2024年6月12日放送 AbemaPrime特集「反出生主義リターンズ」に出演させていただいて
2024年6月12日 22:00~23:00、AbemaPrime特集「反出生主義リターンズ」が放送されました。
子どもを産むのは罪―そう考える反出生主義。なぜそうした考えに?世界は苦しみだらけ?出産子育ては親のエゴ?大空幸星さんとともにゲストがトークする番組です。
私は反出生主義を持つ一人としてスタジオトークにリモート出演させていただきました。
スタジオトークの感想、そして限られた時間内で伝えられなかった反出生主義への思いを綴ります。
出演のオファーをいただいて
今回の番組企画を知ったとき、私は「反出生主義」にメディアのスポットライトが当たることを嬉しく、そして心強く思いました。
反出生主義というのは日陰にこもりがちな思想です。というのも、「私たちは産むべきではない」との考えを表に堂々と出すことは、モラルに反する恐れが非常に大きいからです。
合計特殊出生率が過去最低の1.2を記録したとはいえ世間に出れば、おなかに新しい命を宿した人、産まれた命を一生懸命に育てている人がまだまだ少なくはありません。
一度授かった命は何があろうと大切に育てていくしかない。そうした状況にいる人たちにとって、反出生主義の考えは聞いていて穏やかでいられるものではないでしょう。
反出生主義の思想は長らく書物やインターネットといった限られた空間でのみ議論がなされてきました。
しかし多分野から集まったゲストらがトークする方式のAbemaPrimeでなら、反出生主義の正しさを一方的に主張するばかりではなく、反出生主義を多角的な視点からとらえて視聴者に伝えることが可能です。
私にできることであれば協力したいと思い、番組出演のオファーを受けることにしました。
出演にあたり心がけたこと
番組出演にあたって私は一つのことを心がけました。
それは「ぎこちなくてもいいから最低限の品格だけは崩さないこと」です。
攻撃的な表現、ヘイト剝き出しの表現は当然として、ネットスラングも安易に用いないように気をつけました。
私はLGBT当事者でもあり、LGBT啓発活動に関わっていた時期があります。活動を通して、マイノリティの一人の主張だとしても、世間からはそれがマイノリティ全体の総意のように捉えられてしまう、ということを経験しました。
反出生主義は現在、インターネットで妊婦叩きをするような一部の過激派が目立っており、反出生主義自体が「危険、怖い、怪しい」といったイメージを持たれているように感じます。
反出生主義は本来、生殖を控えることで苦しみを感じる主体を生み出さないこと、ひいては苦しみを感じる人が誰一人存在しない世界を目指しており、究極の博愛主義とも言える優しい思想なのですが、ごく一部の過激派が目立っているために本質が伝わらず、「なんかヤバそうな思想」のイメージが先行している現実にはがゆい感情を抱いてきました。
反出生主義は決して、誰かを殴る言葉の凶器でもなければ、ヘイトを生み出すことを目的にしているのでもない。命の倫理を真摯に追究した思想です。
むやみに反出生主義のイメージを悪くしないためにも、言葉遣いには気をつけるよう努めました。
反出生主義を持つようになった経緯
番組内容と少し重複しますが、私が反出生主義を持つようになった経緯について改めて綴ります。
かつての私はとてもピュアでした。悪く言えば、自分の頭で考えることをせず、世間で善とされている価値基準を疑わずそのまま自分の価値観に落とし込むタイプでした。
二十歳くらいまでは「自分もいつかは結婚して母親になるのだろう」と考えており、またそれが正しいことであると疑っていませんでした。
「生まれてくることが絶対的な善」に疑問を抱くようになったのは大学の実習期間です。
私は看護系の学部に通っており、3年生秋から4年生夏にかけて、付属の大学病院、高齢者施設、障害者施設などに実習に行かせていただきました。
生まれる命、消えゆく命。植物状態の命。難病を抱えて生きる命。難治性精神疾患を抱えて生きる命。重度障害を持って生きる命。これまでの生活で目にすることのなかった命のリアリティを前に、命とは何か、生まれてくることは絶対的善なのか、生きながらえることは絶対的善なのか、命について初めて自分の頭で考えました。
大学卒業後、精神科病院での勤務を機に出生賛美を本格的に疑うようになりました。
それまでの私は、人間の一生における幸福の量と不幸の量は平等だと考えていました。人生の前半で苦労の多かった人は後半で幸せに暮らせると。残念ながら現実はそうではありませんでした。社会の歪みをいくつも引き受け、苦難の連続した人生を送る人がいることを知ってしまったのです。
亡くなった患者さんのエンゼルケアをさせていただいたことがあります。閉鎖病棟で長年、難治性精神疾患と闘病されてきた方でした。陽なたを歩くことなく息を引きとったこの方は幸福だったのだろうか。たくさんの娯楽があって、たくさんの物語があって、たくさんの煌めきがあって、たくさんの美しい景色があるこの広い世界において、閉鎖病棟の中で完結したこの方の人生は何だったのだろうか。ご遺体を清めながら、死化粧を施しながら、考えざるをませんでした。もしも来世が存在するならば、来世こそは外の風を全身で感じてほしい、鉄柵の窓ごしでない視界から空を見上げてほしい、いろんなところに行ってほしい、たくさんの楽しいことがこの方に訪れてほしいと心から願いました。
私は反出生主義に傾倒していくようになりました。図書館で文献を借りたり、書庫の論文雑誌をコピーさせてもらったり、反出生主義賛成派・反対派それぞれの書いたブログ記事を読んだり、また私自身もnoteにマガジンを立ち上げて積極的に発信するようになりました。
女性に支持されている思想?
今回の番組において、VTRを含め反出生主義の考えを持つ当事者として取り上げられた3名は、偶然にも皆女性であったことから、視聴者からは「反出生主義者は女性が多いだろうか」との疑問の声が上がりました。
反出生主義者の性別の比率をしめすデータはありませんが、私の体感として「女性に支持されている傾向」は若干あるように感じます。
あくまで私の想像なのですが、女性は妊娠出産する機能がついていることから男性よりも妊娠出産について近いところにいること、特に20~30代の女性は友人が出産ラッシュということも多いため、妊娠出産について身近に感じられることが多いためではないかと考えられます。
不幸な人間の思想?
スタジオトークの中盤では、「反出生主義を持つ人は自分の人生が充足していないのでは」との指摘がありました。
冒頭で森岡氏が説明したように「反出生主義者=苦しい経験をしてきた人や不幸な人」とは限りません。理詰めの思考プロセスを経て反出生主義にたどりつく場合もあるからです。
ただ反出生界隈に身を置いてきた私の体感として、たしかに反出生主義者は、虐待、貧困、病気、障害、いじめ被害、犯罪被害などの苦しみを抱えてきた人が多い傾向にあります。
それはやはり大きな苦しみを経験しない限りは出生賛美を疑う機会はほぼないに等しいからではないでしょうか。
今の日本社会にはあまりにも出生賛美一色です。道徳や保健、家庭科の教科書には、「子どもを生み育てる」ことこそが自然であり、正しい人生のお手本であるかのような文言が載せられています。「結婚して子どもを作るのがスタンダード」という価値基準はまだ残っていますし、政府は少子化対策に躍起で、命の誕生は無条件にすばらしいことと賛美されています。
よほど物事を深く考える習慣のある人でない限り、何らかの大きなきっかけがないと出生賛美の風潮を疑うことはないでしょう。
私自身は、特別に苦しい人生を送って来たとは思っていません。たしかに私は、発達障害を持っていたり、精神科に通院していたり、性風俗店で働いてきたりと、一般の人が経験しない苦労をしてきたことは事実です。その一方で、世間の人がするような苦労をしていない面もあります。世間が想定する「標準的な人生のレール」に沿った生き方を諦めているので、たとえば婚姻生活を継続する苦労とか、夫側の親戚づきあいの苦労とか、部下を育てる苦労とか、そうした苦労は一切していませんし、これからもするつもりはありません。決して順風満帆だったとは言えない人生ですが、かといって自分のことを特別に不幸とも思っていません。
ただ、発達障害や精神科通院、性風俗店勤務といった経験が、私の反出生主義に影響を与えていないかと言われたら嘘になります。
人生に絶望し、いっそ死んで楽になりたいと思い詰めていた時期がありました。その時期は、飛び降りるのに適した高さのビルを探したり、大きな河川の橋の上で「今飛び込んだら楽になれる」と川面を眺め続けたり、首吊りロープの結び方の練習をしたりと、ひたすら自殺のことを考えていました。類は友を呼ぶのか周囲にも困難を抱えた人間が多く、その中の何人かは実際に自死を完遂しました。面識のあった人が、一人、また一人と自ら命を絶つたびに、そこに至るまでどれだけの葛藤や苦痛があったかを想像して胸が痛くなります。
もしも私がこれから先、一生困らないお金を手に入れて、健康も手に入れて、趣味も充実して、ハッピーしかない人生になったとしても反出生主義を支持し続けます。
日本の年間の自殺者は年間2万人台で推移しています。令和4年の自殺者は21881人、全体の死者の1.4%を占めています。(政府統計・厚生労働省『令和4年人口動態月報年計の概況』より)
ただこれは統計上の数字で、実際の自殺者はこれより多いと言われています。遺書がなかった場合、変死や不審死としてカウントされる場合があるからです。自殺未遂者は自殺者の数倍~数十倍はいると推定されています。
自殺者・自殺未遂者をゼロにすることは不可能に近いでしょう。
私一人が幸せになったところで、誰かが抱えている自殺を考えるほどの苦しみは解決できない。自殺を考えるほど苦しみを経験した以上、自分が救われたからといって他の人はどうでもいいとはならないのです。そして人間が存在する限り、戦争、差別、犯罪、貧困といった問題もゼロにすることはできないのです。
反出生主義は理詰めの思考プロセスからも導き出せるイズムの一つです。苦しみの経験はあくまで入り口に過ぎません。
入り口が消えたとしてもたどり着いたイズムが消えることはないのです。
「生まれたくなかった」を乗り越えるべきか
番組の終盤で、森岡氏は誕生肯定についても触れました。
誕生肯定とは、「生まれたくなかった」との暗黒を乗り越えることで、その先に「生まれてきてよかった」との光を見出そうとする道であり、森岡氏は反出生主義を支持すると同時に誕生肯定も提唱しています。
この誕生肯定に私個人としては賛同しかねました。
私自身が「生まれたくなかった」と思おうが「生まれてよかった」と思おうが、人類そのものに存続する価値がないのは変わりないからです。人類は愚かです。歴史は繰り返します。第二次世界大戦の惨禍があったにもかかわらず、今も世界で戦争が起こっています。憎しみが憎しみを呼び、報復が報復を呼ぶ、負の連鎖の断ち切りがいかに難しいかを感じます。
人間同士の殺し合いは遠い外国の出来事ではありません。自己責任論の蔓延、生活保護バッシング、ブラック企業の蔓延、いじめ自殺や過労死の発生と、わが国でも間接的に人間同士での殺し合いが続いていると言えるでしょう。
この世界に生まれた以上、殺し合いに巻き込まれるリスクは程度の大小はあれ誰もが引き受けなければなりません。
100%安全に生きられる保証のないこの不確かな世界に、新しい命を召喚することは命を用いたギャンブルであり、とても人道的なことと言えません。
そもそも、「生まれてよかった」が善であるとの感覚が、私には非常に傲慢なものに思えてなりません。
人間として生まれた以上、私たちは加害せずに生きていくことは不可能です。私たちは限りある資源を消費し、環境破壊を進め、食肉を得るために動物を殺します。発展途上国の安価な労働力を搾取します。私たちの快適で豊かな暮らしは誰かの犠牲で成り立っている、その現実に目を向ければ「生まれてよかった」と思うことは難しいのではないでしょうか。
相対主義の視点から
反出生主義について、相対主義の視点からも触れたいと思います。
宇宙はピラミッドのような安定した秩序はなく各々が独自の秩序を持っており、真実は無限にある故に真実を一つに決定することはできないとの考え方を相対主義と言います。
例えば。
暴力や殺人は犯罪とされていますが、相対主義から見ればそれを悪と言い切ることはできません。路上で突然殴られた被害者は偶然にも痛めつけられると興奮する性癖を持っており、暴力被害を迷惑と思っていないかもしれません。通り魔で殺された被害者は偶然にも敵国から送られてきたスパイで、その人が殺されていなかったら国家の機密情報を漏らされて国が危機に瀕していたかもしれません。
今でこそ自殺は何としても阻止すべきこととされていますが、戦時中の日本には「生きて捕虜となるくらいなら自決せよ」との規範意識が存在していました。沖縄の地上戦では捕虜となることを恐れた民間人による集団自決が後を絶ちませんでした。
中国の武漢で発生したCOVID-19、通称新型コロナウイルスの感染拡大においては、人権思想が危機管理の足枷になりました。監視社会の下、人権制限をためらいなく行い、陰謀論が流布されないよう言論統制も徹底していた中国やイスラエルが早々に最悪の状況を抜け出した一方で、人権思想がある故に強制力ある政治判断が下されなかった国では、医療崩壊や経済的損失を招き、人命にも深刻な打撃が与えられることとなりました。
私にとっての善は誰かにとっての悪であり、誰かにとっての善は私にとっての悪である。
昨日まで信じられてきた正義が今日には過ちとなり、今日教わった真実が明日には虚偽になる。
すべての認識や評価は相対的であり、真の妥当性が認められるものは存在しないのです。
反出生主義だってそうです。
私の中では反出生主義は正しいものですが、生物学的に見れば私のような人間はエラーとして発生した外れ値ポジションの個体と言えるでしょう。
生物学的に言えばいきものの生きる目的は種の存続であり、反出生主義はそれに真向から抗うものだからです。
私自身の脳のフィルタリング機能が弱い傾向も否めません。通常の人間の脳には、遠い世界の出来事をある程度スルーできる機能がついています。たとえば、発展途上国で餓死した子供のニュースに胸が痛くなって食事が喉を通らない、という事態が日常的に起こっていては私たちまで栄養失調になってしまいかねないからです。
平均程度のフィルタリング機能を持つ大多数の人間から見れば、反出生主義者は「異端」であり、ときに「既成の文化体系を破壊する危険因子」と捉えられてしまうのは無理もないと感じています。
最後に
今回、メディアが反出生主義を特集するという貴重な機会に携われたことを嬉しく思います。
反出生主義の考え方は少数派ですが、それを世に発信することには何かしらの意味があると信じています。
反出生主義、と聞くと字面の印象から「難しそう」「堅苦しそう」とのイメージを持たれることも多いですが、実際の反出生主義は「ただ産まないだけ」という非常にシンプルな思想です。
命とはとても重いものです。だからこそ、「世間が出生を善としているから」ではなく自分の頭で、一人の人間・・・思考を持ち、快も不快も喜びも苦しみも感じ、生老病死を免れることができない、長いと100年以上も生きる生命体を新たに作ることの是非を考えていただきたい。反出生主義がそのきっかけの一つになれば幸いです。