とうろう作りに込める想い
皆さんこんにちは☺敦賀観光協会のスタッフです。
前回に引き続きとうろう流しについてのお話を。
今回はとうろうの台座となるさんだわらを50年近く作り続けた赤崎地区の木戸せつ子さんに当時のお話を伺いました。
木戸さんは昭和8年生まれの86歳。
お孫さんとひ孫さんと一緒に。とってもお元気です。
訪ねると、「今でもこうやってとうろうの話聞いてくれる人がおって嬉しいわ~」と笑顔で迎えてくれました。
木戸さんが作っていたのは藁で編んだとうろうの台座の部分。
木戸さんが作り始めたのは20代の頃。
とうろう流しは、戦後市役所に勤めていたお寺の方が戦没者の霊を慰めるため有志で始めたと木戸さんは記憶しているそうです。
最初は松島地区で作っていたのですが、市役所からの依頼を受け赤崎の婦人会で共同作業していたそうです。
決して高い賃金ではなかったけれど、戦後の大変な時なのでみんな一生懸命作業しました。
とうろう作りによって得た報酬は、婦人会で子育ての栄養学を学ぶ研修費として使ったそうですよ。
赤崎の婦人会さんで10年くらい作っていたそうですが、高度成長期に入りメンバーの皆さんは働きに出ました。
木戸さんも近くの工場に働き口があったそうですが、とうろう作りを続けました。それは、まだお子さんが小さく家にいたかった事、そして何より敦賀の伝統行事に携われているという事に喜びと誇りを感じていたそうです。
そして気付けば木戸さんひとりで毎年約3,000個を作成するようになっていました。
12月~3月の約4か月でこの数を作ったというので驚きます。
お子さんが大きくなると今度はお孫さんが遊びに来てくれるようになり、それもまた嬉しかったそうです。
お孫さんを見つめる木戸さんの優しい笑顔がとっても素敵☺
木戸さんはこのように足で藁を踏んで編んでいました。
とても力がいるのはもちろん、海に流しても倒れないようにまっすぐ隙間なく編まなくてはいけないので技術がいります。
ちなみにスタッフも編んでみたことがあるのですが…(藁をおさえる機械を使いました)
左:私が編んだもの 右:毎年作成されている方が編んだもの
違いがハッキリとわかる…(^^;)
そして木戸さんは、毎年8月16日にお子さんやお孫さんと気比の松原にいくのがとても楽しみだったそうです。
お孫さんにとってもとうろう流しはやはり特別なもので、”おばあちゃんが作ったとうろうが松原の海にたくさん浮かんでいる”という風景はとても誇らしく、お友達にも「おばあちゃんが作ったんやで!」とよく自慢したと言います。
特に、テレビや新聞などの取材が来るときにはとても嬉しかったのを覚えているそうです。
木戸さんは田んぼをやめて藁がなくなったのを機にさんだわら作りから離れましたが、半世紀もの間ひとつの事を続けるのは並大抵の努力ではありません。
手荒れがひどく、やめようかと考えたこともあるそうです。
ですが、敦賀市民それぞれが想いを込めてとうろうを流す特別な1日。
そんな”大切な伝統に携われている”という大きな喜びがあり
「こんな貴重な経験ができたのは自分だけ」
その事がとても誇らしかったと言います。
また、お孫さんが喜んでくれるのがとても嬉しく、それも続けてこられた大きな理由のひとつだったようです。
戦後から形を変えずに作られてきたとうろうも、ついに昨年より作り手不足と環境配慮のため”水にとけるとうろう”に変わりました。
寂しい思いをさせてしまうかな…と心配しながら伝えると、木戸さんは
「私、昔から環境のためにこの水に溶けるとうろうがないかって市役所に言ってたんや」
と。さすがです。
当時はこんなのなかったけど、今の時代はやっぱり何でもあるなぁ~とニコニコしながら写真を見つめていました。
ちなみに、先日お子さんやお孫さんがリモートで米寿のお祝いをしてくれたそうでそれがとても気に入り「墓参りもオンラインがいいかなぁ」と笑っていました☺
「形は変わってもご先祖様を大切に想う気持ちは変わらない。この敦賀の大切な伝統をずっと繋いでいってほしい」
と木戸さんに言われ、改めて大切なことに気付かされました。
とうろう流しは毎年、お経を唱えてくれるお寺の方々を始め多くの方の協力により支えられています。
私たちスタッフも、この敦賀の特別な1日に携われる事に喜びと感謝を忘れず伝統を守り続けていきたいと思います。
なお、今年は花火大会は中止ですがとうろう流しについては規模を縮小し行います。詳しくはコチラをご確認ください。
お読みいただきありがとうございました☺
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