8月6日
この1年もまた、なにも変わらずさらさらと日々が過ぎて1つ歳をとってしまった。
嬉しくない誕生日。
誕生日が嬉しくなくなったのは小学校低学年頃、平和記念式典の中継をTVで見てから、原爆の映像を見てからだ。
白黒のパチパチした映像の中のまっさらな町、真っ黒に焦げたガリガリの死体、火傷をおった人々、スカスカの原爆ドーム、大きな大きなきのこ雲。
はじめて原爆の映像と写真を見た時、とてもとても大きいショックを受けた。
修学旅行では長崎に行き、資料館で直視できない写真をたくさん見て、原爆を経験したお婆ちゃんのお話を聞いた。
そして毎年、8月6日には朝から平和記念式典の中継とニュースと特集番組。
わたしが生まれた日、同じ日にたくさんの人がとても悲しい出来事で亡くなっている。
申し訳ない。
こんな人間が生きていて申し訳ない。
希望をもたず、未来をみず、生きたくない死にたいと思っているわたし。
こんな人間よりも、原爆で亡くなってしまった人、長崎でお話してくれたお婆ちゃんが原爆で亡くしたご家族、お友達、この方々に「いのち」があってほしい。
わたしなんかに「いのち」なんてものはいらない。
「生きたい」と思っている人に「いのち」があってほしい。
そう感じるのが1年の中で最も強くなる日。
自分のことが1番嫌いになる日。
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