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人生のプレイリスト(心を整える)to けるぼんさん


夜分遅くに失礼します。こんばんは、

毎度お世話になっております。つるです。


まず、この文章を書く、あるいは読者の方に

読まれるに当たって、

次の事柄をお断りしておきたいと思います。


1.公の場に披露することになるとは

  知りつつも、これは、

  この文章を書くきっかけを与えて下さった、

  けるぼんさんという方へ向けての

  文章に他ならない、ということ。

  勝手ながら、本音に近い物言いとお思いいただいて、

  お読み下されば、のこと。


2.いつもの私の文体、内容とは、

  違う感じのものになるかと思われます。

  全て、けるぼんさんへ当てての、

  私の率直な心の言葉に努める事情であり、

  他の読者さまへ向けた言葉でないこと。

  万一、読まれるのであれば、

  あなたへ向けての言葉でないことを

  お断わりしておきます。

  気分を害されるようでしたら、

  読まれるのは、ご遠慮申し上げます。

  私は、けるぼんさんを信じて、

  この文章を書くのみです。


3.今まで、聞いてきた音楽を取り上げて、

  書くことで、

  結局、自分自身を救い出し、

  今後の人生を見据えて、死ぬまで生きられる

  自分でありたいと、

  いう目的の他でもないこと。


以上、3つの事柄において、

この文章を書くことにします。

参考にしました、けるぼんさんの記事(note)です。


早速、本題に移りたいと思います。

私に未来はあるのか、否か。

今一度、過去に聞いた音楽をふり返って。





 『 私はいつも独りだった 』  つる


1.


なるべく、自分の記憶をさかのぼりたい。

私の記憶の中で、最初の音楽と言えるのは、

眠っている時に見た夢だ。

月から地球を眺めている映像だった。

おそらくものごころつかない、

あるいは、ついていても、

それが月であり、

地球であることを認識できていない頃のこと

だったかもしれない。

音は聞こえなかったと思う。

でも、今48才の男である私にとって、

最初の音楽は?と聞かれたとしたら、

そう答えるだろう。

私にとっては、視覚も聴覚も一緒くただ。


私は当時から、

この世に見切りをつけていたようなものだった。

母の愛情の薄さを感じては、

それがいかほどのものかを、

恨みがましく探して確認するにつけ、

やっぱり、全然気にかけてくれないじゃないかと、

勝手に憤慨したりなどした、幼稚園、

小学生、中学生時代くらいだった。

あるいは今でも、燻っている。


父の我の強さも、嫌いだった。

あまりにワンマンで、奢り高ぶっていたので、

私は負けて、恨むのみの日々だった。

妹が一人いるが、とても構う余裕などない。

自分を維持するのに必死で。


今、思い出しても腹の立つ話だが、

まだまだハイハイしていた頃、

母が台所に立ち、私が不用意だったか、

おそらく母に構って欲しかったのか、

ガスコンロ下まで来たとき、

まかり間違えて、母は沸かしていたお湯を

私にこぼしてしまったのだった。

その話を当人から、聞くたびに、

まるで注意を払わない母を恨むのだった。

いまだに足にやけど跡が残っている。

今の私は、それを愛おしむしかない。

自分の人生を肯定するのであれば。


私の経験上、

幼稚園児くらいになるまでは、

毎日はうらみっこなしだった。

まあ、よくも子供だったので、

恨み辛みも、一過性のこととして済ませて

いられたのだろう。

でも、今の私が、覚えているということは、

もっと丁寧に扱って欲しかった。

愛情に気にかけて欲しかったと未練に思う。


それなりに元気に笑い飛ばす他無かった。

スコップを持って、砂遊びをする私は、

ただ何となく、日々をやり過ごすための

『 遊び 』でしかなかった。

夢中で、友達が砂場のトンネルを作って、

手を突っ込んで遊んでいる。

幼稚園に入る前までは、気楽なものだ。

私も砂に手を入れる。

中で、手と手を触れて、お互いにんまり笑う。

人生は、楽しまなきゃな。

私の目は少しずつ遠くなってゆく。

体の成長とともに。


妹がオルガン教室に通い始めた。

私は羨ましかったが、

第1子長男として、わがままは言えない。

私もやりたいとは、言えないし、

言ったら、何だか、『 負け 』を

認めるような気がして、言えなかった。

親だけには、抗っておきたかったのだと思う。


妹には、今でも悪いことをしたと思っている。

年を取ってから、冗談半分に、

「 お兄ちゃんは、何もしてくれなかったからねぇ。」

と屈託の無い笑顔で言われたことがある。

やはり分かっていたか。

彼女も、早くから厳しい道を行っていたようだ。


私は、青春時代を働いたようなものだ。

まことに勝手な言い分だが。

自分の領分をわきまえて、孤独に棲む。

それが一体、どういうことを意味するのかは、

知らないところが子供だったとは思うが。


世の中に躍り出るように、

幼稚園に通ったし、

小学生生活も挑んだ。

いわゆる社会生活をしなければならなかった。

独りでいる子供がいたら、放っておけなかった。

転入したきたばかりの子だったり、

いじめられていた子など。

でも、協調性もとても意識するところだったし、

そんな子供時分で、相手の子の面倒を見るには、

無理があった。

結局、いじめに加担することもあったし、

個人的にいじり倒す子などもいたりした。

いわゆる攻撃することで、ストレスを

解消していた。


音楽の話をしていないが、ともかく書く。

何もかも信じていなかった。

父が無神論者だったことも、

意外と大きかったかもしれない、という

今日この頃だ。

今は、亡くなった父。

一本筋を通した生き様だった。

晩年は、失敗をして無様な姿を見せて、

母を困らせたけど、

私はまあ、そんなところだろうなとは

思っていた。

素直な経験だけは、嘘を付けない。

年や恰好ではごまかせない。

ほんの言葉尻でも、私は私なりに人を判断する。

まあ、今は、なぁなぁな感じで過ごせればだけど。

父は、4人兄妹の末っ子だった。

母も4人兄妹の下から2番目。

まあ、大体がそんなところだろうと、

見つめる必要があった。


今でも口をつぐんでいるが、

本当は言いたい。

まるで、ぼーっと何も考えずに

生きてきたように見えたかもしれないけど、

お母さん。お父さん。

私は、目に見えないところで、

ずっと家族を見守って来たんだよ。

褒めてくれる人、気付いてくれる人、

いなくても、

お金にもならないけど、実は、

一杯働いてきたから。

家族の安泰は保たれたんだよって。

もちろん、私ばかりのおかげでもないとは

思うけれども、

いざという時、家族たちが当てにするのが、

僕であった。第1子長男。

母には、

「そんなこと(立場)、気にする必要なんて無かったのに。」

と言われるけれど、

そんなことを気にかけていないと、

家族なんてものは、簡単に壊れるんだよって、

言いたいのだった。



3.


とにかく、ストレスだ。

これを何とかしないと。

偶然、中学生で、音楽に出会う。

FMラジオを偶然点けて。

ヒューイ・ルイス&ザ・ニュース

『 スタック・ウィズ・ユー 』。

この曲を聞いた瞬間、

私のストレス解消の一番を知ることになった。

親も妹もそっちのけで、洋楽を聞きまくった。

毎週、ラジオ番組でヒットチャートを

チェックした。全て聞いた。


やはり、というか、孤独に反応する私が、

挙げておきたいアーティストがいる。

今も元気でいるといいけど。

順不同です。


♪ ワン・チャン

『 Everybody have fun tonight  』


♪ ロビー・ネヴィル

『 Neighbors 』(つづりは怪しく思われる)


♪ カメオ

『 ワード・アップ 』


♪ インエクセス


♪ エディー・マネー

『 Take me home tonight  』

など。

やや無名をあえて挙げてみた。


4.


高校時代。

もう、みんなハリボテに見えた3年間だった。

あれほど、つまらない時代も無かった。

何がつまらないって、とにかく人間だった。

先生も、おおむね、なぁなぁで暮らしていたように

見えたし、

今思うと、自分が一番つまらない人間だったのかも、

とも思われるが、ともかく

当時の私は、周りがつまらなく見えたのだった。

音楽は、いよいよ深みにはまっていった。

プログレッシヴ・ロック。

YES というバンドにはまった。

ソロ・アルバムも買い漁った。

この頃より、西洋クラシックにも接近しておいた。

主にバッハの鍵盤曲は、聞いておく必要を

感じていた。いわゆる対位法という作曲法に

着目していた。

音楽くらいしか、書くことの無い高校生活でした。

でも、その詳細も書く気にはなれない。

せっせと、聞いて、耳の肥やしにしていた。


5.


大学時代に入る。

一年浪人して、何とか受かる。

周りは、受験に対して、

高校3年生にもなれば意識しているようだったけど、

私はまるで、関心の外だった。

ただ、社会には出られない、無理だとは

思っていた。多分私の心は持たないだろうと。

まあ、普通にというか、

何より自分が一番素直でなかったような気にも

されたので、人並みに成長できたか、

いかにも怪しいものだったから。


学生生活をまだ、送る必要を感じて、

一浪してからは、得意の科目だけ、

一年間予備校で真剣に授業を受けて、

何とか大学に入れた。

地方の大学で、私は羽が伸ばせると

思った。久しぶりに心が晴れる思いだった。

入学と同時にパソコンを買う。

合格してから、4か月ほどの時間的猶予が

あったので、バイトをして貯めたお金で

買った。

パソコンは、小学生の頃から目をつけていた。

これからは、パソコンだ、と

子どもなりに、目を輝かせていた。

インターネットも普及していない時代の話。


音楽。

ハイにさせてくれる音楽を好んで聴いた。

この頃が、一番楽しんで聞けたと思う。


西洋クラシックだと、


J.S.バッハ 『シンフォニア第9番 へ短調』

グスタフ・レオンハルトのチェンバロ演奏が特に。


ヘルムート・ヴァルヒャの弾くオルガン曲。


コープマンのオルガンも、

自由に弾いている感じが、なかなか微笑ましくて面白い。

マニアックかもしれないが、

レオンハルトのオルガンも好きだ。

オルガンの選択、選曲が渋いのも好みだった。


モーツァルト 『 ロンド イ短調 』

ギーゼキングのピアノ録音に限る。


など、鍵盤曲を相変わらず好んだ。


90年代であって、

第2次(?)テクノブームが訪れる。

それまで、ピコピコ電子音は嫌っていた。

安っぽい感じが気に入らなかった。

今思うと、安直な偏見だったとは思うが。

ともかく、まずは、メジャーな

アーティストから聞き始める。


♪ アンダー・ワールド

『 レズ 』


♪ ケミカル・ブラザーズ

 『 ケミカル・ビーツ 』


とか、あとは、名前を忘れた。


テクノの何が良かったのだろうと思う。

今、ふと考えてみるが、

繰り返し、が良かったのだと思う。

ぼくの本性は、変化を好まないようだ。

保守的だし、動きたくない。

安全な場所にいつも身を置いておきたい。


テクノを聞いていると、

時間が止まったように感じる。

その間だけ、世間からお留守になれる、

そんなところだと思っている。


♪ スクエア・プッシャー

 『 lambic 5 poetry 』(つづり怪し)


♪ エイフェックス・ツィン

 『 IZ-US 』


♪ サージョン


♪ デイヴ・エンジェル


♪ デリック・メイ

 『 ストリングス・オブ・ライフ 』

 ( イノヴェイターというベスト盤が出回った )


♪ フォーテック

 『 二天一流 』


♪ 石野卓球

 『 ベルリン・トラックス 』(アルバム)


♪ ケン・イシイ

 『 インナー・エレメンツ 』(アルバム)


♪ 4hero

 『 パラレル・ユニヴァース 』(アルバム)


♪ ホワン・アトキンス


♪ 田中フミヤ


♪ キャプテン・ファンク


まあ、いろいろメジャーから、

ややマイナーまで、聞いた。

好みの音楽。スポンジで吸うように。

くだらない私にとっては、

どれも面白い音楽だった。


6.


~30代~


日本語の音楽を聞き始める。

この頃より、インターネットも普及して、

アマチュアの音楽も聴き始める。

今から20年以上前になるだろうか。

心の病気になった。

世間に出てゆかざるを得なくなって、

精神が破綻した。

こころが、もつれまくった糸のようになっていて、

もう自分でもどうしようもない精神状態だった。

再発も二度、経験した。

入院経験もある。

まだ、精神の混乱している時代だった。


♪ 中村一義

 『 犬と猫 』


♪ アラニス・モリセット


♪ ジョン・スペンサー・エクスプロージョン

 『 オレンジ 』(アルバム)


♪ ラッパ我りや


♪ ドラゴン・アッシュ


♪ ジョアン・ジルベルト

 『 声とギター 』(アルバム)


♪ ノエル・ローザ

 『 笑顔が最高 』

 『 ジョアン・ニンゲーン 』


♪ くるり

 『 ジュビリー 』


あと、いきなり中学時代に戻って、

恐縮だが、

トレイシー・チャップマンの

『 For you  』という歌だけは、

挙げておきたい。

私にとって、ベストマッチな歌。

歌詞の内容など、いまだに知らないけれど。


まだ、親にこだわっている30代であった。

ファザコン、マザコンとでも言うだろうか。

今のぼくは、どちらも受け継いでいて、

両親の持つ、言わばしぶとさみたいなものを

受け継いでいるのではないかと、

思ったりする。


40代。


7.


40代。

もうメインストリームには、

興味が湧かなくなっていた。

アマチュアの音楽を聞いて、

不満に思ったり、感心したり、

いろいろ思ったりが、

概ね楽しかったのかもしれない。

私の作る音楽もたいがいだが、

他の方の作られる音楽もたいがいに感じた。

音楽は、勝ち負けではないにせよ、

アマチュアレベルで負けた、

と思ったことは、数えるほどだ。

くやしかったけど、悔しがり方も、

アマチュアなりだ。まあ、甘かった。


そして、やっと、今、note に来ている。

私は、20過ぎから始めた音楽を辞めて、

この note に来た。

だから、この文章を書けている。

作っている間は、音楽にコミットするのは

恰好悪いことだと思っていたから。


音楽なんて、もうどうでもいいと思えた。

それで、残っている音楽に気づかされるのだった。

そこには、愛しかない。

いかようにでもとってくれ、とでもよびたき、

愛しか無い。


あとは、自分の経験、努力してきた道を

顧みつつ、出来るだけのことをするしかない。

出来る範囲でしか、もう出来ない。

これからも、出来ることは減ってゆくだろう。

見落とし、見逃し、見過ごし、

忘れ、放置、など、待っていよう。

もう勝手だが、許して欲しいと思うばかりだ。

最初に戻るが、結構努めてきたつもり。

今は、休みたい。

けれど、かくいう私がそれを許さない。

毎日が土壇場の気分。

相変わらず、ぶつかって、気を揉んだり、

失敗したり、恥をかいたり。

全然いけてないから。

いつか逝くだろう。

プレイリストとは、よくできた言葉と思う。

ふり返りの足りなかった人生だったと思う。


あぁ、俺、疲れてたんだ。

中学時代、勉強に、クラブ活動に必死だった。

家の玄関に辿り着いたとき、

倒れている自分に気づいたとき、思ったことです。


今も、相変わらずな私で、呆れます。


(終わり)



私信 ー> けるぼんさんへ


全然まとまりの無い文章で、

また非常に長くなってしまいました。

結構、私の中で話せる範囲で、

書かせていただきました。

正直、一言でもいいですので、

ご感想賜りますと、幸いです。

でも、まあ、死ぬまでは生きたいものです。

この年になって、やっと、

自分の出来ないことに目を向けるように

なってきたから。

切り開くしか無いかなぁ。

クリエイターになれるかな。

たまに人から言われます。

「 あと、もうちょっとなのに。 」って。^^

note も、いつまで続けられるか。

たまには、誰かの胸に顔を埋めてみたいもんです(苦笑)。

まぁ、どっかで骨を埋めます。

書く機会を与えて下さって、ありがとうございます。

感謝の日々を送らないと、

罰の当たる人生、送ってきたから。

せめて、今日も心地よく響くものに

出会えたらと、慎ましく思います。

(以上、結局徹夜して書いてしもうた、つるでした)


お着物を買うための、 資金とさせていただきます。