一周回って「じぇじぇじぇ」は一周回ってみんな同じ位置にいるので成立してなくて恥ずかしい
「じぇじぇじぇ!」と言うのは恥ずかしいと思う
それは友人との会話だろうが、家族とのやりとりだろうが、ビジネスシーンでの雑談だろうが変わりなく、とにかく恥ずかしいに違いないと思うのです。
ただ、世の中には「一周して面白い」というとても便利な言葉があります。この「一周して面白い」とは、一体どういう意味なのでしょうか。
抽象的な言葉ですが、明文化すると、
「我々は安易に『じぇじぇじぇ』という言葉を使用することがチープで面白くない行為であることを理解しているが、あえてそれを使用することで、『じぇじぇじぇ』という言葉そのものと、その言葉を違和感なく使用してしまうこざむい連中を小馬鹿にし、世間よりも一歩進んだ感覚を持っている自分達の優位性を楽しんでいる」
となります。
「一周して面白い」は、おそらくはお笑い芸人が初めて使用し、後に一般市民に広く浸透した言葉です。しかし「広く浸透した」ためにこの言葉は死んでしまったのではないでしょうか。
どちらがマイノリティなのか
「じぇじぇじぇ」と言う人間には2種類あります。
①流行の「じぇじぇじぇ」という言葉を使用するのが楽しく、また周囲の人間もそれを楽しんでくれると思っている人間
②安易に『じぇじぇじぇ』という言葉を使用することがチープで面白くない行為であることを理解しているが、あえてそれを使用することで、『じぇじぇじぇ』という言葉そのものと、その言葉を違和感なく使用してしまうこざむい連中を小馬鹿にし、世間よりも一歩進んだ感覚を持っている自らの優位性を楽しんでいる人間
という2種類です。
あなたはどちらでしょうか。もちろん、「じぇじぇじぇなんて言わねぇよ恥ずかしい吐き気がする大人を舐めるな死ねよ」という方が大多数だと思います。
しかし一方で、②の人も多いのではないでしょうか。
そう②の人は多いのです。②に該当する人にはショッキングな事実かもしれませんが。①がマイノリティであり、②はマジョリティなのです。
しかし②の理論は、①がマジョリティであることを前提としています。これがすごい矛盾を生んでいるのです。
「我々だけがわかっている感覚でもって、あえて『じぇじぇじぇ』と言っている」というのが②の人の理論ですが、そもそも「我々だけが」の部分が間違っているのです。みんなそうだから。なんにも特別じゃないから。普通。その感覚、普通です。みんな持ってるやつ。
じぇじぇじぇスパイラル
やっかいなのは、生活の中で「じぇじぇじぇ」と言っている人間に出会っても、その人が①なのか②なのかわからないということです。
いや、「どちらかわからない」というよりも、「②であることがわからない」と言うべきでしょうか。
居酒屋の隣の席のヤツが『じぇじぇじぇ』って言っている・・・
その状況で「あ、彼は高い意識を持って一周回って『じぇじぇじぇ』を笑っているな」と思うことがあるでしょうか。
ない。絶対ない。「じぇじぇじぇ」と聞いた時点で、「ああ、こいつ①だ」と判断して嘲笑するに決まっています。自らの②の立場を守るために、「流行の『じぇじぇじぇ』という言葉を使用するのが楽しく、また周囲の人間もそれを楽しんでくれると思っている人だー♪」と判断するに決まっています。
すなわち、この世は「あえて『じぇじぇじぇ』と言っている人間」と「あえて『じぇじぇじぇ』と言っている人間」がお互いに「あいつ恥ずかしいヤツ!マジョリティ面白い!俺はそれを面白がる感覚を持っている!」と思い合う「じぇじぇじぇスパイラル」状態にあるのです。
やめよう
とにかく「じぇじぇじぇ」と言うのをやめましょう。恥ずかしい。「じぇじぇじぇ」も「今でしょ」もなんもかんも、全部です。やめよう。
あえて言ってようが、本気で気持ちこめて言ってようが、同じですから。
なによりその「俺だけがわかって言っている」という優位性は幻想でしかないから。みんなだから。それを思ってるのは。みんな。平々凡々。尋常一様。無難。ありふれた発想。
ね、やめよう。マジで。いや言ってもいいけど。俺はお前のことを①と思い続けるからな。いくら②を主張しようと。おれはお前を①と断じてバカにし続けるからな。なぁ!いいんだろ!覚悟しろよ!それでいいなら言えよ!
このように、「一周回って面白い」はすでに皆が持っている共通認識であり、みんなで仲良く一周回って同じ位置にいて、それに気づかずお互いに周回遅れだとバカにし合っているという、まったく意味のない理論なのです。
本当にやめましょう。
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