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こどもが家庭の従属物としてではなく、独立した『個』として尊重されることを望みます



『こども家庭庁』の名称に反対します。
『こども庁』でお願いします。

こどもは家庭の従属物ではありません。
こどもである前に一人の人間です。 
公的な立ち位置においても、独立した『個』として尊重されることを望みます。

「名称くらいで騒がなくても…」と思う方もいるかもしれませんが、たかが名称されど名称です。

改称騒動が炎上した背景には、伝統的家族観(という名の家父長制)を何より重んじる政府の意図があります。

どんな呼び方をするかは大事です。

例えば、学校のPTAにおいて「父兄」という言葉は消え、今は「保護者」という言葉は使われています。
背景には「男女平等」「離婚の増加」「施設で暮らす子供への配慮」などがあります。
呼び方一つで疎外感を作ることも拭うこともできるのです。

『こども庁』が『こども家庭庁』になることは、こどもは家庭で育つのが正しいというイメージを植え付け、家庭で暮らせない子に疎外感や劣等感を与えることが危惧されます。




こどもが独立した『個』として尊重されることを私が強く望む理由は大きく4つあります。



一つ目は、家庭が全員にとって安全であたたかい場所とは限らないこと。

家庭が、社会では受け入れられない大人の言動のはけ口になっていることがあります。

例えば
・酒を浴びるように飲み当たり散らすこと 
・特定の宗教信仰の強要 
・性的加害 
・恫喝、人格否定等の暴言

こうした言動は、外で他人にやったらアウトですが、家庭内となると「家族なんだから」と大目に見られます。
家庭内で起こることは外からは見えづらく、こうした問題は長期化・深刻化・複雑化しやすい傾向にあります。



二つ目は、ごく少数の大人に多くを委ねるのは危ういこと。

家庭の構成の多くは、大人の男女二人と(子にとっては父親と母親)とその子供です。
祖父母と同居している家庭や、一人親家庭で大人は一人という家庭もあるでしょう。
いずれにせよ家庭にいるのはごく僅かな人数の大人です。

人間はみな不完全ですし、親子にも相性があります。
子育てには向かない気質の人もいます。

子を取り巻くすべてをその僅かな大人に委ねるのは危うさがあります。

家族と良い関係を築けるかは、子供にとてつもなく大きな影響を与えます。
家族との関係の良し悪しが、その子の対人面の傾向の初期設定となるといっても過言ではありません。

自分や他者への基本的信頼を獲得できれば、人と対等な関係を築きやすく、物事にのびのびと取り組めます。

一方で、自身や他者への基本的信頼を獲得できなければ、卑屈になったり、些細なことで被害感情を持ったり、周囲を敵とみなして攻撃的な態度に出るようになったりして、対等かつ長期的な関係を築くのは難しくなります。

家族との関係によって作られた初期設定を変えるのは容易なことではありません。相当な努力と年数が必要になります。



三つ目は、生まれた家庭によって看過できないレベルの格差がついてしまうこと。

どこの家庭に生まれるかは運です。そして生まれた家庭によって階層が固定され、そこから抜け出すのは容易なことではありません。

日本社会に格差は存在します。

それを身を持って実感したのは、性風俗で稼ぎながら大学生をしていた時期です。

大学には、中高一貫の私立学校で学び、塾代や予備校代に資金を投入してもらい、勉学にいそしむことを肯定され励まされ、努力を全面バックアップしてもらえる家庭環境で育った同級生らがいました。

一方で性風俗には、劣悪な家庭環境の中で生きるのに必死で学ぶどころではなく、中卒だったり高校中退してたりで学歴も資格もなく、この世界に流れてきた女性がいました。

ヤングケアラーとして家族の面倒を見ながら、合間に稼ぐ女性もいました。

毒親や虐待親のもとで緊張状態の生活を送る中で心身のバランスを崩してしまい、フルタイムで働けなくなってしまい性風俗の仕事を選ぶ女性もいました。

大学の同級生も、性風俗で働く女性も、年代は同じくらいでしたが、両者が交わることはそうないでしょう。
生まれた家庭環境によって圧倒的な差がついている現実に、もどかしい感情を抱きました。



四つ目は、子どもが医療や支援に繫がるうえで親が障壁になりうること。

「親ブロック」という言葉があります。

子どもが受診を必要としている、障害特性から支援を必要としている状況でも親がそれをさせない現象を言います。

医療の場面だと心療内科や思春期の女の子の婦人科受診、
障害支援の場面だと、軽度の知的障害や発達障害のような一見健常に近い障害児において、「親ブロック」は起こりやすいです。

「親ブロック」を起こさないためには、こどもを家庭の従属物ではなく、独立した『個』として捉えることが不可欠です。



これらの理由から、『こども家庭庁』ではなく『こども庁』になることを私は強く望みます。


最後に 

血縁関係は、数ある人間関係の一つです。恵まれる人もいれば、恵まれない人もいます。

家庭というのも一つのシステムです。合う人もいれば、合わない人もいます。

親子関係や血の繋がりを特別視し、無条件に尊ぶことを政府が表立ってやるのは、誰かを排除することにつながります。

先日、Twitterで「家庭に居場所がなくても、社会に居場所を」という呼びかけを見かけ、私は強く賛同しました。
子どもは家庭だけではなく、地域や学校の影響も受けて育ちます。
地域や学校に居場所があれば、子どもが生きていける可能性は高まります。

『こども家庭庁』ではなく『こども庁』において、こどもが家庭の従属物ではなく、ひとりの『個』として尊重されることを願ってやみません。