世界に手を伸ばしていたけど、そうじゃなくて
わたしは、いま連続する世界の一部として、地上に接している。
胸に手を当てて自分の存在のありのままを強烈に信じること。
わたしが触れてるそのものが世界の手触り。


自分が何者か。
自分の心にしっかり触れることが、接している世界とダイレクトに繋がっていくこと。
自分が何者かわからないと。
意思がなくなっちゃダメなんだ。

本当に透明人間になっちゃう。


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