納得という名の幸福

「私たちはあなたより幸せです」


 「またか...。」
 日付も変わろうかという頃、深夜の静寂が漂う真っ暗な部屋で、複雑な気持ちを無視するかのように光る携帯の画面を眺めながら、私は深いため息をついた。

 「また結婚か...。」
 いつからだろうか。他人の幸せな報告を祝う気持ちより、焦る気持ちの方が先に生まれるようになってしまったのは。別に結婚願望があるわけでもない。自分が父親になることなんて、想像すらしたことがない。それなのに、SNSで友人の結婚報告を目にするたび、嫉妬と焦燥感をごちゃ混ぜにしたような感情が身体中に広がる。ギュッと胸を締め付けられ、鼓動が速まる感覚に襲われ、呼吸が早くなる。

 結婚願望がないならば、なぜ他人の結婚報告を目にして動揺するのか。正直な話、自分でも全 く理解できていなかった。しかし、ある休日に公園を散歩する幸せそうな子供連れを目にした瞬間、不意に悟ってしまった。
 「幸せそうな人たちに『私たちはあなたより幸せです』と高らかに宣言され、それに反論する術を何も持ちあわせていないから動揺するんだ..。」

せめて納得くらいはしたい

 光には必ず影が伴う。幸せな人を光とするならば、私はまた別の光ではない。いつだって影の方だ。強い光を目にするたび、自分は濃い影の中にいることを嫌でも思い知らされてしまう。

 幸せのカタチなんて人それぞれだから、自分が納得してるならそれで良いという考え方があるのは分かっている。
 しかし、残念ながら私は自分の現状に全く納得がいかない。しかも、一体何 をどうすれば納得できるのかすら分かっていないのである。

 他の人が人生のコマを前に進める一 方で、私はどの方向が前なのかすら掴めていない。あっちでもない、こっちでもないと右往左往し ている間に、他人に圧倒的な差をつけられていることを痛感させられるからこそ、強烈な焦りを覚えるのだ。

 自分の現状全てに満足している人など非常に稀だろう。しかし、ほとんどの人は決して満足はしていなかったとしても、納得はしているのではないだろうか。納得さえしていれば、苦しい毎日 だって何とか生きていける。満足できなかったとしても、せめて納得したい。もし満足のいく人生が送れなかったとしても、納得さえすれば最低限の幸福は掴めるかもしれない。

 どうすれば納得できるのだろうか。それすら分からない私は、その時自分が正しいと感じた方向に進む試みを、愚直に何度も重ねるしかない だろう。

 明日からまた試行錯誤の毎日が始まる。そのためにも、今は英気を養う必要がある。「納得」のいく答えにたどり着いた私は、暗闇の中で静かに目を閉じるのであった。

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