僕が麻雀をやめるまで-住所不定無職編-


前回はこちら


今回で、僕が麻雀を覚えてからの一連の出来事に関するnoteはおしまいです。
今回はほぼエピローグみたいな感じ。

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前回のあらすじ
京都旅行を経て幼馴染Mとの交際へと発展した僕は、メンバー稼業に一旦の終止符を打つことにした。
すっかり麻雀を楽しめなくなっていた僕は、フリー雀荘に通うこともやめて、無為な日々を過ごす。
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2019年10月
メンバーを辞めてしばらく経った。
この頃の僕は、とりあえずまた派遣社員でもいいからとにかく『ちゃんとした』仕事を探して、まず働こうと考えていた。
居酒屋のバイトは他店ヘルプばかりで、5時間ずっと皿洗いみたいなシフトが2週間ほど続いたあたりで、あまりにも嫌気がさして辞めた。

さて仕事である。
ぶっちゃけなんでもいいが、まぁ手取りで20万くらいあればとりあえず良いだろうくらいの感覚で、派遣の仕事を探すが、これがまぁ見つからない。
この頃はまだそこまで追い詰められていなかったから、とりあえずコールセンター以外で探していたが、それでも見つからない。
時間だけが過ぎていき、次第に貯金も底をつき、ダラダラと過ごす時間が増えて行った。

そんなある日、母親から電話がかかってきた。
僕は両親のことがあまり好きではない。どちらかと言うと母が苦手だ。
幼少期から手を挙げて殴られた記憶は数知れず、更年期特有のヒステリックな発作のような発狂は、毎日地雷原を歩かされているような気分だ。
とにかく母の機嫌を損なわないよう、中高くらいはそれだけに邁進して、必死に毎日を過ごしていた。
まぁ、悪影響ばかりでもなく、僕が今料理にある程度精通しているのは母の影響でもあるし、ぱっちり二重は明らか母の遺伝だったりもする。
それでも苦手なのは苦手なので、大学進学を機に、家族とはなるべく関わらないよう過ごしていた。
ちなみに父には特になんとも思っていない。普通である。嫌いでもないし好きでもない。

そんな母から電話である。というか、電話がかかってくること事態一人暮らしをしていて初めてだった。
何事かと思い、渋々電話に出ると、母は電話口の向こうで開口一番に「あんた家賃払ってないんだってね」と言ってきた。
まぁ、心当たりしかない。
家賃を2ヶ月ほど滞納していたのは事実だった。
というか払える状況でなかったというのが正しいが。
続けて、母は僕に大家から退去命令が出ている旨を伝えてきた。

.......はい?
いやまぁ、家賃を滞納した側に落ち度があることは事実であるが、そんな2ヶ月滞納した時点で一発アウトってことも無いのでは。
状況を聞くと、大家の言い分として「再三にわたり家賃請求を督促したが、一切応じて貰えなかったため、連帯保証人である両親に連絡をした」との事である。
1ミリも記憶にない。
この時住んでいたアパートの大家は、同じアパートの上層階に住んでいた為、時折顔を合わせることもあった。
ちょっと、いやかなり変わった人で、何かある度にしょっちゅうインターホンを鳴らしてくるし、用事があれば電話もかけてくる。
僕はここ数ヶ月大家と鉢合わせた記憶もなく、電話はおろか、郵便受けにも何も無い。訪問された記憶もない。
まぁ、家賃を払っていなかった僕が全面的に悪いことに変わりはないが、それでも腑に落ちない部分が多かった。
だがしかし、退去命令が出てしまったことに変わりはない。
僕はこの瞬間を持って、不名誉ある住所不定無職の称号を獲得したのである。

退去までの日取りは、約2週間。
それまでに部屋を片して出て行かなければならない。
僕に残された選択肢は、その余地は当然なく、実家への強制送還がほぼ確定していた。

嫌に決まっている。どうにかしてこの運命から逃れる方法はないか。
なぜ大人になってまで母の機嫌を取る生活に逆戻りしなければならないのだ。全て僕の責任だが.......。

そこで妙案というか、唯一残された選択肢を思いつく。

僕は幼馴染Mに「家賃を払えなくなって家を出ていかなければなくなったので住まわせて欲しい」と、お願いする事にした。
いやもう、こんな売れないバンドマンのヒモ彼氏みたいな、中身の薄っぺい少女漫画みたいな、死ぬほどやり尽くされた展開を自分がすることになるとは思わなかったが、背に腹はかえられず、僕はMにお願いした。

まず、死ぬほど爆笑された。
それはもう笑われた。住所不定無職というワードが彼氏から飛び出してきて爆笑するのもどうかと思うが、まぁ笑うしかないわな、とも思う。
そしてひとしきり笑った後、Mは僕と一緒に住むことを受け入れてくれた。

まぁ、住む所はギリ定まっているが相変わらず「住所不定無職」と言われ続けることとなったのだが。
そしてこの不名誉な称号は件のネット仲間達にも瞬く間に広がり、それはまぁ笑われたり心配されたりしながら、11月になろうとする頃、僕はMの住む6畳一間のアパートでの新生活をスタートさせた。

こうして、僕の波乱のメンバー時代は瞬く間に終わりを告げ、ある種人生の区切りを1つ打つ事となった。
麻雀の方は、当然遊ぶ余裕もなく、僕はその後まもなくはじめた仕事に忙殺されながら生きて行く事になる。
僕がまたフリー雀荘に行くようになったのは、年が明けてしばらくしてからだったが、それでも回数は以前に比べて激減した。
月1回かそこらで、後はネット麻雀やら対局動画やらを見る程度。
あの時初めてフリー雀荘に訪れて勝ち取った1000円の熱は、すっかり忘れ去ってしまっていた。

そんな僕がまた雀荘に通い始めたのは、この時からさらに約一年後に出会った、ある雀荘がきっかけだった。

次回新章
『僕がジークで働くまで-ベイブ遭遇編-』に続く。

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