今この時に書いておきたいこと/何を「する」かと同じくらい大事な「しない」こと

朝のニュースで尊敬する有名人の訃報を知りました

「多様性」という今の時代、またこれからの時代へシフトする中で、とても重要な人物です。特に若い人にとても人気だけれど、私のような子持ちのそう若くもない世代にも、共感と尊敬が集まっていたと思います。その生き方や発言に、多くの人の心や生き方に影響を与えた人です。


ネット界隈で起こっている今の状況、今の景色をよく見ていてください

誰が、どんな動きをしているのか
何を発言し、誰にどんな働きしているのか、

テレビの放送一つとっても、番組のスタンス、局の姿勢が垣間見れるシーンがあると思います。その出来事に対して、その事実を利用しているように見られる点、多くの人から注目が集まる有名人の訃報は、時間を組んであれやこれや、コメンテーターの意見やネットの意見、近しい人のコメント、様々あると思います

それに対して、新しいメディアの形としては、私個人としては「必要以上に報道しない」意思を報道する。そんなあり方をとれる大人な社会への移行を希望します。

その人がその選択をしたことに対して、それは予兆があった故意なのか、突発的な事故なのか、その人が何を感じ、心に何を内在していたのかはその人のものです。

予測や、意見は「今」必要なことなのでしょうか。なんのために、誰のために、

利益のために、自分のために、ではありませんか?

何かを悩んでいる人のためであれば、きっともっと違う形のはず。

「コメントしない」コメントも、選択肢として尊重される、
私はそんな世の中へ移行したい。

世間を騒がせているのは誰ですか?
それはきっと、その人でもその事実でもなく、その周りの人でもないはず。

その人のために、ではなく、
その人のやりたかったことを、でもなく、
その人を追いやった何かへ、何かを向けることでもなく、

今大切にしたいのは何を「しない」のか


人の死をこねくり回すようなことはするな




心配の鎖より、応援の旗を振りたいから
私はその人の家族の心配もしません。

「思いやり」と「心配」は違います。

その人の子どもはまだ小さくても、大きな愛を受け取っているってわかるから。「かわいそう」と決めつけません。

どうか、その子を一方的な発言で、「不憫で可哀想な子」にしないで。
それを口実に、吐け口にしないで。


その選択をしても、私はその人のことを好きで尊敬していることは変わらないし、その人の愛で満たされたその人の周りの人たちも、素敵です。きっと大丈夫だと確信しています。





じゅんぐり回していきます☺️ 忘れた頃に、大きく育ってあなたのもとにも還りますように🙌🏼