皆を悩ませる学歴とコンプレックスについて考える (修正版)

私は大学中退なので学位は無い

だから、アメリカで就職活動をすると大半の仕事に応募する事が出来ない。応募できるのはRequirementsにHigh school diploma or equivalentと書かれているものだけ。

世界中で学歴詐称が蔓延っているという事は、人はやっぱり良い学歴を求めるのだ、ということだと思う。社会的信用も得られるし、尊敬もされるし、有利な状況に身を置けるから。

稀に「学歴だけじゃない」と言ってくれる人はいる。僕みたいに学歴が無い人間は一瞬希望を持つ、でもそういう事を言う人は殆ど高学歴だし、希望はすぐに失望に変わる。

自身の学歴を悔いたり、恥じたり、卑屈になっている暇があるのであれば、自分の人生の目標は何なのか?独学では無く教育機関で教育を受ける意味は何か?をまず考えてみるべきだと思う。

10年前の僕にとっての目標は

「人並みの生活を送る事」だった。「ホームレスにならずに生き延びる事」と言い換えても良い。そのために肉体労働以外で週40時間(月から金)のフルタイムの仕事に就くんだと決めた。沢山の求人情報に目を通したが、冒頭に書いた通り「学歴」の壁によって応募できない仕事ばかり。「やっぱり大学出てないとダメか。。。」と諦めかけたのは一度や二度では無かった。とは言え、今から大学に行く時間もお金も無く、まずはとにかく仕事を見つけなければいけない状況だった。

運良く高卒以上で入社出来る会社に事務員として潜り込んだ。毎日仕事をしながらいつも思っていたのは「早くマネージャーになりたい」と言う事。それはなぜか?求人情報を見ていた頃にBA/BS degree or equivalent practical experienceという記載に気付き、そこに光を見たからだ。大卒で無くても同等の経験があると認められれば応募できる仕事もあるという事。手っ取り早く認められるにはマネージャーになれば良いんだと思った。

そこから毎日毎日遅くまで業務をこなしながら、空いた時間に経理や人事の知識を得るために本を読み、Youtube(中小企業経営者向けの動画を100本以上は見た)を見た。そして、その知識を実際の現場で使いながら人の三倍は働いたと思う。マネージャーにはなれた時には「ようやくスタート地点だ。。。」とホッとしたのを覚えている。

何とか生き延びたものの

めでたくマネージャーにも成れてからも日々勉強と実践を繰り返して行った。ただ、体系的に学んでいないので知識に欠落があるなぁ、と自覚していた。また、インプットするにしても前提になる知識が足りないため、何をどう勉強すれば良いのか分からない、と言う状況にも良くなっていた。モチベーションは高いのに非常に効率が悪いという状態が辛かった。

ずっと独学で勉強をしていた訳だが、前述の通り決して効率の良いものでは無かった。その経験から教育機関でプロの教師から体系的に授業/講義で学び、チューターや学生仲間に相談したり、共有したりしながら一緒に学べるという事の価値が良く分かった気がする。大学を自分の意思で去って10数年たって「学びたい者にとって学校がいかに素晴らしい場所であるか」をようやく理解した。独学で学び続けている身からすると、学校に通っている人達が震えるほど贅沢で羨ましいと思えるのだった。

さて、会社によるがマネージャーレベルまでは学部レベルの知識でも何とかなる気がしている。私の場合は、その後小さな組織ではあるが経営者になった。経営となってくると必要な知識は高度になるし、使いこなす能力も求められる。かみ砕いて言うとまず、自身で情報を入手する能力が求められるし、抽象的なところから具体化する、または逆もしかりで情報を咀嚼する力も必要だし、その両方のために多方面の人とのネットワークが不可欠になる。色々な視座で物事を見なければならないし、ビジョンの策定とそれをブレずに貫くという胆力も求められる。

この非常に複雑に入り組んだ能力を独学で身につけるのは至難の業だと思う。聞くところによるとMBAのコースでは、そういった事を学ぶということだから、きっとかなり近いのだろうと思う。

更なる成長のためには何が必要かを考える

さて、では然るべき教育を受けて来ていない人間が、それでも自分の目標を達成したいと考えた時、どうすれば良いのか?

高学歴の人が「人は学歴だけじゃない」と発言すればそれは余裕を感じさせるが、低学歴の人が「人は学歴だけじゃない」と言えば負け犬の遠吠えだ。逆に「人は学歴が全てなんだ」となんて言ってしまえばただの敗北宣言だ。蛇足だけど、ついでだから言っておくと学歴詐称は魂の自殺だ。

答えは?

シンプルに「独学で学び続け、結果を積み重ねる」しか無い。加えて、「必要だと思えば少しずつでも学校で学ぶ」という事だ。

私個人としてはオンラインで大学の授業を取り始めていて、いつかは学位も取りたいと思っている。

世において何かを成し遂げるには知識、知能、知性、知恵の4つが必要だ。知性と知恵は自己との対話をもって内的世界で磨いていける。それに対して知識と知能は学校で教育を受けながら拡げ、磨くのが理想的なんだと思う。(内的世界は芸術や表現の側面もあるので、リベラルアーツとは良く言ったものだ)

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勉強していないと今の世の中で活躍している人達が何を見て、何を考え、何を話しているのか、がわからない。同じ言語で話していたとしても、実は何もわかっていないし、わかっていない事もわからないという事になりかねない。

高度な教育を受けてきた人同士は「共通の言語」で話しているものだ。そういう彼らが大体の意思決定をする社会において、彼らが何を話しているのかアウトラインくらいは理解したいし、少なくとも自分が何をわかっていないのか?は理解していたい。だから、私は勉強をする。

コンプレックスが殺す可能性

しかし、コンプレックスは人の可能性も行動も縛るな、とつくづく思う。10代の頃の決断に40過ぎてまで悩まされるとは。。。本当に根が深い。しかし、そのコンプレックスが無ければ、自分はモノを考えない人間になっていた可能性も大いにある。足りないものを補うために自身で思索と工夫を重ねる必要の結果だが。

知らない事を知る。まずはそこに立ち、謙虚になる。そして、学び始める。その延長線上に「学校」があるのなら何歳からだって行けば良い。

そう思うようになった。

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