【大幅加筆】見取り図ディスカバリーチャンネル論~「撒く」のあとに「腕キメ」がくる~

見取り図のYouTubeチャンネル「見取り図ディスカバリーチャンネル」(MDC)を読み解く必要がある。

前回の記事「『なりたいテレビ』の見取り図のロケが映像作品として素晴らしかった件。」において、あるいは無料同人誌「見取り図を応援する」内で言及したとおり、私は常に、彼らの思考やストーリーにはベースともいえる理念があり、それを漫才に落とし込むと漫才になるし、ロケに落とし込むとロケになるし、YouTubeに落とし込むとYouTubeになると思っている。思想は常に一貫しているし、その思想は実はハイコンテクストに伝えられる。

MDCの2021年のエンディング、そして2022年の1本目の動画を見て、特に明確な意図を感じた。そもそも我々は見取り図をまなざすとき、MDC内外を問わず、常に解釈の余地を示され続けていたはずだ。見取り図がベタでコテコテな浪花の漫才師であるというのはある意味では正解ではあるが、ある意味では単なる印象に過ぎない。実はものすごく繊細で混沌とした言語外の表現を巧みに使い、我々の心を無意識に支配し批評を促す。
私は2020~2021年のMDCを通して見取り図の思想を本能レベルでは読み取ってはいたものの、結局のところ見過ごしてしまう形になってしまっていたのも事実だ。だからもう何も見過したくない。
そのためにはまず、「撒く」ということについて考えなくてはならない。

●そもそも「撒く」とは何なのか
2020~21年のMDCを語るうえで欠かせないのは「盛山を撒け」だろう。
「盛山を撒け」とは文字通り、リリーさんが盛山さんから逃亡し、なぜか盛山さんが追いかけてくるのをリリーさんが振り切って撒く……というシリーズである。「盛山さんがなぜか追いかけてくるので撒かなくてはいけなくなる。追いかけてこなければいいのに」というリリーさんの主張は、実はまったく筋が通っていないのだが、なぜか正当なもののように聞こえる。
「盛山を撒け」シリーズはMDC内で何度かゲリラ的に実行され、ついに2021年の単独ライブ「バックトゥザミトリズ」内でのVTRで完結した

ここで考えるべきは「撒く」という行為は何のメタファーなのか、ということだ。それは彼らの関係性を見るに、「主導権」だと思われる。言い換えると「リリーさんが盛山さんを翻弄する権利」だ。そして見取り図において、この関係のバランスは非常に重要なものである。
そして「撒く」シリーズは、「バックトゥザミトリズ」内でのVTRで完結を迎えたはずで、それは正しい終わり方のはずだった。もう「盛山を撒け」というシリーズの動画は新規に出ることはなく撒き納めではあるが、これからもリリーさんに主導権があるのは永遠の掟であるという暗黙の了解が共有されたはずだった。
そもそもこのVTRのラストでは撒かれた盛山さんはリリーさんと再会することはないのだが、取り残された盛山さんは土砂降りの中、自らの状況を指して「『ショーシャンクの空に』やん」とつぶやく。実はこの時リリーさんも別の場所で、土砂降り以外の理由でずぶ濡れになったTシャツを気にすることなく微笑み、盛山さんを眼下に見ながら讃えている。この描写は決して絶望ではなく、雨を通してふたりが接続していることを示していると言ってもいいだろう。

しかし、正しい終わりを迎えたものを掘り起こし、逆のアプローチをするというのは理に反することだ。その行為は災いを呼ぶ。いや、もっと安全にいうと最も恐ろしい結末をシミュレーションする。

●はぐれる夜は不吉な未来のシミュレーション
2021年のMDC最後の動画では、これまで撒かれた逆襲として盛山さんがリリーさんを撒いた。しかしリリーさんは兼ねてからの主張通り、撒かれても盛山さんを追いかけることなく、ふたりははぐれることとなる。
私はここに非常に不吉な気配を感じた。すなわち見取り図の関係性において盛山さんがリリーさんのコンセンサスなしに突っ走ると、ふたりは離れ離れになってしまうということを示しているのではないかと不安になったのだった。リリーさんが盛山さんを追いかけるという動画がこれまでになかったわけではない。「【喫煙中】2本吸えたら100万円【smoke for money】」内では、「逃走中」のパロディであり、リリーさん演じるハンターから逃亡しながら喫煙する盛山さんを描いている。しかしこれには「喫煙」という、追われる理由も追う理由もある。「撒く」とは似て非なる鬼ごっこだ。

2021年の最後の動画内で、盛山さんは追われない不思議さ、そして寂しさを抱えてリリーさんを探した。そして再会してからの口論――からの腕キメ――。リリーさんは「盛山さんが勝手に自分を撒いておいて『追いかけろ』と言ってくることが理不尽も理不尽、そして怖い」と責めたてる。つまりリリーさん曰く、リリーさんに主導権がある状態こそが理にかなっていて、その逆は正しい状態ではないということである。
すなわち、盛山さんがリリーさんを翻弄することは不可能で、もしもそれを盛山さんが望むのならば、バッドエンドを迎えることになると表現しているように見える。これはごく控えめに言って不吉すぎる展開だ。
そしてこの動画が2021年の最後、150本目の動画であり、この腕キメはエンドロールが流れる中に行われる行為であるということから、この腕キメに至るまで、そしてこの行為中に語られていることが、見取り図にとっての2021年を示しているともいえるだろう。
つまり、見取り図にとっての2021年というのは揺れ動いた年だったということである。では、揺れ動いたのは何か。主導権、あるいは拠点、意志、世論……。要因は外部にあるものがほとんどだが、過去で一番大きな動きのあった年であり、彼ら自身がそれらに翻弄されていたということが読み取れる。

●それでは「腕キメ」とは何なのか(2/1追記)
「撒く」に加え、2020~21年の見取り図の作品にて頻出した概念として、「腕キメ」が挙げられる。MDC内では先述の動画以外では2021年のM-1後に公開された動画「【M-1グランプリを終えて】見取り図が心境激白!」「【3ヶ月で-11キロにする方法】ダイエットに成功した盛山にリリーがインタビューのはずが…【Lilly’s interview】」にて言及、実演されている。
そして注目すべきは「腕キメ」はMDCのみならず、2021年に作られた漫才「地元のスター」「師匠」においても出現するということだろう。媒体を変えてもなお、何度も何度も繰り返し語られるモチーフには意味がある。だからこそ我々は、一見バイオレンスな表現の補強という以外に意味を持たなさそうな「腕キメ」について、一度真剣に考える必要があるのだ。

先ほど私は「撒く」とは「主導権」(リリーさんが盛山さんを翻弄する権利のメタファーとしての行為)だと定義した。「腕キメ」も「撒く」と同様に、「主導権」を示しているように思える。なぜならばリリーさんが盛山さんの腕をキメることで、盛山さんは押さえつけられる形になり動くことができなくなるからだ。しかしながらこれはいささか単純すぎる解釈である。
漫才の中では、リリーさんが何者かに(第三者に)腕をキメられる展開もある。このことから「腕キメ」そのものが、ふたりの関係性にかかわる何かを表しているとは限らないと言えるだろう。盛山さんがリリーさんを押さえつけることはないが、だからと言ってリリーさんが押さえつけられないわけではないのである。
「腕キメ」から関係性にかかわる意味を剥ぎ取ると、そこに残るのは「押さえつける」という行為のみである。言い換えると「今ここにいさせること」だ。
そう、これはつまり、「今ここからの逃亡」である「撒く」と対なのである。いや、もっと厳密にいう必要がある。「撒く」が関係性由来の行為であるがゆえに若干ややこしくもあるのだが、「撒く」という行為が「自分(リリーさん)は移動するが、相手(盛山さん)を今ここにいさせるための行為であるにもかかわらず、その思惑とは裏腹に追いかけてきてしまうので逃亡せざるをえなくなってしまう」というところまで内包しているならば、「腕キメ」と「撒く」は、「相手を今ここにいさせるための行為」という側面では同義であるだろう。しかし場所と時間の動きがあり、単純に逃亡が主軸の意味となる「撒く」とは異なり、「腕キメ」それ自体はキメる側もキメられる側も、どちらもその場に留まることになる。
そして決定的に「腕キメ」が「撒く」ことと異なるのは、お互いがお互いの存在を認識しているという点である。「撒く」はその特筆上、撒かれる側である盛山さんはリリーさんの存在を認識できなくなる。何度かの遭遇やニアミスを繰り返しながらも、最終的には「撒く」ことが成功するという状態、すなわち存在を認識させなくするという状態を目指す必要がある。
リリーさんは盛山さんを撒くときに、遠くから物陰からあるいは天上から、盛山さんの存在を確認している。この意味でふたりははぐれることはなく、リリーさんに主導権がありながらもつながっていることになるのは、先述したとおりだ。
しかしながら「腕キメ」は、お互いがお互いの存在を認識していないと行えない行為である。リリーさんは盛山さんに腕をキメられることはないが、漫才「師匠」の中で、リリーさんが腕をキメられているのを眺め、認識自体はしている。このように「腕キメ」そのものは、身体のみならず時間と場所を今ここに留める行為であり、それはまるで「撒く」の持つ自由なイメージを恐れるがゆえのアクションであるともいえる。
「撒く」という翻弄のあとに訪れる、揺れ動かないものを模索する姿勢、それこそが「腕キメ」である。「撒く」のあとに「腕キメ」が来るのはごく自然なことなのだ。
そしてこの文脈での「腕キメ」とは、翻弄の日々の中にありながらも変わらないものを示し、表面的な関係性に対する評価から外れるための行為であり儀式だった。だからこそ揺るぎないもの――すなわち漫才――の中においても繰り返し登場したといえるだろう。

●語られない愛のムチ
そんなふうに、腕キメという祈りを捧げながらではあるものの、不穏で不吉ともいえる2021年のエンディングを迎えたMDCであったが(あくまで不吉な未来へのシミュレーションとして……としたいが)、2022年以降のMDC、そして見取り図は、思想をどう定めようとしているのか。激動の2021年を経て、揺れ動きの中でどのような変わらないものを設定するのか。
公約撤廃や始動の日程の遅さとは別に、その鍵は生配信を除いて1本目の動画「番犬モリモリ」にある(今年の1本目の動画であるというだけで、その年の方向性や決意を示しているという十分な理由になるだろう)。

リリーさんの愛犬「モリモリ」が後輩芸人からお金を守れるかという企画なのだが、これもだいぶ辛辣なことを表している。
つまりモリモリを演じる盛山さんが眠ったりさぼったりしているあいだに、後輩がお金を稼ぎ追い抜かれてしまう可能性があるが(チャレンジャーのひとりがM-1 2021ファイナリストの兎さんというのも相当示唆的である)、そうならないようにリリーさんが【愛のムチ】(何かは示されていないが十中八九アレなことだろうけどw)をちゃんとふるいますね、ということを示している。
つまり主導権を盛山さんが握り、リリーさんのコンセンサスを得ないまま進行すると不吉な未来に行きついてしまうしどんどん後輩に追い抜かれてしまうが、リリーさんの【愛のムチ】さえあれば軌道修正できます! 大丈夫です! という思想表明のように思えてならなかった。
そして誰の目から見ても明らかな揺るがないもの――たったひとつの宝物である漫才のために、日々ステージ数が増えていくのである。

深読みしすぎだとか、「盛山を撒け」も含めると「雨なんて偶然でしょ」とかそういう反論はあるかもしれない。もちろんすべての動画やそのほかのコンテンツが狙って作られているわけでないことは重々承知である。
しかしそもそも、モノローグから始まる動画を評論せずに見ることはできないと思う。言い方はとても悪いが、MDCはそんじょそこらの物語なきYouTubeではなく、メイドインオオサカな評論を歓迎しているコンテンツ群なのだから。

●見過ごしていたこと
とはいえすべての動画に意味を持たせているわけでもないだろう。コンテンツ数が多くなりノルマが増えると(2021年の公約は150本だった)、あえてテーマが設定されてないものも出現する。私はそれに慣れてしまって少々鈍感になっており、重要なことを見過ごしていた。そもそも「盛山を撒け」シリーズもよくあるノリとしか思っていなかった。しかし単独後の9月下旬に、下記の動画を見た時に血の気が引いた。
強い……というか、この時点で唯一の重要なメッセージを示そうとしていることが明白だった。


これは単独ライブ「バックトゥザミトリズ」内での「盛山を撒けファイナル」の動画公開に向けたPVである。
注目すべきは冒頭、「ひどく雨が降る日だった」という一節だ。
これは「ひどく暑い夏やった。蝉しぐれが降り注ぐ中」、すなわち06年のチュートリアルM-1優勝時の漫才「チリンチリン」の引用と言えるだろう。
そしてこのフレーズは2020年のM-1のPVでも引用されている。すなわち「バックトゥザミトリズ」時点の見取り図にとって、この一節を引用することによって示そうとした主張が何なのかは明白である。
というか、もはやモチーフとして近すぎて灯台下暗し的に逆に気づかなかったのだが、M-1のテーマ曲でもある「バックトゥザフューチャー」のオマージュの単独を行っている時点で、もう何が言いたいか明らかすぎて、そして私は改めてその強い思いを知り、涙を流したのであった。

●ツッコミ不在でもテーマを読み取るトレーニングを
毎度、見取り図に対してひとつのテーマで駆け足で見ていくこのミニマム単位の評論であるが、少々今回は難産だった。よく見ると非常にわかりやすいメッセージが表現されているにもかかわらず、漫才とは異なりMDCでは映像という特性上、直接的なツッコミはあまり行われないからである。行われたとしても、ひとつの台詞としての意味が与えられ、思考のアンカーとしてのヒントに見えない時がある。マジレスされて荒れてしまうことがある、というのは、このハイコンな特性によるものだろう。
このような表現の中で、重要なことを読み取るためには高い解像度やリテラシーが要求されると思う。MDCにおいてはコントに近いような気もするが、さらに映像的そしてシナリオ的な特徴があると思う。
いずれにしても、漫才以外の手法で行われるものに対するアンテナや感度をもっと磨いていく必要があると思った。


※次回もまた書きたいことがある気がする!
近いうちに!


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