遼州戦記 墓守の少女 従軍記者の日記 17
「そんじゃあ、出ますよ」
嵯峨はそう言うと包囲している共和軍兵士達に手を振りながらコックピットハッチと装甲板を下ろした。全周囲モニターがあたりの光景を照らし出す。そんな中、クリスの視線は検問所の難民の群れを捉えた。水の配給が開始されたことで、混乱はとりあえず収束に向かっているように見えた。
「じゃあ、行きましょうか」
そう言うと嵯峨は四式のパルスエンジンに火を入れる。ゆっくりと機体は上昇を始める。クリスは空を見上げた。上空を旋回する偵察機は東和空軍のものだろう。攻撃機はさらに上空で待機しているのか姿が見えない。
「とりあえず飛ばしますから!」
嵯峨の声と同時に周りの風景が動き出す。重力制御型コックピットにもかかわらず、軽いGがクリスを襲った。
「そんなに急ぐことも無いんじゃないですか?」
クリスの言葉に、振り返った嵯峨。すでに彼はタバコをくわえていた。
「確かにそうなんですがね。もうブツが届いているだろうと思うとわくわくしてね。そういうことってありませんか?」
にんまりと笑う嵯峨の表情。
「ブツ?なにが届くんですか?」
クリスはとりあえず尋ねてみた。嵯峨の口は彼の最大の武器だ。その推測が確信に変わった今では、とりあえず無駄でも質問だけはしてみようという気になっていた。
「特戦3号計画試作戦機24号。まあそう言ってもピンとはこないでしょうがね」
嵯峨は再び正面を見据えた。北兼台地に続く渓谷をひたすら北上し続ける。相変わらずロックオンゲージが点滅を続けている。その赤い光が、この渓谷に根城を置く右派民兵組織の存在を知らせている。
「特戦計画。胡州の大戦時のアサルト・モジュール開発計画ですか?」
クリスのその言葉を聞いても、嵯峨は特に気にかけているようなところは無かった。
「新世代アサルト・モジュールの開発計画。そう考えている軍事評論家が多いのは事実ですがね。ただ、それに一枚噛んだ人間からするとその表現は正確とは言えないんですよ」
そう言い切ると灰皿にタバコを押し付ける嵯峨。
「汎用、高機動、高火力のアサルト・モジュールの開発計画は胡州陸軍工廠の一号計画や海軍のプロジェクトチーム主体での計画がいくつもあった中で、特戦計画の企画は陸軍特戦開発局と言う独立組織を創設してのプロジェクトでしたからね。独立組織を作るに値する兵器開発計画。興味ありませんか?」
嵯峨はいつものように機体を渓谷に生える針葉樹の森すれすれに機体を制御しながら進んでいった。相変わらずロックオンされてはかわす繰り返し。嵯峨は機嫌よく機体を滑らせていく。
「精神感応式制御システムの全面的採用による運用方法を根底から覆す決戦兵器の開発。なんだか負ける軍隊が作りそうな珍兵器の匂いがぷんぷんするでしょ?」
嵯峨はそう言うとタバコを吹かした。思わずクリスが咳き込むと、嵯峨は振り返って申し訳無さそうな顔をする。
「まあ、俺は文系なんで細かい数字やらグラフなんか持ち出されて説明はされたんですが、いまいち良くわからなくてね。ただエンジンの制御まで俺の精神力で何とかしろっていう機体らしいですよ」
「そんなことが可能なんですか?……相当パイロットに負担がかかることになると思うんですが」
今度は一気に急上昇する機体。上空で吐かれたクリスの言葉に嵯峨はまた振り返った。
「結果から言えば可能みたいですよ」
そう言うと再び嵯峨は正面を向く。
「それがどう言う利点があるんですか?」
「それは俺にもよくわからないんでね。説明を受けた限りではエネルギー炉の反物質の対消滅の際に起きる爆縮空間の確保に空間干渉能力を持ったパイロットによる連続的干渉空間の展開が必要とされて、そのために……あれ?なんだったっけなあ」
嵯峨は頭を掻いた。
「やっぱ明華の話ちゃんと聞いときゃよかったかなあ。まあ、あいつも俺しか乗れないような化け物アサルト・モジュールが来るってことで納得しちゃったから今さら聞けないんだよなあ」
そう言うと嵯峨はさらに高度を上げた。東和の偵察機は上層部の指示があるのかこちらに警告するわけでもなく飛び回っている。
「対消滅エンジンですか?あれは理論の上では可能でもアサルト・モジュールのような小型の機動兵器には搭載できないと言うのが……それと空間干渉って……」
「空間干渉と言うのは理論物理学の領域の話でね、まあ私も聞きかじりですが、インフレーション理論によるとこの宇宙のあらゆるものに外の存在への出口みたいなものがあるって話なんですよね」
「ワームホールとかいうやつのことですか?」
クリスの言葉に再び嵯峨が振り向いて大きく頷いた。
「そう言えばそんなこと言ってました。それでなんでも俺にはそのワームホールとやらに直接介入可能なスキル。これを空間干渉能力とか言ってましたけどそれによる安定したワームホール形勢のアストラルパターン形成能力があるらしいんですわ。そこでその何とか能力で干渉空間を対消滅炉内部に展開して出力の調整を行うということらしいですよ。まあなんとなくコンパクトに出来そうな言葉の響きではありますがね」
嵯峨はそう言うとまたタバコに火をつけた。
「しかし、そんな出力を確保したとしてどうパルスエンジンや各部駆動系に動力を伝えるんですか?それにパワーが強すぎれば機体の強度がそれに耐えられないような気がするんですけど」
そんなクリスの言葉に嵯峨は頷いた。
「そこが開発の最大のネックになったんですよ。エンジンの出力に機体が耐え切れない。既存の材質での開発を検討していた胡州の開発チームは終戦までにその答えを出すことができなかったそうです。まあ技術者の亡命などを受け入れて研究は東和の菱川重工業に引き継がれたそうですがね」
嵯峨はのんびりとタバコの煙を吐き出した。煙が流れてきて再び咳をするクリス。
「ああ、すいませんねえ。どうもタバコ飲みは独善的でいかんですよ」
「それはいいです、それより東和はそれを完成させたのですか?」
その言葉に嵯峨は首をひねる。そして静かに切り出した。
「不瑕疵金属のハニカム構造材のフレームとアクチュエーター駆動部のこちらも干渉空間パワーブローシステムの導入ってのがその回答らしいんですが、俺も実際乗ってみないとわからないっすね」
「わからないって……」
「なあに、すぐにご対面できますから。ほら基地が見えてきましたよ」
嵯峨の言うとおり、本部ビルだけが立派な基地の姿が目に飛び込んできた。
着陸時のパルスエンジンを絞り込んだ振動がクリスの体を包んだ。格納庫の前、すでに連隊所属の二式の起動は完了していた。本部前には楠木がホバーに乗り込もうとする歩兵部隊に訓示をしている。
「出撃ですか?難民保護の為?」
「なあに、右派民兵組織を殲滅させる為ですよ」
そう言って振り向いた嵯峨の目が残忍な光を放つ。
「戦闘を仕掛けるつもりなんですか?でもそれでは共和軍を刺激して難民達が巻き込まれることになるんじゃあ……」
クリスが叫ぶ声はコックピットを開く音に飲み込まれていった。ホバーに乗り込む楠木の後ろにハワードがカメラを片手についていくのが見えた。
「現在、右派民兵組織は共和軍とは別の指揮命令系統で動いていることは確認済みでしてね。そして先ほどの会談で難民の移動が完了するまで共和軍は右派民兵組織への支援は行わないと言う確約を受けた訳で……」
コックピットを開いて振り返る嵯峨。その不気味な笑みに背筋が凍るのを感じるクリスだった。
「それじゃあまるでだまし討ちじゃないですか!」
「『まるで』じゃないですなあ。完全なだまし討ちですよ」
コックピットから降り立った嵯峨が四式の掌で濁った瞳をクリスに向けてきた。
「隊長!出撃命令を!」
二式のコックピットから身を乗り出す明華の姿が見える。
「待てよ。それより俺の馬車馬どうなってる!」
クリスは後部座席から体を引き抜いた。そしてそのまま嵯峨と同じように四式の掌に降り立つ。
「ああ、それなら菱川の技術者の人が最終調整をしているはずよ」
明華はそのままヘルメットを被る。
「隊長。ご無事で」
四式から飛び降りた嵯峨とクリスに向かって歩いてきたつなぎの整備兵はキーラだった。そしてその後ろに冷却装置の靄に浮かんだ黒いアサルト・モジュールの姿が見えた。
「これが……?」
クリスは見上げた。その周りを青いつなぎの菱川重工業の技術者達が駆け回っている。キーラはそれを見ながら複雑な表情を浮かべていた。
「これが特戦3号計画試作戦機24号。コードネーム『カネミツ』です」
「まじでそれにすんのか?」
クリスに話しかけていたキーラの一言に背広を着た菱川の研究員と言葉を交わしていた嵯峨が振り向いて叫ぶ。
「我々もそのコードネームで呼んでいましたから」
嵯峨と話していた責任者らしい菱川の研究者もそう言っている。
「マジかよ。そんな気取った名前なんてつけなくても良いのに」
嵯峨は嫌そうに自分の機体を眺めた。ダークグレーの機体。その右肩のエンブレムは嵯峨家の家紋『笹に竜胆』。そして左肩には顔のようなものが描かれている。
「嵯峨中佐。あの左肩の顔……いや面のような……」
「あれですか。あれは日本の能に使われる麺でしてね『武悪』と言うんですよ」
嵯峨は振り向くとそう言いきった。
「武悪?」
思わずそうたずねたクリスを振り返ってまじまじと見つめる嵯峨。
「俺は悪党ですから」
そう言うと嵯峨はゆっくりとその黒い機体に向けて歩き始めた。
「ホプキンスさん。どうします」
ただ立ち尽くしているクリスに振り向いた嵯峨は子供のような無邪気な笑みを浮かべて尋ねてきた。
「別に良いんですよ。俺がシャムを今回の作戦から外した訳もわかったでしょ?今回はかなり卑劣な手段を取らせてもらうつもりですから。なにせ人民派ゲリラの中にはうちとは組みたくないと言ってる連中も居ますからね。それに対する牽制も兼ねて今回はかなり卑劣な作戦になる予定なんで」
「その機体は複座ですか?」
クリスが搾り出した言葉にすでにパイロットスーツを着ていた菱川の技術者が戸惑っている。
「菱川の人。今回はデータ収集は後にしてくれますか?」
その嵯峨の言葉に青いつなぎの菱川の社員は一歩引いた。クリスは嵯峨の隣に立った。エレベータが上がり、冷却装置で冷やされたカネミツから白い蒸気が上がる中、コックピットの前に到着する。端末を片手に駆け上がってきてコックピットを覗き込んでいたキーラが顔を向ける。彼女は出来るだけ感情を表に出すまいとしている。クリスは彼女を見てそう思った。
「火器管制ですが……」
「まあ良いよ、実戦で調整するから。それより四式のオーバーホール頼むぜ。もうちょっとピーキーにした方が俺には合ってるみたいだ。遊びがありすぎてどうも」
「わかりました」
クリスから顔を背けるようにしてキーラは降りていく。
「あいつが責任感じることじゃねえんだがな」
嵯峨は頭をかきながらクリスに後部座席に乗るように促す。コックピットに入るとひんやりとした冷気がクリスの体を包んだ。嵯峨はそれでも平気な顔をして七分袖のまま乗り込んでくる。
「寒くないですか?」
そんなクリスの言葉に、嵯峨は笑みで返した。
「おい、出るぞ」
そう言うと嵯峨はコックピットハッチと装甲板を下ろす。鮮明な全周囲モニターの光。クリスの後部座席にはデータ収集用の機材が置かれている。
「あの、嵯峨中佐。本当に私が乗って良かったんですか?」
「ああ、その装置は自動で動くでしょ?こっちはこの機体の開発にそれなりの投資はしてきたんだ。わがままの一つや二つ、覚悟しておいてもらわないと」
そう言うと嵯峨はカネミツに接続されたコードを次々とパージしていく。
「さて、戦争に出かけますか」
嵯峨は笑っている。クリスの背筋に寒いものが走った。全周囲モニターにはすぐに先行した部下達のウィンドーが開かれる。
「セニア!明華と御子神のことよろしく頼むぜ。それとルーラ!」
「はい!」
長身のルーラだが画面の中では頭が小さく見える。
「レムは初陣だ。まあとりあえず戦場の感覚だけ覚えさせろ。飯岡もできるだけ自重するように。今回は俺の馬車馬の試験が主要目的だ。あちらさんの虎の子のM5が出てきたら俺に回せ!」
セニアもルーラも落ち着いたものだった。レムもいつもの能天気な表情を保っている。
「まあ今回はあいつ等も出したくは無かったんですがね」
嵯峨はそう言うとエンジン出力を上げていく。
「なるほどねえ。前の試験の時よりかなり精神的負担は少なくなってるな。これなら使えるかも」
「中佐!兵装ですが……」
「法術兵器は俺とは相性が悪いからな。レールガンでかまわねえよ」
キーラはすばやく指示を出し、四式と同形のレールガンをクレーンで回してくる。『法術兵器』と言う聞き慣れない言葉に戸惑うクリスだが嵯峨に聞くだけ無駄なのは分かっていた。
「今回は機体そのもののスペックの検証がメインだからねえ」
レールガンを受け取ると嵯峨は一歩カネミツを進めた。エンジン出力を示すゲージがさらに上昇している。
「大丈夫なんですか?」
クリスは思わずそう尋ねていた。嵯峨は振り返ると残忍な笑みを浮かべる。
「そんなに心配なら降りますか?」
「いいえ、これも仕事ですから」
クリスのその言葉を確認すると嵯峨はパルスエンジンに動力を供給する。
「いやあ、凄いねえこの出力係数。最新型の重力制御式コックピットじゃなきゃ三割のパワーで急発進、急制動かけたらミンチになるぜ」
のんびりとそう言うと嵯峨は機体をゆっくりと浮上させる。
「楠木。歩兵部隊の出動は?」
嵯峨は画像の無い機械化歩兵部隊の指揮をしている楠木に声をかける。
「はい、すべて予定通りに進行しています。呼応する山岳部族も敵の訓練キャンプの位置への移動を開始しています」
「それは重畳」
嵯峨は余裕のある言葉で答える。
「じゃあ行きますか」
機体が急激に持ち上げられる。パルスエンジンが四式の時とは変わって悲鳴を上げるような音を立てた。
「ほんじゃまあ、ねえ」
そう言うと嵯峨はそのまま一直線に渓谷にカネミツを滑らせた。
正直なところクリスは乗ったことを後悔していた。
『やはりこの人は信用は出来ない』
そんな言葉が意識を引き回す。カネミツの速度は四式をはるかに凌ぐ。音速は軽く超えているらしく、振り返れば低空を進むカネミツの起こす衝撃波に木々がなぎ倒されているのが見えた。
「こんなに機動性上げる必要性あるのかねえ」
嵯峨はそう言いながらも速度を落とすつもりは無いようだった。
「見えた!」
嵯峨はそう言うと急制動をかけた。コックピットの重力制御能力は四式のそれとは比べ物にならないようで、嵯峨のくわえたタバコからの煙も真っ直ぐに真上の空調に吸い込まれている。
「さあて、まずは運動性能と装甲のテストかな」
そう言う嵯峨に地面からの対空ミサイルランチャーのものと思われるロックオンゲージが点滅する。
「今度は止まってやるから当て放題だ。やれるならやってみろよ!」
嵯峨の言葉に合わせたように針葉樹の森からミサイルが発射される。五発はあるだろうか、クリスの見ている前で嵯峨が操縦棹を細かく動かす。どのミサイルも紙一重でかわした嵯峨は、そのままミサイルが発射された森に機体を突っ込んだ。
「お礼だよ。受け取りな!」
対人兵器が炸裂する。そして森にはいくつものクレーターが出来ていた。
「おいおい、まだ状況がつかめて無いのかねえ。教導士官はアメリカさん?それともジョンブルか?」
そう言うと嵯峨はそのままカネミツを歩かせた。木々をなぎ倒し、進むカネミツに逃げ惑う民兵がアサルトライフルで反撃する。
「おいおい、逃げても良いんだぜ、って言うか逃げろよ馬鹿」
嵯峨はそのままカネミツを停止させた。しかし、なぜか嵯峨はそこで機体を中腰の姿勢に変えた。その頭上を低進する砲火が走る。
「なるほど、対アサルトライフル砲の配置は教本通りだな。なら少し教育してやろう」
そのまま発射された地点へと走るカネミツ。森が開けた小山に築かれたトーチカ。そこに嵯峨はレールガンの銃口を突っ込んだ。
「ご苦労さん!」
一撃でトーチカは吹き飛んだ。そして嵯峨はそのまま山の後ろに合った廃鉱山の入り口を見据える。
「ここの教導士官は馬鹿か?まだアサルト・モジュールを出さないなんて。しばらく眺めてみますか」
嵯峨はそう言うとカネミツを見て逃げ惑う民兵達を後目にタバコをゆったりとふかす。坑道の一つからようやくM5が姿を現す。
「はい、そっちから撃てよ。そうしないとデータも取れねえ」
嵯峨の言葉を聞いてでもいるかのように5機のM5は左右に展開を始めた。
カネミツはM5の展開を見て跳ね上がる。
「脚部アクチュエーターのパワーは十分か。それじゃあパルスエンジンの微調整を兼ねまして!」
上空に跳ね上がったカネミツの動きについていけない民兵組織のM5。ようやく彼らがモニターでカネミツを捕らえられるようになった時にはカネミツの左手にはサーベルが抜き放たれていた。
「まずは一機か?」
嵯峨のとぼけた声がコックピットに響く。クリスの目の前で、民兵のM5が頭から一刀両断にされる。
「次!」
そのまま剣は左に跳ねた。隣でレールガンを構えようとしているM5の腕が切り落とされる。
「あのねえ、同士討ちってこと考えないのかな?」
再び跳ね上がったカネミツを狙ったレールガンの砲火が腕を失った友軍機のコックピットを炎に包んだ。
「落ち着いて行けば、そんなことにはならなかったんだがな!」
叫び声を上げる嵯峨、滞空しながら残り三機の民兵側のアサルト・モジュールにレールガンの弾丸を配って回る。
「データにもならねえな。こりゃあしばらく試験を続ける必要有りかねえ」
そう言うと嵯峨はカネミツを着地させ、目の前に横穴を空けている古い鉱山跡の中に機体を進めた。クリスはただ呆然とその一部始終を見ていた。今、画面に映っているのは逃げ惑う民兵と技術顧問らしいアメリカ陸軍の戦闘服を着た兵士達だった。
「さてと、どこまで入れそうかね」
カネミツはゆっくりと坑道を奥へと進む。嵯峨は自動操縦に切り替えて、足元のコンテナからアサルト・ライフルを取り出す。
「カラシニコフライフルですか」
嵯峨は折りたたみストックのライフルをクリスに手渡した。
「AKMS。まあ護身用ってことでね」
嵯峨は立てかけてあった愛刀兼光を握り締めている。
「銃なんてのは弾が出ればいいんすよ。さて、自殺志願者もいないみたいですから、奥に行きましょうか?」
とぼけた調子で嵯峨は坑道の奥でカネミツを停止させて装甲板とコックピットハッチを跳ね上げた。
「さーて、逃げ遅れた人はいませんか?」
そう叫びながら嵯峨がアサルト・モジュールの整備に使っていたらしいクレーンを伝って地面に降りた。クリスはライフルのストックを展開して小脇に抱えるようにしてその後に続く。
「居ないみたいっすねえ。それじゃあお邪魔しまーす」
肩に抜刀した長船兼光を担いで、完全に場所を把握しているようにドアを開く。
「ドアエントリーとかは……」
「ああ、そうでしたね」
クリスに言われて嵯峨が剣を構えながら進む。確かに嵯峨はこの訓練キャンプの内部の情報をすべて知った上でここにいる。クリスには中腰で曲がり角を覗き込んでいる嵯峨を見てそう確信した。ハンドサインで敵が居ないことをクリスにわざとらしく知らせると、そのまま嵯峨は奥へと進む。クリスも軍務の経験はあった。そして室内戦闘が現在の歩兵部隊の必須科目であることも熟知していた。そして何よりも嵯峨は憲兵実働部隊の出身である。室内戦などは彼の十八番だろう。クリスはそう思いながら大げさに手を振る嵯峨の背中に続いた。
さすがに剣を構えるのが疲れたのか、鞘に収めて左手に拳銃、右手にライトを持って薄暗い坑道を進んでいく嵯峨。 クリスは二人が進んでいる区画が明らかに何かの研究施設のようなものであることに気づいた。
一番手前の鉄格子の入った部屋をクリアリングする嵯峨。中には粗末なベッドのようなものが置かれている。
「見ると聞くとじゃ大違いだな」
嵯峨はそのままライトでベッドの上の毛布を照らす。毛布には真新しい弾痕が残り、その下から血が流れてきているのが見えた。
「死人に口無しってことですか?」
クリスがそのまま毛布に手を伸ばそうとするのを嵯峨は押しとどめた。
「なあに、もうすぐちゃんと喋れる証人のところに案内しますから」
嵯峨はそう言うと拳銃を構えなおす。そしてライトを消して、クリスに物音を立てないようにハンドサインを送った。数秒後、明らかに誰かが近づいてくる気配をクリスも感じていた。嵯峨は腰の雑嚢から手榴弾を取り出して安全装置を外す。外に転がされた手榴弾。飛び出す嵯峨の拳銃発射音が三発。そのまま部屋に戻ると爆風がクリスを襲った。
「大丈夫ですか?」
嵯峨はそう言うとそのまま廊下に出た。かつて人だったものが三つ転がっている。
「あんまり見つめると仏さんが照れますよ。行きましょうか」
そう言うと嵯峨は死体を残したままで彼の目的の場所に向けて走り出した。
しばらく通路を走ったところで、嵯峨は止まるように合図した。そのまま腰をかがめ、ライフルを構えながら三メートル程距離をとって音を立てないように立ち止まるクリス。嵯峨は懐から手鏡のようなものを出し、大き目のドアの隙間に翳す。しばらくの沈黙の後、嵯峨の手が動いた。出されたハンドサインは、三人の敵が部屋の奥で背中を向けているという状況とその一人を嵯峨が撃ったら突入しろと言うものだった。
クリスの左手が持っているライフルのハンドガードが汗で滑る。
嵯峨はすばやく突入した。拳銃の発射音が一つ。クリスが中で見たのは、倒れようとするアメリカ陸軍の制服を着た将校と、白衣の二人の技術者が手を上げる様だった。
「はい、そこまで」
嵯峨はそう言うと二人の技官に銃口を向けていた。
『君は?』
二人のうちアフリカ系の眼鏡をかけた長身の技術者が口を開く。英語である。
『あんたねえ。自分の研究知ってるんでしょ?そうしたらその一番有名な実験材料の……』
嵯峨が英語で返した。発音はかなりイギリス風なのがクリスには気にかかった。
『コレモト・サガ!』
もう一人のアジア系と思われる小柄な女性技官が叫んだ。アフリカ系の技官もその意味に気づき、驚きの表情を浮かべる。
『俺以外にこんなところに文屋さんを引き連れてやってくるような酔狂な指揮官がいるのかねえ』
嵯峨はそう言うと拳銃を降ろしてすぐさま胸のポケットにタバコを探す。イギリス訛りのきつい言葉に思わず渋い顔のクリス。
『目的は?』
女性技官の恐れを秘めた表情に、嵯峨は残忍な笑みで返した。
『言わなきゃ判りませんか?』
そう言うと嵯峨は電源が入っている奥の端末に歩み寄る。 二人の技術者の監視の下、次々と画面をクリアーしていく嵯峨。だが、女性技官にはかなり余裕があった。
『無駄よ。そう簡単にパスワードがわかる訳無いじゃないの!』
『ああ、これでしょ?必要になるキーは』
嵯峨はすぐさまタバコと一緒に取り出していたディスクを端末のスロットに差し込んだ。 タバコに火が付く、煙が上がる。端末にパスワードを入力する画面が開く。驚いた表情の女性技官の前で、躊躇せずパスワードを入力する嵯峨。
『はい、ホプキンスさん。特ダネですよ』
嵯峨はそう言うとクリスの方を向き直った。その時、アフリカ系の男がくるぶしに隠し持っていた拳銃を抜こうとした。
しかし、銃口は嵯峨に向くことは無かった。男の腕は彼の目の前で不自然に下を向いた。男の悲鳴が部屋にこだまする。そして、下に捻じ曲げられた手首からはだらだらと鮮血が流れ落ちた。
「だから、俺は嵯峨惟基なんだよ」
日本語で吐き捨てるように言った嵯峨。同僚に駆け寄る女性技官の表情に恐怖がにじんでいる。
『俺はね、嵯峨惟基なんだよ。あんた等がそうした。パンドラの箱を開けたのはあんた等、アメリカ陸軍だ』
嵯峨は一語一語確かめるような調子で二人に向かい言い放った。
『14年前のことだ』
嵯峨はデータを手元のディスクに移しながらつぶやく。
『ある胡州陸軍の将校がユタ州の秘密基地に連行された。その将校は戦時中の市民への虐殺容疑で銃殺刑を覚悟していた。だが、そんな簡単なことで殺めた命の償いはできなかった』
嵯峨はそう言うとデータ転送に時間がかかると言うように女性技術者に向き直る。タバコをくわえて笑みまで浮かべる嵯峨に、明らかにおびえている女性技師。
『贖罪が実験動物扱いなんて当然じゃないの!嵯峨惟基。その名の前で何人の無実の人々が死んでいったことか……』
そう言う彼女は目の前の嵯峨に向けてと言うより自分自身を納得させるために話をしているように見えた。
『そう、贖罪だけならその将校は自分の運命を受け入れることができた。だが、そこには彼以外にも住人がいた。貧しさで売られてきた少女。盗みや引ったくりで米兵とトラブルを起こした少年。彼等もその戦争犯罪人の将校と同じ運命を歩むに足る罪を犯したと言うのかね』
嵯峨の言葉に女性技師は絶句する。そしてすぐにクリスの顔を見る。
『あれは国益を!そうよ、合衆国への忠誠を誓う技師としての……』
そうクリスに叫ぶ技師。だが、クリスの表情が敵意しか見せていないことを知ると、仕方がないと言うようにだらりと両手を下ろした。
『まあ、いいやそろそろ俺の部下達が到着したところだ。お嬢さん。相棒の腕、そのままほっとくと壊死しますよ』
嵯峨はそう言いながら自分用のディスクへのデータの転送を終えて、今度は前面の大型スクリーンにデータを送る準備をしている。白衣の研究員達は嵯峨の言葉にそのまま部屋を出て行くことを決めた。
「はあ、久しぶりの英語で緊張しちゃったねえ」
嵯峨はそう言いながらキーボードを叩き続ける。クリスは黙ってその姿を見ていた。目の前のスクリーンに椅子に縛り付けられた男の姿が映った。
「拷問?」
クリスの言葉は次の瞬間に驚きに飲み込まれた。画面の中の男の目の前の机が突然火を噴いた。その業火が部屋を覆いつくす。そして次の瞬間、男がまるでガソリンでもかけられたかのように炎に包まれていく。悲鳴を上げながら火に飲み込まれる男の映像。クリスは目を反らさずに見ることに苦痛を感じた。
「これが彼らの研究ですか?」
しばらく呼吸を整えてからクリスが吐き出した言葉に、表情を押し殺した嵯峨の顔が映っていた。
「いわゆる『パイロキネシスト』の研究資料ですよ。一番ありふれた遼州人が持つ法力の一つ」
嵯峨は画像を停止させるとタバコをふかしている。
「都市伝説ではなかったんですね。遼州人の超能力と言う奴は」
クリスの言葉に嵯峨は静かに笑みを浮かべていた。
「もしそれが与太話で済む次元の話だったらアメリカさんはこんなに兵力を遼南に割く必要も無かったんじゃないですか?ただの失敗国家の独裁者がくたばるかどうかなんてことは彼らにとって本当にどうでも良いことですから。自国の若者の血を流すに値しない存在ですよ」
嵯峨の言葉が終わるまもなく、楠木を先頭とした北兼軍閥の兵士達が飛び込んでくる。
「遅いねえ。もうお話は済んだよ。処置はしておいてくれ」
そう言うと嵯峨はクリスの肩を叩いた。
「処置?データを消すつもりですか?」
クリスの驚きの声に楠木の部下の胡州浪人崩れの兵士達が冷笑を浴びせてきた。
「ホプキンスさん。今は遼州人には地球人との違いは無いことにしておいた方が良いんじゃないですか?先の大戦の遺恨はまだ生きている。まあ、知るということが双方にとって幸せかどうか、そこを考えるとこのデータは無いことにしておくべきだと思いましてね」
嵯峨はそう言うと研究室を出た。クリスもその後に続く。通路に出ると散発的な銃撃戦の音が響いている。クリスは嵯峨と言う男に再び疑問符をつけたまま嵯峨の後に続き、カネミツの待つハンガーへと急いだ。
「御大将!」
突然の声に振り向いた嵯峨とクリスの向かいには楠木が立っていた。
「どうだい、民兵さんの方は」
嵯峨の言葉に楠木は笑みを浮かべた。
「現在、山岳民族部隊と交戦中ですが敵さんももう抵抗が無意味なのはわかってるみたいですから。もうそろそろ決着はつくんじゃないですか」
楠木の言葉に嵯峨は安心したようにハンガーへの道を進む。北兼軍の兵士達がゲリラや傭兵の死体や負傷者を運び出している。
「ずいぶん手回しが良い事ですね」
クリスの言葉に嵯峨はにんまりと笑った。
「まあ相手を知らずに戦争を仕掛けるほど俺は耄碌しては居ませんから」
そんな言葉を返す嵯峨をクリスはただ見守っていた。ハンガーに出ると、カネミツの後ろに東モスレム三派のアサルト・モジュールがあった。その足元には、アブドゥール・シャー・シン少尉が北兼軍の将校と押し問答を続けていた。
「嵯峨中佐!」
シンの叫び声が届いて、嵯峨はめんどくさそうに階段を折り始めた。その髭面の下には怒りのようなものが満ちているのがクリスにもわかった。
「これはどう言うことなんですか!」
シンの言葉に頭を掻く嵯峨。取り巻いている兵士達はどこと無くシンの雰囲気に緊張を強いられていた。
「どう言うことって、ただの民兵組織の掃討作戦ですよ」
淡々と嵯峨は言葉を並べる。
「しかし今の時期。共和軍との協定の……」
「そんな協定結んではいませんよ。俺は共和軍への攻撃はしないと言っただけ。あちらがどう解釈しようが俺の知ったことじゃない」
「しかし……」
食い下がるシンの肩に嵯峨は手を添えた。
「彼らに難民への攻撃の意思があれば出動する。それが俺らの協定でしょ?未然にそれを防いだのは当然のことなんじゃないですか。それに今回は油断をしていたこいつ等が悪い」
そう言うと嵯峨は振り返りもせずにそのままカネミツに乗り込もうとしていた。
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