見出し画像

無思考のすすめ

さて今日も何も考えずに文章を書いてみる事にした。パソコンを触りながら画面と向き合いながら何も考えていない。無思考状態。あー、もうどうしよう!と、思いながらキーボードを打っている。テーマを決めずただひたすらに書いている。前回は意外と書けた。4000字くらい書けたけど、時間があればもっと書けた。でも今は全く書ける気がしない(笑)ご飯を食べたばかりで満腹だからかもしれない。食べたものの消化にエネルギーを使っている感じで、書くことに全く集中できていない。前回書いたのは朝の四時半。実際書き始めたのは五時くらいからだったけど、しっかり睡眠も取れていたし、食事をしてから時間も経っていたので、書くことに集中できていた。何も考えずにすらすら書けていた。だけど今は違う。満腹だし、夜だし、周囲の音も気になるし。全く手が進まない。満腹だからなのか、まもなく一日を締めくくろうとしているからなのか、それとも別の何かが原因なのかはわからないけど。ただ一つ言える事は、満腹状態である食後の仕事は、間違いなくパフォーマンスが低下するということ。朝ごはんをしっかりと食べて満腹の状態で学校に行っているこどもたちは果たして授業に集中出来ているのか。ふとそんな疑問が頭に浮かんだ。当たり前のように三食しっかり食べなさい、と言われ育ってきて二十代半ばくらいまで三食しっかり食べてきた。もちろん三食食べない日もあったけど、基本的には朝昼晩の三食食べていた、というより、食べるようにしていた。そんな時に逆流性食道炎になった。胃薬を飲んだり、ガムを食べたり、色々試したしけど、二食にしたらあっという間に治った。単なる食べ過ぎが原因だった。そこからは食べたい時に食べる。お腹が空いたら食べる、に変更した。今は基本的には一日一食もしくは二食。食べたい時は食べるけど、三食食べた日はやっぱり一日体が重い。それこそ一日中消化にエネルギーを使っている感じがする。せっかくのエネルギーを消化にだけ使っていたらもったいない。ちなみに今日は二食食べている。そのお陰で全くと言っていいほど書くことには集中出来ていない。椅子が少し低いせいで肩が緊張しているのも気になるし、いつもとは別の環境で書いている事も気になる。集中している時はそんな事全く気にならない。だけど今はものすごく気になる。部屋の中を歩いてみたり、貧乏ゆすりしてみたり、貧乏ゆすりをしてる時点で全く集中出来ていない証拠だ。この作業は自分にとって仕事でもなければ遊びでもない。それでもなんとかもがきながら書こうとしている自分は変態だな、と思いながら書いている。そんな事を考えていたらパソコンのバッテリーが9%になっていたので、充電しながら書いている。充電しながらパソコンを使うと手が痺れてきて体に悪そうな感じになるから嫌なんだけど、それでも書くって変態を通り越してなんなんだろう(笑)充電する事でパソコン本体の熱も上がるし、手も痺れてくるし、更に集中しにくい環境になった。だけど適当に書いているから、なんとか書けている。これがカチッとテーマを決めていたら、行き詰まって、外に出たり、風呂に入ったり、と気分転換をしながら書かないと続けられないと思う。作家さんたちが空腹である午前中に仕事を終わらせて、お昼ご飯を食べて、午後からは散歩をしたり、ランニングをしたり、家族とのんびり過ごしたりしている理由がよくわかる。食後はパフォーマンスが低下する事を感覚的に知っているのだろう。稀に夜に書いている人もいるみたいだけど、そういう人は昼夜逆転している人かショートスリーパーの人かな。いわゆる夜型の人。自分はどちらかと言えば朝型だ。早起きは嫌いじゃないし、早く目が覚めた時はそのまま起きて絵を描いたり、文章を書いたり、散歩したりしている。何より朝の時間は誰にも邪魔される事がないから集中できる。奈良クラブに所属していた時の練習開始時間が朝の八時だった。今考えると凄い集中出来ていた気がする。逆にマルヤスに所属していた時は練習が夜で、帰りが遅くなるから夕方に家族と食事をしてから夜の練習に行っていた。練習前だから軽めに食べていたけど、今のような集中力のない状態だったのかなと思ってゾッとした。そもそも夜に練習する事自体あまり好きではないんだけど。中にはそのリズムが心地よい人もいて、夜の練習の方がいいっていう人もいた。その辺の感覚は本当に人それぞれなので、自分の気持ちいいところを探りながらやって行けばいいと思うけど、自分はいろんな経験を経て今のスタイルになっている。食べたい時に適当に食べて、書きたい時に適当に書く。絵も同じ。描きたい時に適当に描く。絵を描く事も本当に面白くてこれを描かなきゃとか、こう描かなきゃ、とか思うと途端に描きにくくなる。適当に、気持ちいいとこ探しながら描くとすらすらと時間旅行しながら描けちゃう。ここで使っている適当って、いい加減にとか雑にみたいな意味じゃなくて、うまくあてはまるとか、丁度いい感じみたいな、本来の意味の適当。これが本来の意味かどうかは知らないけど間違いなくこのテキトーではない(笑)言葉の意味もどんどん変えられてしまっていっているし、言葉自体もどんどん少なっている気がする。しっかりとした日本語を使えるようにしないとな、なんて思いながらもまだその勉強は出来ていない。ただ日本語って本当に凄いから、主語がなくても基本的には通じちゃう。「寒いね。」って言えば「寒いね。」で返ってくるし、日本語の共感力はハンパじゃない。この辺の魅力や面白さが若い子たちにも伝わればいいと思うし、母国語をしっかり覚える前から外国語を覚えようとするっていうのもどうなんだろう、って思ったりもする。とりあえず腰が痛いから一回立ち上がって伸びをした。我が家の犬も朝起きると身体が固まっているから、必ずイヌのポーズをして身体をブルブルと震わせて筋肉をほぐしてから起きてくる。これをしないと身体がほぐれないんだよな〜、って思っている訳ではなくて遺伝子レベルに刷り込まれているのだろう。天気のいい日は太陽の日差しを浴びながら日向ぼっこ。体調が優れない日は何も食べずに寝ている。もちろん我が家の犬は野生ではなく飼いならされてしまっているんだけど、しっかり観察してみると、人間が忘れかけてしまっている大切なものを常に思い出させてくれる。寒い日は犬の真似して縁側で日向ぼっこするだけで本当に元気が出てくるし、この元気っていう漢字も元々はこの「元氣」だよね。見ているだけでエネルギーが湧いてくる「元氣」。そういう事を言うと色々勘違いされそうだからあんまり言いたくないんだけど、でもこの「元氣」という漢字は見るだけで元氣になる。エネルギーが湧いてくる。この「元気」とは明らかに違う。わかるかな〜。あ、でもスピ系などではございませんので悪しからず。話を戻すと、太陽を浴びるだけで元氣が出てくるし、体調が悪い日は回復にエネルギーを使えるように、何も食べずに休む。体が固まれば、伸ばしたり、ほぐしたり。体が固まると不調の原因になるからね。その昔この話を小学校の授業で話したらめちゃくちゃ面白がってくれてめちゃ盛り上がった。俺の師匠は犬なんだよ!なんつって。その時に小学生だった子たちとこの前中学校に授業に行った時に再会した。中学2年生になっていた。同じ話はしなかったけど、まだ良い感覚を持っていたし反応も良かった。その子たちが大人になるのが楽しみだし、お互いに成長して高みで会おう!と誓い合った!麦わらの一味が離ればなれになる時のように(笑)子どもたちと関わる仕事をさせてもらって本当に思うのは、子どもたちの感性は本当に豊かだな、って事。食後で眠い時間帯だから耳だけ傾けてくれたら良いよ!って、話をしたら目を瞑って聞いている子もいたけど、ちゃんと聞いている事は知っているから大丈夫(笑)先生は慌ててたけど(笑)ぶっちゃけ一時間の授業の中で一言でも二言でも覚えていてくれたらそれだけで十分だし、話なんて忘れてしまっていても全く問題ない。大人になっていろんな経験を積んだ時に思い出してくれると思うから。子どもたちが持っているイカした感性は大人になっていくにつれてどんどん削り取られていってしまうけど、感じとる力だったり、こども心はとっても大切だから失うことなく大きくなっていって欲しいな。って、本当に思う。おいおい、お前なんも考えずに適当に書いているから最後の方はいつも同じこと書いてんじゃね?って、思われた方、本当に適当に書いているので許してください(笑)何ならこの作業自体が手を動かすトレーニングみたいなものなので(笑)手を動かす、って事でいうと、料理も好きでよく作るんだけど、麻婆豆腐とあんかけ炒飯は得意料理の一つ。一つっていうか二つなんだけど一つ(笑)これが日本語の難しさ(笑)子どもたちも大好きでよく食べてくれる。料理もそうなんだけど、文章を書くこと、絵を描くことって本当に奥が深いし、大袈裟だけど人生観が変わるくらいのものだと思う。拘れば拘るほどいいものが出来上がるんだけど、そこはあくまでも適当に。気持ちの良いところを探していく。無理は体に良くないからね。もちろん多少無理する事も必要なんだけど、習慣の奴隷になってしまえばなんて事ない。それが体に馴染んでくる。奴隷と言えば体育の三角座りもやめた方がいいし、マスクなんてのも健康な人はしない方がいいに決まっている。少し前まではそうだったよね(笑)三角座りの話は前にも書いたからしないけど、マスクは言論の自由を完全に奪ってるし、みんなの笑顔も奪ってる。体調が悪い人はした方がいいと思うけど、健康な人はする必要はないよね。だって太陽の下にいれば三時間で自然に消えちゃうウイルスがマスクをつけていたら七日間ウイルスが残存するってデータも出てる。普通に考えればわかる事だよね。何が自然で何が不自然か。それに尽きると思う。とにかく道に迷ったら自然から何かを学ぶべきだし、自然が全てを教えてくれる。不自然な世の中だからこそ、自然から学びを得て、カッコいい人間ではなく、常に自然な人間を目指していく。近所に住んでいる師匠が言ってた。山に小屋作れ。って。あんなもん誰でも作れる。って。俺もまだ作った事はないけど、作れると思っている。でも普通の大人は作れないと思っている。そんなの無理だ。って。子どもたちに同じ話をすると、すぐ作ろうとするだろうし、多分作るために色々考えると思う。この子どもたちの反応に大切なものが全て詰まっていると思うし、こういう子どもたちが大人になってく未来が楽しみでしかたない!って、誰かの歌の歌詞みたいになってしまったけど、こんな大人が増えていく世の中は本当に楽しみ。面白い大人には子ども達が集まってくるしね。実際娘たちを幼稚園に迎えに行くと、まだお迎えじゃない子たちがたくさん出てきてみんなで俺のことをイジってくる(笑)いつまでも子どもたちにイジってもらえるような大人でいたいし、そんな子どもたちと未来を作っていきたい。子どもたちの可能性を少しでも広げてあげられるように、今日も明日も明後日も(ラムーかよ)ふざけていきたいと思います。でもただふざけるんじゃなくて意味のあるおふざけ。これが必要だし、重要。お金は必要だけど、重要じゃないのと同じ。急になんの話!?って、思うかもしれないけど、本当にそうなのです。お金をたくさん稼いだ人の最高の贅沢は無人島に行って自給自足すること。自分で作った葡萄を摘んでワインを作ったり、釣った魚を使って料理したり。結局行き着く場所は自然に身を寄せて、自分で作ったものを自分で食べる。自分で作ったものを自分着る。自分で作った家に住む。そんな江戸時代のようなような生活。自給自足してゴミも全てリサイクルしたり、土に循環させていくような。何か大事な時にはスーツなどの洋服ではなく日本の伝統的な和服を着れるような男に俺はなる!って、ワンピースを見まくっている息子の影響でルフィーみたいな感じになっちゃったけど、結局はルフィーになりたいのかも!?強くて空気読めなくて。だけど仲間を大切にするような。まぁ一番重要なのは日々楽しく生きること。死なずにね。ただそれだけ。病気をすると健康である事の有り難みに気づくし、経験してわかる事ってたくさんあるはず。だから色々やってみて楽しければ続ければいいし、つまんないなら辞めればいい。ほんとにそれだけ。なんでもシンプル。やっぱり今回は満腹だったし、ちょっと色々無理があったな(笑)でも手を動かすトレーニングにはなったし、いい感じに時間旅行ができたからOK(笑)以上!