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つれづれつづり

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それぞれ、おのおの、つれづれにつづります。
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#030

そっちとあっち、そして、こっちすら。

「うつは治らない病気です」と言われた時はビックリした。ガッカリした。 当時はうつは病気だとやっと認知し始められた頃。 怠けてるだとか、気合が足りないとか、そんなイメージがまだあった。 自分でさえそう思っていたんだから仕方がない。 「うつは治らない」は正しいけれど、正しくはない。 完治という言葉はないけれど、寛解と言う言葉がある。 完全には治らずに、症状がおさまった状態にはなる。 何かのきっかけでまたなることもある。 そんな感じ。 寛解状態になった自分は、また働き始める。

くすぶる男/フリする男

1995年に大きな事件が起こる。 阪神大震災。 受験生だったので、阪神大震災は大きな事件だったのはわかるけれどその時はピンとこなかった。テレビはとぶくすりとガキの使いくらいしか見ていなかった。新聞や食事中のテレビで被害が大きいのを知ってびっくりする。そして、それで受験に支障が出る人の話を聞いたりして気の毒だと思った。せっかく頑張ってきたのに。 大学合格。 本当に良かった。これでなんとかメンツが保たれる。怒られなくてすむ。一言でたとえるなら「安堵」だった。(色々とすり込まれ

ピーク

自分の人生のピークはいつだっただろうか。 振り返れば自分の人生のピークは中学3年ごろだったかもしれない。 かといって、モテていたわけではなく。 お金がたくさんあったわけではなく。 じゃぁ、何か。それは、希望。 これからの人生に対して希望があった。 田舎の小童が中学に入って猛者達に揉まれる。 負けたらいけない、負けたら怒られる。 その一心で歯を食いしばって頑張った。 中学3年生になる頃には部活のおかげか体も大きくなって 満員電車でも自分の場所を踏ん張れるようになっていた。

64→1

平成元年。 新しい年号が「ヘイセイ」になったと知ったのは塾でだった。 2月上旬に中学受験を控える受験生で、冬期講習の真っ最中。 塾の先生が教えてくれたけど漢字を見たわけではないので 「ヘイセイ」が「平成」だと知ったのは夜に家に帰ってからだった。 正直なところ受験でそれどころではなかったので 「そうなんだ。」くらいにしか思わなかったけれど、 その前から感じている独特な雰囲気は察していたように思う。 少し前には国鉄がJRになって、海をまたぐ瀬戸大橋もできた。 もう少し前のつ