断捨離で悟った④物を大切にすることは心を縛ることではない

①-③まで断捨離についてお話ししてきましたが、今回の番外編で完結でございます(長かったー)

ふぅっ。

さてさて、今回は物を手放す「抵抗感」についての補足と、一度じっくり物と向き合うと、あとの人生の時間が節約になるなぁ と気づいたエピソードです


使える物を捨てるのは悪いこと?

私はこの「悪い」が、言葉のトリックだと思っている

実際は、良いも悪いも無い。
見る方向によって良い・悪いは変わる。

例えば大麻は日本ではアウトでもオランダでは合法。牛を神様の使いとする人たちにとって、牛を食べるなんて悪魔かと思うかもしれない。
国や文化、宗教、価値観、個人レベルでも異なる

だから、「悪い」についても、悪い中身は自分が「悪い」と“思う”か“思わないか”で変わること

実際使える物を捨てることは日本の法律に違反しないし犯罪でも何でもない。

ではなぜ抵抗感や罪悪感があるのだろう?

①でもお話ししましたが、そこには『物を大切にしましょう』から変な方向へ行ってしまった思考がある。物を大切にすることは自分を罪悪感で縛ることではないはず。

そこにはこの2つの理由があると思う

①なぜ?何のために?が抜けている
②大切にしたい物を選んで買えていない


①なぜ?何のために?が抜けている

『物を大切にしましょう』

どうして?

〇〇だから物を大切にしましょう。とするなら、〇〇には何が入るか考えてみた

・物が可哀想だから
・物が泣いているから
・世界には鉛筆一本手にすることも大変な子どもたちがいるから
・資源を無駄にするから
・無駄遣いするとバチが当たるから
・お金がかかるから

こんなものが上がるだろうと私は思った

でもどうだろう


・物が可哀想だから
・物が泣いているから

その物が「可哀想」「泣いている」擬人化する言葉たちは、本当にその物が可哀想かなんて分からない。物が何を考えているかなんて、わかる?(少なくとも私には、物の気持ちがわかる特殊能力はない)

・世界には鉛筆一本手にすることも大変な子どもたちがいるから

それはそうだが、だからどうなのだ。

私が買わなかったその鉛筆が、その子たちに渡りはしないだろう。それは、もっと総合的な話だ。


・資源を無駄にするから

確かにそうかもしれない。
が、これを機に、物との関係を考えることなく買い続けたから、それも資源の無駄だろう。


・無駄遣いするとバチが当たるから

それは脅しだ。笑
無駄遣いしてバチが当たるほどしっかりしたシステムがあるなら、地獄はいらないよね


・お金がかかるから

これは確かにそうです。
効率的なお金の使い方をしたい


では次に、自分にとってはどうかと考える
一般論はさておき、私にとってはこうだ

・乱暴に扱って、本人や周りの人が怪我をすると嫌だから
・はやく消費してお金がかかるのは嫌だから

私が“嫌だから”でしかない

でも、その根底には“大切にしたい”がある
だから、大切にしたい(と思える)物を選ぶべきなのだ


②大切にしたい物を選んで買えていない

価格や手軽さで、それ程考えずに買った物と、
よく考えて買った必要な物では、扱いも変わる

できれば、丁寧に、大切に扱いたい物だけで揃えたい。それが『物を大切にする』ことにつながるだろう

『物を大切にする』と『物を選ぶ』ことは、とても関係が深い。

と気づいた。


宙ぶらりんになっている「中間の物」を日常的に減らすことが、リバウンドを防ぐことになる

実際、私の場合「普段使いの食器」は、もうあとの人生これでいいと思える物を探し当てた。自分の中の定番が確立されると本当に強い。

だってもう悩まなくていい、探さなくていい、その時間を違うことに使えるのだ。

これも、しっかり物と向き合うことで生まれた効果である。

この時間の節約感も心の安心になるし、軽さも実感した。だから、ぜひ『物を選ぶ』ことに手抜きせず取り組むこともおすすめしたい。

自分がいいと思えるものは、自分にしかわからない。だから、自分と向き合う時間にもなるよね

自分のために、時間を使って、
自分のこの先の時間を増やして、
自分を縛る物を取り払って、軽くして、安心して、自信を持って、心配することなくトライ&エラーを繰り返しながらも進んでいきましょうぞ☺️

じゅんぐり回していきます☺️ 忘れた頃に、大きく育ってあなたのもとにも還りますように🙌🏼