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なんのテーマもなく文章を書いてみた

なんのテーマもなく文章を書く事にしてみた。
どうしてこんな事をしているのかというと、うちの息子が作文の宿題で何を書けばいいのかわからないと、いつも言っているからである。

「なんでもいいじゃん。今日した事とか、どこに行ったとか、誰と遊んだとか」
って言うけど、何を書いたらいいかわからないらしい。
「じゃあ今日何した?」
「〇〇した」
「どうだった?」
「楽しかった!」
「それ書けばいいじゃん!」
「えーわからん」

まぁ多分考えるのを面倒くさがってるだけなんだろうけど、実際に何も考えずに何かを書く事は可能なのかどうか実験してみたくなって、今それをしている。

実際何か一つテーマがあってそれを掘り下げていったりした方が、文章を書きやすくなる事は確かだと思う。この文章を書いている今現在も何を書こうかなと考えようとしているし、書く前も何を書こうかな、って考えていた。今でも何を書こうか考えながら文章を書いているけど、何も考えずに書いている。そんな事が可能なのかよ、って思う人がいるかもしれないけど、実際今それで書けているから可能なのだろう。でも少し日記みたいになっているような気もする。子どもの頃、日記を付けていた時期もあったけど、毎日ほぼ同じような事を書いていた気がする。正確な記憶はないけどそんな気がする。なぜか?それはサッカーをしていた頃に付けていたサッカーノートがそんな感じだったからだ。毎日、毎試合、同じような事を書いていた。これも過去のサッカーノートを読み返したわけじゃないから正確ではないけど、そんな感じだったと思う。あとは精神論、根性論に走ったような、あとは気合いだ!とか頑張る!とか意味不明なパワーワードを大きな文字にして書いていた覚えもある。でも書く事によって頑張れた気もするし、振り返った時に面白くもあり恥ずかしさもあった。自由帳に突発的に描いた絵とか言葉にも似ている気がする。

と、まぁここまで何も考えずに、と言いつつも多少の記憶を辿りながら文章を書いているけど、基本的には何も考えていない。じゃあ何も考えないってどう言う状態の事を言うのか?瞑想?マインドフルネス?じゃあ今はその状態って事?それってめちゃくちゃいい状態で、頭のスッキリ感だったり、脳の疲労が取れたような感覚だったり、睡眠の質が高まったり、って思ったけど、PC使って文章書いている時点でそんな効果はかなり薄まるだろって、自分で自分にツッコミを入れながら文章を書き続けている。でも頭がスッキリすると思ったらそんな気もするし、思わなかったらそんな気はしない。脳の疲労が取れたような感覚はまだないけど、目が疲れている気がする。これは昨日、日中に浴びた紫外線のせいだろう。紫外線は目からも吸収するので、サングラスをしているのと、していないのでは目の疲労感、身体の疲労感は全然違う。でもこれももしかしたら気のせいかもしれない。サングラスをしているから大丈夫って思っているから、疲労感が軽減している可能性もあるし、例えば、今左手にレモンを持っている想像をしてほしい。右手にはナイフ。この酸っぱそうなレモンを半分に切ってみてください。勿論、手は切らないように。するとどうだろうか、見るからに酸っぱそうな実と果汁が出てきた。じゃあこの見るからに酸っぱいレモンを食べてみてほしい。右手を口に持って行き大きく口を開ける。その瞬間、口からはたくさんの唾液が出てくる。ちゃんと唾液が出る人はしっかり想像出来ている人だけなんだけど。じゃあこれって何か、っていうとしっかりレモンを想像出来た人は脳が騙されて酸っぱいもの入ってくる〜って、なって唾液がジワジワ出てきている。口の中には酸味を感知するセンターみたいなものがあって、それが反応して唾液が出てくる。実際には食べてないのに。じゃあなぜ酸っぱいものを食べたり想像したりするだけで、唾液が出てくるのか?これは毒性の強い危険な食べ物の多くには、強い酸味が含まれている事が多く、こういった食べ物を口の中に入れた時、含まれる毒を唾液で洗い流すために人間に備わった機能のようです。人間に備わっている機能の凄さみたいな事を言い出したらキリがないくらい色々あると思うけど、ここで書くのはやめておこう。なぜなら面倒くさいから(笑)それじゃ作文を書く事を面倒くさがっている息子と同じだなと、思いながらも俺は今日は人間に備わっている機能の凄さを書こうとしているのではなくて、何も考えずに文章が書けるのか?という実験を朝、4時半に起きて、お湯を沸かしコーヒーを入れて、やっている。しかも仕事としてやっているのではなく、趣味としても違う、単なる興味本位でやっている。自分が起きると飼っている犬も散歩に連れて行って貰えると思って起きてくる。まだ早いだろ、と思いながらも一緒に外に出た。まだ暗くて月も出ていた。余りにも綺麗だったのでスマホで写真を撮った。見えている景色とは全く違うものが写ったが、まぁそれはそれでいい感じに写った。薄着で外に出たし散歩をするにはまだ早かったので、すぐに帰って犬の足を拭いてあげたらまた寝室に戻って行った。散歩をした後のような足取りで。これもまた人間の脳がすぐに勘違いを起こすように、犬の脳も勘違いをしているのかな?と思った。それでもまだ5時になっていない。ここから書き始めた。外の静寂と寝不足感と俺はこんな時間に何をしているんだと言う感じがスクランブルしながらここまで書いている。家族はまだぐっすり寝ているし、近所の家の明かりもまだ付いていなかった。時間を有効に使えてる感じもするし、少し間違えれば寝不足で体調を崩しそうな感じもする。ここでまた変な勘違いをすると、本当にそうなってしまいそうな感じがするので、時間を有効に使って、俺は得をしていると、思い込むようにしよう。他の人から見たらなんてムダな時間を過ごしているんだと、思われるかもしれない。だけどそれをムダにするのか意味のある事にするのかは自分次第。そう、この世の中は全て自分次第なのだ。ごめん。と言うか、ありがとう!と言うかも自分次第。ごめん、と思いながらありがとう!と言うのも自分次第。ダブルで言うのも自分次第。あの人がどうだ、とか関係ない。全て自分次第で良くも悪くもなる。自分次第の螺旋階段を登り始めたので時計を見た。白い壁掛け時計にペンキで適当に色を塗って使っている。いい感じ。だと自分は思っているけど、妻はどう思っているかわからない(笑)まだ6時になっていなかった。でも外は少し明るくなってきている。毎日描いている絵も描いた。超適当に。外が明るくなってくると時間の経過が早い感じがする。外が明るくなって来ているから時間の経過が早く感じるのか、自分が没頭出来ているから時間の経過が早く感じるのかはわからない。おそらく後者だろう。YouTubeを見ている時も時間の経過が早い気がする。別に没頭している感じはないけど。それに似た感覚でいうと、まだ明るい時間に映画館に入って映画を観て、映画が終わって外に出ると外は真っ暗。そんな経験を思い出した。この時ってどんな感覚だったっけ?思い出そうとしても、思い出せない。久しぶりに映画館で映画を見たいなと、思った。その感覚を思い出すために。この場合、観たい映画があって映画を観るのではなく、この感覚を思い出したいがために映画を観に行きたいと思っている。どうせ観るなら面白そうな映画がいいけど。子どもがいるし子どもと一緒に観れる映画がいいかな。そんで子どもたちは映画館の時間の旅(さっき言ってたやつ)をどう感じるんだろう。何も感じないかな。いや、子どもは色んな事に敏感だから何かを感じるだろうな。とにかく変な気持ち、不思議な感覚、本当に時間旅行をしたような、あの感覚。あの感覚を感じたいがために映画を観に行こうと思います。ここまで来ると子どもたちが起きてきそうだけど、今日は疲れてるのかな。まだ寝ている。今日は学校も休みだし、休日だから。家族の誰かが起きてきたら現実に引き戻される感じになるのかな、ふと思った。現実に引き戻される感覚、映画館で映画を観た時の感じに似ている。やっと少し思い出せた。って事は今時間旅行してる?早起きも悪くないかも。まぁそもそも子どももいるしそんなに遅くまで寝るタイプではないけど、とびきり早起きのタイプでもない。6時半くらいに起きて、犬の散歩に行って、コーヒーを入れて朝が始まる。朝ごはんは食べない。なんなら昼も食べない時もある。基本一日二食、もしくは一食。褒め称えられるような事ではないけど、妻は食費が浮くので喜んでいる。

子どもたちも起きてきたし今日はこの辺にしとこうかな。もうちょっと書けそうだったけど。朝ごはんを作ってあげよう。俺は食べないけど。息子には何も考えずに文章を書く技術を教えてあげようかな。この方法で学校の宿題の作文書いて行ったら怒られるだろうな(笑)目的が違うから。ただ一つわかったのが、書かなきゃって思ったら書けなくなる。多分息子もこの状態になってるんだな。って事はこれをやらなきゃ!って思ったら出来なくなくなる。好きな事なら出来るだろうけど。別に対して好きじゃない事、嫌いな事、面倒くさい事とかは確実に出来なくなる。正確にいうと出来なくはないけど、やるまでにパワーがいる。サッカーノートに書いていたような根性論のようなパワーが。って事は俺サッカー好きじゃなかったのかな(笑)だいたい好きってなんだよ。興味、楽しい、ワクワク、ドキドキ、ハラハラ。そんな感じかな。