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こつこつ京都学


Vol.11 20240319
現地へGO3 「修学院離宮」その2

こんにちは、「こつこつ京都学」主宰の佳子(よしこ)です。
修学院離宮の報告を続けます。

御馬車道から中離宮へ

下離宮の東門を出たところから中離宮や上離宮に向かうには、松が植えられた「御馬車道」(おばしゃみち)に沿っていきます。
江戸時代には各離宮の間は田の畦道でしたが、明治になって幅の広い道が整備され、今ではその松も大きく成長しています。

中離宮は、上離宮や下離宮とは少しバックグラウンドが異なります。ここには、後水尾上皇の第8皇女、緋宮(朱宮)光子内親王(あけのみやてるこ)の山荘「楽只軒」(らくしけん)と客殿がありました。
内親王が落飾後に林丘寺(りんきゅうじ)となり、以後、皇室の女子が入寺する比丘尼御所(びくにごしょ)の一つとして続いてきました。
明治になって一部が宮内省に返還され、修学院離宮に取りこみ、中離宮となったのです。

天下三棚の一つ「霞棚」

楽只軒の6畳の一の間には吉野山の桜が、奥の二の間には龍田川の紅葉が描かれていて簡素な中にも雅な雰囲気がうかがえます。絵の作者は狩野探幽の子、狩野探信(かのうたんしん)。

楽只軒の東南に接して建つ「客殿」は、後水尾上皇の中宮、東福門院和子の御所の奥御対面所を移築したもの。
客殿の一の間は12畳半で、部屋の北側には一間半の有名な飾り棚があります。
それが「霞棚」(かすみだな)。このnoteのトップ画像にあります。
霞がたなびくようなデザインで、醍醐寺三宝院の「醍醐棚」、桂離宮の「桂棚」と合わせて、天下の三棚と称されています。

中離宮・客殿二の間、雅な意匠

地袋の小襖には友禅染の張り場の風景が描かれ、引き手の形は羽子板、壁には和歌・漢詩の敷地が貼られ、柱には七宝花車形の釘隠しなど、元女院御所らしい優しく華やかな意匠があちこりに見られます。

中離宮・一の間と二の間の境にある杉戸には鯉と鮒の絵に網の絵がかかっている

一の間と二の間の境にあたる杉戸には、鯉と鮒が描かれていますが、それが逃げていかないように網の絵を書き足したのが丸山応挙と言われています。が、わざわざ網の裂け目も描かれているので、そこから夜な夜な逃げ出したという伝説もあるとか。

中離宮・客殿西側縁座敷の北橋の杉戸には祇園祭の岩戸山と放下鉾

西側縁座敷の杉戸に、祇園祭の岩戸山(いわとやま)と放下鉾(ほうかほこ)を描いたのは、狩野敦信(かのうあつのぶ)。
美術工芸の上質さは、やっぱり上皇や女院の居場所だったことを表しています。

京都市街から大阪のハルカスまで

中離宮を出て御馬車道に戻り、上離宮に向かって登っていく途中、左前方に広い植え込みが見えてきます。
上離宮は、山の中腹に頑丈な堰堤を築き、渓流をせきとめて大きな池をつくっています。この人工的な堰堤を自然の景観に調和させるため、下方には高生垣、上方の斜面には「大刈込」(おおかりこみ)と呼ばれる植え込みをつくり、多くの樹種が混植しています。

御馬車道を登り切ると、上離宮の入り口、「御成門」(おなりもん)に到着します。
御成門から急な斜面を登った先に「隣雲亭」(りんうんてい)があります。

上離宮で最も高い地点で、標高は約150m。眺望を楽しむ場所京都市街から北山連峰の山並み広がっています。
案内人に「あちらの方向が大阪ですよ」と言われて目をやると、なんと高さ300mの「あべのハルカス」(百貨店や美術館、ホテルが入る超高層複合ビル)が見えるではありませんか!西山連峰の終わる狭窄部から大阪方面へ視界が広がっています。
「うわー、あのハルカスの近所から、今日ここに来たんです!」というと、案内人もニコニコ。修学院離宮から自分の住む街が見えるとは、本当に驚きました。

上離宮・隣雲亭の軒下には赤と黒の一二三石

隣雲亭には、眼下の池に面した側に六畳の一の間、両側に3畳の二の間と、板敷きの「洗詩台」(せんしだい)の間があり、これらを板縁がめぐります。
足元に目をやると、軒下のたたきに赤と黒の小石を埋め込んだ「一二三石」(ひふみいし)がかわいらしい。


上離宮・隣雲亭から眺める浴龍池と北山連峰

下に広がるのが、音羽川から水を引き込んだ「浴龍池」(よくりゅうち)。池の中央から右に伸びる中島は「万松塢」(ばんしょうう)といいます。中島を龍が水面に背中を見せた様子に見立てたことから浴龍池の名前がつきました。
浴龍池での船遊びは、上離宮での楽しみの一つでした。

京都所司代が献上した千歳橋。ややアンバランスな意匠


20mほどの土橋の手すりには、手斧削りの跡が

道にそって歩いていくと、修理中だった「楓橋」、京都所司代が献上した「千歳橋」、手すりに手斧削り(ちょうなけずり)が施されている「土橋」(どばし)と、足を進めます。


修学院離宮創建当時から残る窮邃亭

屋根の上に宝珠が乗っているのは、「窮邃亭」(きゅうすいてい)。18畳一間の簡素な建物で、修学院離宮創建当時から唯一残る建物です。
後水尾上皇は、鹿苑寺の鳳林承章(ほうりんじょうしょう)に、「修学院離宮十境」を選定させています。
そのうち今も残るのは、菩提樹、寿月観、洗詩台、隣雲亭、窮邃亭 、浴龍池、万松塢の7つのみ。
昔は離宮内に「修学院焼(御庭焼)」という窯があったそうですが、後水尾上皇がなくなった後は使われなくなりました。


京漬物寿司生麩御膳で腹ごしらえ

たっぷり1時間以上は見学したでしょうか。敷地内のアップダウンを歩いているうちに雪も止み、体もあたたまり、そして空腹を覚えました。
最寄りの修学院駅から出町柳駅に戻り、京漬物の「田辺宗」さんで、京漬物寿司生麩御膳をいただきました。生麩にトマトの漬物、おいしかったなぁ。

<続く>

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