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スキルヴィングとジョワドヴィーヴルに捧ぐ

10年前の今日。一頭の牝馬がこの世を去った。
名をジョワドヴィーヴル。
馬名はフランス語で「生きる喜び」という意味でクリストフ・スミヨン騎手が東日本大震災後の日本への思いを込めて命名した名馬である。
そんな彼女を未だに思い続ける誰かの存在に私は昨日、涙した。

第90回日本ダービー。
タスティエーラの勝利の陰で儚くも世を去ったスキルヴィング。
彼の冥福を祈る為に、レース後に私は東京競馬場前の馬霊塔に手を合わせていた。
ここにはトキノミノルの墓もある。

次いで隣りの馬頭観音にも祈りを捧げようと足を運ぶと、花束が一つ供えられていた。
花束に添えられたメッセージカード。
そこにはジョワドヴィーヴルへの想いが綴られていた。
ダービーを観戦したファンなのか、それとも彼女の馬主や調教師のいずれかが置いたかはわからない。
ただスキルヴィングの死を知った私は目頭が熱くなるのを感じ、顔を手で覆いながらその場を去った。

ジョワドヴィーヴル。
母はエアグルーヴとも競い合い、数多の重賞馬の母となったビワハイジ。
半姉はG1を6勝し2010年の年度代表馬にして4年連続最優秀牝馬となったブエナビスタ。
そして父は近代競馬の結晶たるディープインパクト。




彼女はサラブレッドの中でも選りすぐりの良血馬であった。
ノーザンファームの吉田勝己代表に世代の「一番馬」と言わしめた彼女はデビュー初年度から偉業を達成する。
それは史上最短となる通算2戦目でのJRA-G1勝利。
彼女はなんと2戦目にして阪神ジュベナイルフィリーズ勝利しを成してその年の最優秀2歳牝馬に選出。
彼女はターフの天才少女と謳われた。
陣営の機体は大きく、牝馬クラシックの桜花賞とオークスの結果次第では凱旋門賞参加を視野に入れていた程であった。
しかし、彼女の前に立ちはだかったのは後の顕彰馬たる貴婦人ジェンティルドンナとディープインパクト産駒の宿痾とも言える脚の弱さであった。
ジェンティルドンナの名でお気づきだろうが、ジョワドヴィーヴルはかのゴールドシップと同じ2012年クラシック世代である。
そしてゴールドシップはインターネット掲示板などで壊し屋とも呼ばれる。
これはゴールドシップの走ったクラシック3戦。その上位入線馬が数多く故障していることに由来する。

ゴールドシップを悪様に言うのは個人的には好かないが故障した馬が多くいるのは事実で、その中にはディープインパクト産駒が多く、後に古馬平地G1を勝ったディープインパクト産駒は牡馬ではスピルバーグのみである。

そしてディープインパクト産駒の持つ宿痾はジョワドヴィーヴルも例外ではなかった。
年を明けて2012年。3戦目のチューリップ賞こそ3着だったが桜花賞は1番人気。
鞍上の福永祐一をして「『どう乗っても勝てる』と思えるくらいの好感触」と言わしめた。
しかしながら、結果は6着敗退。さらにレース数日後に右第1趾骨近位骨折が判明。全治6ヶ月以上となり彼女は長期療養に入る。
明けて2013年1月に彼女は古馬となって帰厩する。
復帰戦は2月の京都記念を走るも7着。ついで3月の中日新聞杯は6着。
それでも陣営は彼女の傑出した才能を示すべく古馬G1勝利を目指してヴィクトリアマイル参戦を決意する。
2013年5月12日。ジョワドヴィーヴルにとっては初めての東京競馬場。
対する相手は強豪揃い。
前年の勝者たるマイル女王ホエールキャプチャ。
牝馬三冠にてジェンティルドンナの2着3連続の雪辱を果たしたい実力者ヴィルシーナ。
チューリップ賞にてジョワドヴィーヴルを打ち破ったハナズコール。

そんな中、ジョワドヴィーヴルは4番人気。鞍上は乗り変わりで川田将雅。
レースは後方追走から直線で大外に出て追い上げる。
上がり33.3という17頭中2番目の速さで追うも先頭を行くヴィルシーナに1馬身遅れの4着。
負けはしたが確かな切れ味で復活の兆しをジョワドヴィーヴルは見せた。
しかし、レースから17日後、2013年5月29日。
鳴尾記念に向けてCWコースを追い切り中に故障発生。
異変を察知した助手がスピードダウンさせジョワドヴィーヴルを止める。
彼女は自力で立ってはいたが左後肢は地につけることが出来ない状態であった。
すぐに獣医師が駆けつける。
診断は左下腿骨開放骨折。
手の施しようがなく、診療所へ運ばれた彼女はその場で安楽死となった。
享年4歳。ヴィクトリアマイル翌日の5月13日に満4歳の誕生日を迎えたばかりであった。
松田調教師のショックは大きく、午前は取材に対応が出来ず。午後になって「ようやく良くなってきたし、これから楽しみと思っていただけに、本当に残念です。厩舎スタッフも一生懸命やっていたのに、調教中にこんなことになって残念。もうひと花もふた花も咲かせてやりたかった」と記者に語っている。

あの日から10年。
彼女の同期の牝馬達はジェンティルドンナがG1を7勝。
ヴィルシーナ、ストレイトガールはそれぞれヴィクトリアマイル連覇をなして世代で4連覇。
ゴールドシップやフェノーメノ、ジャスタウェイの活躍もあり2012世代は屈指の強豪世代と名高い。

松田博資厩舎は2014年に桜花賞馬にして凱旋門賞出走6着の名牝ハープスターを輩出。鞍上は奇しくも彼女の最後のレースを共にした川田将雅。
そして川田将雅はリバティアイランドと共に牝馬二冠を達成。牝馬三冠へ王手をかけている。

競馬において現役中に亡くなった馬達は数多いるが、彼らを忘れずに思い続けている人々がいる。
それをジョワドヴィーヴルと彼女へ花を捧げた誰かがあらためて私に教えてくれた。
このことに感謝の意を示すとともに、あらためてスキルヴィングの冥福を祈り、結びしたい。




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