【親の体験談】不登校になった僕、その時親は…

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こんにちは、にーやです。

Twitterでは、不登校に関するツイートを投稿しています。


連載(?)企画、第二部になります。

(※概要、前回の内容はこちら


今回、このnoteを書くにあたって父へインタビューしました。

当時の僕では知らなかったことも多く、いま悩まれている方の参考になればと思います。


挨拶はこれくらいにしておいて、早速どうぞ。

(※出てくる「裕也」は僕です)

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それは突然のこと


振り返ると、この頃は決して楽ではなかった。

2007年のことだった。



11月も終わりに近づいた頃、中学1年生だった裕也が、突然学校に行かなくなった。

これといった予兆はなく、本当に唐突なことだった。

サーッと、頭が真っ白になった。

前々から「体調が悪い」とは聞いていたが、こんなことになるとは思っていなかった。動悸もする。

まさか、自分の子どもが学校へ行かなくなるなんて。


しばらくの間は、「裕也が学校に行かない」という事実を受け入れられなかった。

朝も起きてこず、ダラダラしている裕也へ、「どうして行かないのか」と怒鳴ったりもした。

「どうして、裕也が。」

行かなくなって数ヶ月は、この言葉で頭がいっぱいだった。


「不登校」という事実を受け入れるまでに、数ヶ月はかかっただろうか。

あまりにも落ち着かず、手始めに、担任の先生に相談をしたことがきっかけだった。

「先生、どうしたら息子は学校に行ってくれるでしょうか?」


先生からの返答は、まとめるとこうだった。

「いろいろなパターンがあって、一概には言えない」

「またふらっと登校再開することも、そのまま来ないこともある」

「いまは見守るしかない」

「いずれ時間が経てば、解決される」


相談したおかげか、ようやく、事実を少しだけ受け入れられた気がする。

それからは、固唾をのんで見守ろうとし始めた。

中学1年生の、3月の出来事だった。


残るモヤモヤ


その頃の裕也はといえば、ゲームで楽しそうに遊んでいた。

小学校の頃から仲の良かった友達も、たまではあるが遊びに来ているようで、裕也も友達となら顔を合わせることができた。

「遊べないよりは、遊べている方がいい」

少しホッとした。


しかし同時に、なかなか落ち着かない自分も、確かにいた。

「この先、どうなってしまうのだろう?」という不安があった。

「見守ること」と「不安さ」で葛藤していた。


将来に対する不安を解消しようと、一心不乱に本を読み漁った。

当時は不登校に関する本は今ほど出回っていなかったが、とにかく買って、読んだ。

また、児童相談所にも足を運んだ。

元校長先生が所長の施設らしく、所長とも話をした。

しかし、まったく参考にはならず、思わずうなだれる。


少しして、1冊の本に出会った。

本の題名は覚えていないが、印象的なフレーズが目に飛び込んだことを覚えている。

「不登校は、単なる事象にすぎない」

この言葉で私は、ハッと我に返った。

「いまは、見守るしかない」

この本をきっかけに、私は慌てることをやめた。

ちょうど梅雨が明けた頃だっただろうか。



とは言ったものの、裕也の将来に関しては不安さが残っていた。

当時の裕也は、見ているともどかしい気分になったからだ。

学年が上がってから一度、学校には行ったものの、また休んでしまった。

「あと一息なんだろうなあ…」

そう思わずにはいられなかった。「ちょっと進んで、また戻る」を繰り返す日々が続いた。

あと1年半もすれば、高校受験。

進路を考え始めてもいい時期に差し掛かっていた。


進路と決断


「何かいまの裕也でもできることは…」と頭を悩ませ続けた。

その結果、たどり着いたのが、家庭教師。

受験に向けて、少なからず勉強は必要だと思ったからだ。

裕也も家庭教師を呼ぶことを承諾してくれて、受験に向けた勉強が始まった。


受験生活は、大変だった。

模試会場までの電車に乗れず、仕方なく車で送った。

けれども、裕也は車から出られない。

「同級生に出くわすことが怖い」と裕也が呟いた。

「そんなことを気にしなくていいのに…」とつい口に出してしまったが、何も変わらなかった。

結局、その日は家まで引き返した。


「あと一歩なんだろうなあ…」という、もどかしさを覚えずにはいられなかった。


先生が言ったように、時間が解決してくれるのだろうか。

もどかしい裕也の姿を見て、頭を悩ませる日もあった。

それでも、「悩むより、見守る」ことを選ぼうとした。


フリースクールとの出会い


それから、1年が過ぎた。裕也は中学3年生の10月だっただろうか。


いくらか時間が解決してくれたこともあった。

まず、模試を受けられるようになったことだ。

車から出られないこともなくなって、更には電車で会場へ向かうこともできた。


しかし一方で、新しく悩み始めたことがあった。

「合格しても、ちゃんと高校へ通えるだろうか?」

裕也に聞くことはなかったが、「高校に通わずに済む道」を探し始めた。


定時制、通信制を見て回っていたところ、ある学校を見つけた。

いわゆる「フリースクール」の体だったが、高卒認定をとって大学受験までをサポートする学校だった。

「こんなところもあるのか」と驚いた。

すぐに資料請求をして、裕也に提案した。


「もし、高校に行けなかったら、ここはどうだろう?」と。

「こんなところもあるんだ!」と驚いていた。

高校という道しか示していなかったし、知らなくてもおかしくはなかった。


あとから聞いた話だが、裕也本人も、この時は学校に通えるとは思っていなかった。


そして高校入試が始まった。合わせて4校受けただろうか。

結果は、全敗。

あまり驚くことではなかったし、覚悟はしていた。

しかし、フリースクールへ進学することを、本人が望んだ。


中学校1年生の頃を思えば、かなり進歩していたように見える。

あれだけ学校に行きたがっていなかった裕也が、学校に行くことを選んだのだから。


その時はじめて、「時間が解決してくれることもある」と実感した。


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以上です!

長くなってしまいましたが、ここまで読んで頂き、ありがとうございました。

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それでは、また次回。


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