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こつこつ京都学


Vol.8 20240221 #現地へGO 02「松尾大社」その1


こんにちは、「こつこつ京都学」主宰の佳子(よしこ)です。
学生時代に京都市内(左京区吉田エリアと中京区壬生エリア)で暮らしてきた時から、すでに40年以上経過しました。
京都時代はもちろん、大阪に住む今も、初詣は一貫して、京都市の松尾大社(まつのおたいしゃ)と決めています。

2024年1月1日、恒例通り、大阪の地下鉄堺筋線、阪急京都線を乗り継ぎ、桂駅から嵐山線に乗り換え、松尾大社駅で下車。
松尾大社駅の名前は“まつお”たいしゃですが、神社の名前は“まつのお”たいしゃです。

古代の秦氏が開拓した京都のまちと経済

ここは、京都最古の神社で、太古には住民が松尾山の神霊をまつり、日々の暮らしの守護神としたようです。
5世紀、大陸から朝廷の招きでこの地方に入った秦氏は、養蚕、農産業、土木の技術など当時の京都のまちづくりに大きな影響を及ぼします。
秦氏の総氏神として、701(大宝元)年、秦忌寸都理由(はたのいみきとり)が山麓の現在地に、松尾大社の社殿を造営します。
イミキトリ、と聞くと、どう考えても外国人の名前、007ジェームス・ボンドを追い詰める某国のスパイみたいな名前だわと私は思ってしまいます。

「鳴くよウグイス平安京」と覚えた794年に遷都された後、松尾大社は天皇の崇敬を受け、歴代の天皇の行幸も多く、859(貞観元)年、清和天皇から正一位の神階を叙せられました。
賀茂両社と松尾大社は、「東の厳神(げんしん)、西の猛霊(もうりょう)」として、皇城の鎮護の社とされました。このフレーズ、覚えておくポイントですね。ヒガシノゲンシン、ニシノモウリョウ。

松尾大社は、平安時代中期から中世にかけて朝廷から格別な崇敬を受けた神社二十二社の制(上七社、中七社、下八社から成る)のうち、上七社のひとつにあたります。
「神社」の項目はまた改めてテーマにするつもりですが、二十二社のうち上七社だけ書いておきます。

◆二十二社のうち上七社
伊勢 内宮(皇大神宮)外宮(豊受大神宮) @伊勢市
石清水八幡宮 @八幡市
賀茂(上賀茂神社(賀茂別雷神社)下鴨神社(賀茂御祖神社)@京都市北区
松尾大社 @京都市西京区
平野神社 @京都市上京区
伏見稲荷神社 @京都市伏見区
春日大社 @奈良市

松尾大社の祭神は、大山咋神(おおやまぐいのかみ)と市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)。
大山咋神は、山・山麓一帯を支配し、市杵島姫命は海上守護の霊徳を仰がれ、福岡県宗像神社の三女神の一人です。
今では、京都洛西の総氏神として約10万戸の氏子をもち、特に「醸造の祖神」として全国の酒造家、味噌、醤油、酢などの製造業・販売業から格別の崇拝を受けています。

お酒の神様なので、お酒好きの夫と私は、ここを初詣の神様に選んだわけです。
旅行先で蔵元に立ち寄るのが、私たち夫婦の常なのですが、松尾大社のお札が貼ってあるのをよく見かけます。
本当に全国の蔵元から崇敬を受けているんだなと誇らしく思います。

珍しい「脇勘請」のある、松尾大社二の鳥居

松尾駅からも見える朱塗りの大きな鳥居をくぐり、参道に入ります。
コロナ禍のお正月には閑散としていた参道も、やっと屋台が出て、参拝客で賑わうようになりました。
2番目の鳥居をくぐる前に上を向いて!
赤い鳥居の上部に、榊(さかき)の小枝を束ねたものが数多く垂れ下がっています。
「脇勘請」(わきかんじょう)と称するもので、ほかの神社ではあまり見たことがありません。
この形は、鳥居の原始形式を示すもので、榊の束は12(閏年は13)あり、月々の農作物の出来具合を占った太古の風俗を、そのまま伝えていると言われています。
古いお社には、古い時代の習俗が残っているということですね。

楼門をくぐり、右手の手水舎で手と口を清めます。
神社には、神のお使いがいます。京都検定エリアでいうと、伏見稲荷神社はキツネ、北野天満宮はウシ、石清水八幡宮はハトなのですが、ここ松尾大社は「亀」と「鯉」です。
このような神の使いを総称して眷属(けんぞく)といいます。難しい字だな。
中でも亀は、健康長寿のシンボルとして親しまれ、手水舎の近くに「撫で亀さん」(なでがめ)が鎮座しているので、しっかり撫でます。

拝殿には、全国の酒造メーカーから寄進されたお酒の瓶が何百本と並んでいます。
うわーお酒ばっかり! 毎年、圧巻の風景です。
本殿の近くまで行くと、参詣客でごった返しています。

全国の蔵元から寄進されたお酒の数々(松尾大社HPから拝借しました)


ここで素朴な疑問が。拝殿と本殿はどう違うのか。
「拝礼をする場所が拝殿、神が鎮座する場所が本殿」と、「神社の見方」(外山晴彦・「サライ」編集部編、小学館)には書いてありますが、松尾大社のお正月は、拝殿にお酒が並び、本殿前に参拝客が拝礼をする場所が用意されています。
以前は、正面上部から鈴が吊られていましたが、いつのまにかお正月にはなくなりました。鈴を鳴らそうと、参拝客が集まりすぎるからでしょうかね。二拝二拍手一拝をし、お賽銭を入れます。たくさん人がいるので、急いで拝礼をします。

この本殿は、秦忌寸都理が創建以来、皇室や幕府の手で改築され、現在の社殿は室町初期14世紀の建造、16世紀の大修理を経ています。
特殊な両流造で、「松尾造り」と称されています。
松尾大社のHPから抜粋しますと…。

「建坪35坪余、桁行三間・梁間四間の特殊な両流造りで松尾造りと称せられています。箱棟の棟端が唐破風形になっているのは他に類例がなく、柱や長押などの直線と屋根の曲線との調和、木部・桧皮の色と柱間の壁の白色とが交錯して醸し出す色彩の美しさ、向拝(ごはい)の斗組(ますぐみ)・蟇股(かえるまた)・手挟(たばさみ)などの優れた彫刻意匠は、中世の特色を遺憾なく発揮しており、重要文化財に指定されています。また本殿につづく釣殿・中門・回廊は、神庫・拝殿・楼門と共に江戸期の建築物で京都府暫定登録文化財に指定されています」(松尾大社HPより)。

じっくり見学するには、参拝客が少ないシーズンに来ないとダメですね。
今回はここまで。
次回は、私が大好きな松尾大社の「お正月の風物詩」と、今回初めて訪問した「神像館」「松風苑の三つの庭」について報告します。

<続く>

#こつこつ京都学
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