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見取り図が世界のどこにいても

「今、自分はまぎれもなく幸せの中を歩いている」って思ったこと、ある?
私はある。
この数年、めちゃくちゃ幸せだった。
普通は幸せとは、通り過ぎてから気が付くものだと言われる。「ああ、あの時、自分は幸せだったのに、その自覚がなかったなんて」って、手の中をすり抜けてから気が付いて、そのたびに後悔ばかりする、と。
でも私は「今、まさに幸せだ」という毎日を過ごしていた。そして、そんな毎日が過ごせたら後悔するはずないんだとも思っていた。

寂寥の念が押し寄せる。
いつかこうなる確実な未来。華々しいはずなのに、ふとした瞬間に感じる不吉な予感──。
思えば、いつもその気配と戦っていた。
こんなに苦しい思いをするなら、最初から東京所属の人のファンになるべきなんだと頭ではわかっている。なのに、どうしても惹かれてしまうのは、大阪所属の人たち。私は大阪に住んでないのに。というか、一度も住んだことなんてないのに。どんな時も、この瞬間が訪れることを怖がりながら、視界の端でちらつくこの気配に気付かないふりをして、時速285キロで流れる景色を眺めていた。

この1年はいつもこの予感と生きてきた。春と秋を迎えるのが怖かったし、その気持ちを正直に吐露することすら非難される風潮も息苦しかった。
しかしなぜかここ最近は、そのことが保留になっているということすら忘れて、戦いの後の安寧の日々を過ごしていた。

日曜は昼まで眠っていた。
本当は福岡に行くつもりだったのだけれど、2月末に締切が差し迫った仕事が残っていたことと、月中に仙台に行ったこと、来月もまた遠征予定があることなどを理由に取りやめていた。
まどろみの中でかすかに聞こえた通知のバイブレーションで目が覚めた。表示されていたテキストを見た瞬間に飛び起き、すべてを理解した。
本当の本当に時が来たのだ、と。

とはいえ、ある程度……というか、ほとんど覚悟はできていた。昨秋に明確な区切りを提示されて以来、おそらく4月には見取り図は東京に所属を移すだろう、と。ただ、保留になっていた、という事実を忘れていたのがよくなかった。4月の漫才劇場のスケジュールが出ていないことに気が付いた数日前に事の重大さに気が付いてはいたのだが、目の前の仕事に打ち込むことで現実逃避をしていた。


精一杯の強がりで、エモーショナルにコーティングしてまだごちゃごちゃ言ってしまう自分にびっくりした。まだ言えるか!!! え!! 驚きやで!!!
秋から年末にかけて、あんなに大騒ぎしたにもかかわらずね。詳しいことはこれを読んでくださいw無料なのでw

上京はするのはわかってたし、というかもうしているのなんて誰がどう見ても明らかだったので、そのこと自体はすんなり受け入れていたのだけど、
漫才劇場を卒業するとは思わなかったんだよ。
東京所属だけどマンゲキ所属という方もいるので、そうなるもんだと勝手に思い込んでいた。

でもそれもよくできた現実逃避の一種で、そんなわけないんだよ。よく考えてもみてほしい。漫才劇場が「大阪から全国へと羽ばたく若手漫才師達の出発点」というコンセプトである以上、すでに全国に羽ばたき済み(羽ばたき済み? そんな言葉あるのかw)の人が出発点にいつまでもいることになってしまうのは完全に矛盾することになってしまう。

と、いうわけで見取り図はマンゲキを卒業するし、大阪(の事務所)を去るし、そのことについてはさすがに当然であると思うのだけれど、多くのファンの方が心乱されているといるのもまた、事実ではある。私も例外ではなく、昨日は1日泣いてたわけだけどねw

で、大阪所属の人が上京するたびにいつも思うんだけど、なんで大阪に住んだこともないし、東京に住んでるのに寂しいんだろうね? これって永遠のテーマだと思うんだよね。劇場が遠ざかるように感じるから? 漫才が失われる気配を感じるから? なにはともあれ、本質がここにある気がする。何度も言語化を試みているし、上記の同人誌の中で掘り下げてもいるけど、本当に何度も何度も現れるテーマ。もはや俺らの今世のテーマなんじゃ? とすら思うw

そんなわけでこの件についてはエモーショナルモードでも語れるし、事務的にも語れるし、元気いっぱいにも語れるし、評論にもエッセイにも小説にもできるし、切り口から何から考えすぎてもはや自由自在に表現できるテーマなのだけれどw、自分の本当の気持ちとしては、そりゃあね……泣くよねwだからエモーショナルに語るのが似合うテーマだからついついそうしたくなるけど、それじゃ伝わらないこともありそうだったからこの率直モードになってます。

繰り返すけど、やっぱり売れているのに居続けることはできないのも当たり前だし、それに何より、こんなに大事な時間をみんなで過ごせたことは人生において宝物だと思う。上京って「大阪拠点の人に誰しもに訪れる瞬間」というけど、全然そんなことない。言い方悪かったら申し訳ないのだけれど、大阪からキャリアをスタートした人が売れて東京に行くことが決定しないと迎えられない瞬間で、それが応援している人に起こるということ自体、貴重なことだと思うんだよね。ましてや見取り図にとっては、「番長」としての役割を担っていた劇場を卒業するという点で、もうひとつ大きな意味が付与されている。みんながみんなできることじゃない体験ができているっていうことは、凄いことだと思う。決してそうしない人がどうとかそういう他意はないよ。分断を煽る必要なんてどこにもない。

そもそもの大前提で、これは一般の人もそうだけれど、誰も不幸になるために東京に行かない。幸せになるために行くに決まっているし、まだ見ぬ悲しみの数を数えるのはナンセンスだと思う。

私はジャニーズには疎いのだけれど、先日のピアスのOPアクトだった「シンデレラガール」を聞いて思ったのは(ちゃんと元のほうを聞いて思ったのはw)、いつか何らかの理由で応援できなくなったとしても、それでも応援していた時があったこと、そして幸せに過ごした時代があったことは、未来でもみんなのことを励まし続けるんだと思う。それも含めて永遠なんだということを言ってるんだと理解した。
転じて考えると、大阪、漫才劇場所属の見取り図がいたこと、そして全国のどこにいても応援しているみんなで気持ちを一緒にできたこと、M-1のこと、これまでのすべての、どんな思い出を抱えて生きていっていいんだと思う。
だいたい一般的な芸能って全国区になってから好きになるってパターンが多いだろうに、大阪時代を見つめることができたことは宝物だと思う。まあ彼らの場合は最後の1~2年はすでにブレイクしていたのだけれど。いつか途切れても、そういう時代があったってことは事実としていつもそこにある。

で、何が言いたいかというと、別にここで離脱しなくてもいいんじゃない、ってことですwわざわざエモモードをかなぐり捨ててでも率直に伝えたいのはこれ。なんかそういう話が多いような気がしたからw
熱量が変わるとかはあるだろうけど、別に意図して区切りをつけてもいいこともない。っていうのも、まず、いろいろお世話になってたのに(一方的にだけどw)、何も言わずにさよならなんてさみしいじゃない? たしかに芸人は星の数ほどいるけど、見取り図はこの世に一組しかいない。せっかく共鳴して応援することになったんだったら、どんな熱量であってもずっと見続けるのもまた、ひとつの楽しみとして生きてくるんじゃないかなと思う! もちろんいろいろ考えはあると思うけど。
で、もうひとつは私自身、お笑いと意図的に距離を取っていたとき、やっぱりずっと辛かったから、お笑いは大事にしたほうがいいよとかいうおせっかいBBAムーブですわ。うざくてごめんなw
でもなあ、なんか人生にお笑いがないともう余白がないし余裕がないというか人の露悪的な面しか見えなくなって、いろいろ疑心暗鬼でコミュニケーション不全大爆発って感じで本当にしんどかったんだよなあ。お笑いを手放さなければもっと人の優しさとかに気付ける、そんな人間になれたんじゃないか……と思ってたところに見取り図の漫才を見て救われたという経緯がある。
別に今となれば、周りの人やほかの芸人さんが露悪的なわけでもないんだけど、その時は見取り図のストレートな優しさが非常に珍しく感じられて、心から癒された。細かい具体的なエピソードを挙げるとキリがないけど、見取り図の最大の魅力のうちのひとつは「優しさ」だとも思う。

そして今回の卒業発表で個人的に最大の収穫は、
さっきちょこっと言及した「分断」についての見解について掘り下げが
できたことかな。
M-1の時期とか、特に投票結果が大きく左右するときとかは、そりゃバトルだしお祭りだし、思想における戦いだ~~のムードになるのはどこも一緒でしょw

っていう意味で、このあたりのテキスト群を書いていたんだけど、


結構マジレスされてだるいなってのはあったw言葉遣いがわるくてごめんw
東西がどうとか男女がどうとかも本当の意味で対立軸にならないことはわかってる。だけどそれが「ないもの」だとも言い切れないのは事実。だってないものだったら、こんなにみんなが熱中しない。M-1においては特にね。

でも、あれもこれも全部何もかも、志自体はみんな同じものを抱いて……すなわち広義のお笑いを志したことはみんな変わらないという前提の上に成り立つことだと思う。
どんな芸人さんも一生懸命がんばって、辛いことも楽しいこともあった中で今日まで続けてきたり、あるいは悲しい判断をしたりしてきたけれど、お笑いを志したというのはまぎれもない事実であり、共通の祈りなんだと思う。
でも、ポジショントークをしなきゃいけない場面もある。そういう難しい立ち位置に芸人さんたちもファンもいる中で、文化を守るためにはあんまりくだらない挑発に乗らないことが肝要だなあと思った。私たちにいがみ合ってほしいと思う存在に、魂を明け渡す必要なんてどこにもない。敵は目の前にいる人でも隣の人でもなくて、誰かを叩きたくなる心。叩いていい人なんて、芸人だろうがファンだろうが、ただのひとりもいない。分断する世界の中で、手を取れる人がいることは誇りであるはず。

でもまあ、これに尽きるなって思ったのはさ、私が大阪が好きになったのはお笑いがあるから、base、5up、そして漫才劇場が好きだったからだと思った。そんなおもしろくて優しい大阪が好きだと思った。ずっと昔から。だからこれからもいっぱいお邪魔できるといいな!
あんまり伝わってないかもだけどそんな感じで、これからもずっと全国どこででも……いや世界のどこででも、見取り図の漫才を見続けていけたらいいなと思ってます。


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