sawasawaのはじまり

家政科の高校で調理や被服の授業に勤しみながらバイト三昧だった私の楽しみといえば
バイト代を握り締め鼻息荒めに大阪のアメ村に服を買いに行く事。
とりあえず訳もわからず社会に出たい。そればっかり考えてた。
進路はもちろん就職。って言っても好きだった京都の古着屋さんでバイト。
フリーター誕生。
古着屋2件→書店文具売り場→友の古着屋手伝いからのセレクトショップ立ち上げ。
思い返しても、特に野望も夢もないよね。勢いだけ
てもそれぞれの場所で得た経験が今にもいきている。
古着の買い付けにシカゴに行ったのとか。その時じゃないとできなかったし。
セレクトショップを辞める決断をし、一人旅をする計画をたてアフリカ行きが情勢不安定でキャンセルになり急遽トルコへ。
2週間の一人旅。何処に行くか?よりも
1人で知らない土地に自分を追い込む。これが真意
帰りの飛行機が飛び立ちイスタンブールの夜景を見ながら自分でなにかやろう。と思った25歳の始まり。
何かの屋号は京阪電車の中で笑これにしよう!!って
sawasawa
旧姓の澤
スワヒリ語のsawasawaを掛けて。it's ok👌的な意味合いお気に入り。
sawasawaは手編み帽子を作りました。もちろん私が。ひとりでね。
独学だし技術はないけど、感覚とセンスで。
知り合いのお店に軽い気持ちで持ち込み、委託で売って〜なんて。そんなノリ
あっちゅうまに完売し、また作って!と言われたのが始まり。
パン屋でバイトしながら編みまくる日々
バイトやめて父の店の昼間空いてる時間にお茶しながら帽子買ったりオーダーしたりできる場をはじめた。
甘味を作って出したり、週末ランチやり出したり。
元を辿れば家政科に行ったのも調理がしたくて。
周りまわってやっぱり料理が楽しい!となってきた時にしゃっちょと結婚
まさかの神奈川行き。関西を離れるなんて微塵も考えた事無かったのに。
sawasawa帽子は卸がメインになってきていたので結婚後も数年続けていました
卸先様は大阪の帽子屋さんだったんだけどどんどん大きくなられて今も全国に。
作家の作る一点ものが欲しいからと言って頂き作らせて貰っていたけれど、sawasawa帽子が今どの店舗にあるかも私にはわからないような状況になって。
子育てもあったり、料理へ情熱が移っていき卸販売は終了したのです。
sawasawaは帽子屋さん
いまもアルファベットでさわさわが表記されたりすると、それはちがうのよね。と、また面倒くさいかんじになっちゃうんです。
でもsawasawaがあってさわさわになったから
sawasawaやってた時間。プライスレスすぎるんで。
いまだにワッチキャップとか買うの躊躇する自分がいたりして。
帽子屋魂ってか、作り手魂かな。それはいまも私の中にあり続ける

次はsawasawaから
さわさわ&coのはじまりのころのお話を。。

sawasawa帽子 20代の時の写真は残ってない

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