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橋場悦子さん 歌集「静電気」

自粛生活の日々が続き、家で(おもにベランダで)ひたすらに編み物をしたり本を読む日々が続いています。こんな時には話を追う小説よりも、図鑑や歌集のような、ひとつの歌、ひとつの項目をしみじみ噛みしめられるような本が、自分には向いているなあと感じています。

連休中は橋場悦子さんの歌集「静電気」を読んでいました。
わたしのtwitterアカウントは、山口綴り名での短歌のアカウントのほかに、日常を雑多につぶやいているアカウントと、タイバニのことしかつぶやかないアカウント(こちらはひさしくつぶやいていないのですが)の3つあるのですが、橋場さんとは日常のアカウントのほうで知り合って、短歌をなさっていることはしばらく存じませんでした。少しずつ、「あっ、もしや短歌をなさっている……?」とわかりはじめた感じです。そんな、出逢いが短歌以外のかたの短歌を短歌新聞や短歌誌で読める機会が得られるたびにはちゃめちゃにときめいていたので(橋場さんは歌壇5月号にも「秘蔵っ子」として歌が載っておられます)、今回の歌集出版、めっちゃ興奮しました。

歌集「静電気」には、橋場さんが2015年に結社に入会されてからの295首が収められています。
橋場さんの歌の個人的な印象はひと言でいうと「端正で実直」。決して奇を衒わない、あくまでも日常の景でありながらするどい観察眼があり、それが旧仮名遣いの文体にうつくしくマッチしているように思います。(なんやわかったような口調ですみません…!)

以下、とくにときめいた歌のいくつかを引用させてください。

髪型を一昨日(をととひ)変へた「変はつたんぢやない」と訊かれてもいいやうに

連作「ふきのとう」より。釧路(わー!釧路だ!)にいる知人に飛行機で逢いに行く連作の二首目です。「変わらないね」ではなく「変わったね」と言われてもいいように敢えて髪型を変える主体。久しぶりに会う知人なのでしょう。時が流れれば人はどうしても変わってしまうものです。
髪型を変えて、知人が「変わったね」と言うことを受け入れるようにした主体に、やさしさと、いい意味での逃げというか人間のしたたかさを感じた歌でした。

ポケットのないドラえもん思ふとき かけがへのない愛といふもの

連作「封印」より。
ふたつのシーンの可能性を思い浮かべました。
ひとつめは、ドラえもんがのび太を助けるために、四次元ポケットを手放すシーン。もうひとつは、なんらかの理由で四次元ポケットを失ったドラえもんのことを、それでものび太は好きであるというシーン。
いずれにしても、四次元ポケット、そして四次元ポケットから出るひみつ道具がドラえもんの大きな存在理由であると思うのです。それが無くてものび太はきっとドラえもんのことが大好きで、それは紛れもなく愛なのだとこころが熱くなる歌でした。

花ならば青が好きなりわたくしの肌のどこにもない深き蒼

連作「竜胆」より。
わたしのこの歌に対する感想はもうなんというか、かっこいい!のひとことに集約されてしまいます(語彙ー!)。竜胆のような青い花に、自分には無いものを見、それを愛する。「青」と「蒼」の書き分けも効いていると思います。

疎ましき我なれど手放したくはなし二杯目からはウーロン茶とす

連作「沈丁花」より。自分自身のことをうっとうしく思うときはあれど、自我を手放すことはしたくなくて、酔いつぶれないように二杯目からはノンアルコールをたしなむ主体。どんな自分でも受け入れて肯定する理性的な主体が魅力的で、この歌集全体にただよう「端正さ」を端的にあらわしているような一首に思えました。

ながながと書いてしまいましたが、ひとりの方の歌をとことん読める歌集ってほんといいな……と感じました。橋場さん、すてきな歌集を出版してくださり、ありがとうございました!しあわせでした!

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