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反出生主義者は、内密出産を行った慈恵病院に心から敬意を表します




私は「妊娠」「出産」に関して否定的な考えを持っています。


具体的には・・・

・  この世に新たな命を連れてくるのは、今生きている側のエゴである。

・  生まれてきて良かったかどうかを判断するのは「連れてこられた側」である。「連れてこられた側」がこの世界を「苦」と感じ、改善の余地がない場合には取り返しがつかない。

・  この世界は全員が平等にしあわせになれる場所ではない。自死を選ぶ人、自死という選択を頭の片隅に置きながら生きる人が一定数いる。この世界に生まれてくることはギャンブル。子供を作ることは、命を使ったギャンブルである。

・  「誕生」は「死」とセットである。命を生み出すことは、死苦を与えることでもある。


こうした考えから私は「子どもを産むのは良くない」という道徳観を持っています。
堅苦しく言うなら「反出生主義者」というやつです。

私には、新たな命をこの世に連れてくることが思いやりのある行為とは到底思えません。

人の物を盗んではいけません、道にゴミを捨ててはいけません、外国人や障害者やLGBTを差別してはいけません、人の命を奪ってはなりません、
こうした感覚と同列で、「新たな命をこの世に連れてくるものではありません」という道徳観は、今の私の中で定着しています。

20代半ば頃からこのような道徳観を持ち始め、それが少しずつ確固たるものになっていくにつれて、私は「妊娠」「出産」といったものに苦々しい感情を抱くようになりました。

友人や同僚が妊娠したことを知ると、いつも複雑な気持ちになります。
深い意味のない世間話であっても、業務上の必要連絡であっても、マタニティーライフに関する事柄はなるべく聞きたくありませんし、世間に漂う出産賛美の風潮には拒絶反応を覚えます。

もはや「妊娠出産アレルギー」とも言える反出生主義者の私ではありますが、
いや、そんな反出生主義者だからこそ、内密出産を行った慈恵病院に心からの敬意を表したいと思いました。

内密出産のニュース記事↓


内密出産は法に触れる可能性が指摘されていますし、賛否は大いにあると思います。
けれど院長が刑事罰に問われる可能性も承知で、内密出産を行ったことで、母子の安全は守られました。
内密出産を行った19歳女性は、「病院で出産できなければ一人で産んで捨てていたかもしれない」と話してたのです。

乳児遺棄の件数からも推測されるように、日本には一定数の孤立出産(医師や助産師の医療的ケアを受けずに自宅等で一人で出産する)が発生しています。

私は看護学生をしていたとき、病院実習で出産の場面を見させていただいたことがあるのですが、あれだけ沢山の血が出て、胎盤やへその緒といった内臓も出てきて、大人の女性でも痛みのあまり叫ぶ人がいるものを、一人でやるのは想像するだけでも、ものすごく不安で怖くて苦しいだろうなと追い詰められた状況に心痛みます。

看護実習では、分娩時に大量に出血する、へその緒が胎児に絡まる、といった事故はつきもので、正常な分娩は当たり前じゃないと教えられました。
「出産は命がけ」とはよく聞きますが、決して大げさな表現ではないなと学生ながらに感じたものです。
先進国の中でもトップレベルと言われる日本の産科医療のもと万全の体制での出産であっても、年間50人の女性が出産で命を落としています。

慈恵病院が内密出産を行ったことで、何をともあれ母子の安全を守ることができたのです。


院長の会見で強く印象に残った部分があります。

(内密出産をした19歳の女性は)「病院で助産師や相談員に会い、『大人にこんなに優しくしてもらったことはなかった』と言っていた。当然の対応をしただけだが、そう言わせる環境が女性の周りにはあった。自己責任という意見もあると思うが、女性が育った環境も理解してほしい」

「大人にこんなに優しくされたことはなかった」
この言葉に、女性の今までが詰まっているんじゃないかと。

人として当たり前の優しさを受け取れないまま育ったのに、慈恵病院に頼るのもすごく勇気を使ったんじゃないかと思います。
女性は母親からは虐待を、パートナーからは暴力を受けてきて、そんな中でも子供を生き延びさせるために内密出産を選択しました。
本当に最善の選択だったと思います。

出産後は「世界で一番幸せになって」と手紙を赤ちゃんに託したそうです。

苦しい環境を生き抜いてきた中でも、失われなかった彼女の心に、私は人間の尊厳がきらりと光るものを感じました。
もしその女性が身近な人だったら「本当に頑張ったね、えらかったね」と声をかけたい気持ちです。




私は反出生主義だからこそ、今生きている命にはしあわせであってほしいのです。

私たちは「生まれる/生まれない」を選べません。
否応もなしにこの世に来たのだから、せめて回避できる不幸は回避してほしいのです。


女性が危険な孤立出産に至らなくて良かった。
赤ちゃんが遺棄されて苦痛の中で過ごすことにならなくて良かった。


ベストなのは「内密出産をしないといけない状況」が生じないことなんですけど、(反出生主義的に言えば「すべての出産が生じない状況」がベストだけどまあそれはさておき)、乳児遺棄の年間件数から推測できるように、内密出産を必要とする人は相当数いるはず。


病院の関係者においても、本当にたくさんの議論や葛藤があったんじゃないかと。
困難な問題に真っ先に取り組んだ、慈恵病院の姿勢にわたしは深く敬意を表します。