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楽曲のようにコントを共有したい(コント紹介#1『世の中に必要のない人』ゾフィー)

お笑いが好きな人で、何となく肩身の狭い思いをしている人は僕だけではないはず。

「僕はお笑い好きだけど、面白い人間ではないよなぁ」

っていう理由でなんとなくお笑い好きを公言できないときがあります。ただ、これって少し不思議なことで、小説を書けなくても読書好きは名乗りやすいし、作曲できなくても音楽好きは名乗りやすいし、カメラを触ったことがなくても映画好きは名乗りやすいと思います。

何なんですかね。これ。

好きなものは好きなものなんだから公言していきたいんですけど。その原因を少し考えてみたい。

まずは「お笑い」と他の創作との違いについては、タイタン所属のお笑い芸人XXCLUB大島さんが解説してくださっていたので是非読んでください。

「お笑い」と他の創作の違いは以下のように書かれています。

それは、ジャンルの名前がそのまま結果を表している、ということです。
正確に言えば、「ジャンル名=お客さんの感情」ということです。
例えば、「音楽」や「映画」は表現の「手段」がそのままジャンルの名前になっています。
「音楽」と聞けば、できるだけ人の心を動かすように奏でられた音なんだな、と想像がつくし、
「映画」と聞けば、できるだけ人の心を動かすように紡がれた映像なんだな、と想像がつきます。

これを読んだときはなるほど、と思いました。

併せて、「音楽」「映画」「小説」などはその手段がジャンル名になっていることよって、神域性を保たれているとも考えられませんでしょうか。

例えば「映画が好きです。」という一文には、言外に「(映画はヒトもモノもカネもスキルも必要なので私は作り手ではありませんが)映画(を観ること)が好きです。」という意味が含まれていて、日常会話では合意形成がなされていることが多いです。

(ただ時代も変わってきていて、情報やツールが広まってきているため、このような言外の意味が成立しているのも時間の問題ですが、今回は古いコンテキストだと思ってもらって構いません。)

一方で「お笑いが好きです。」という一文はいかがでしょうか。「笑い」はごく身近で誰もが持っている感情であり、誰もが呼び起こす側になることができるもので、そこに神域性はありません。

なんならプロの漫才師は「誰でもできますよ」という顔で、観る者に対して下から出てくれて笑いやすい雰囲気を作ってくれるため、お笑いに対してリスペクトが無い人はそのまま受け取ります。

この「身近さ」と「謙虚さ」が「お笑い好き」を公言することを難しくしている要因ではないでしょうか。

僕はど素人なのでなんとも言えませんが、お笑いが好きだからこそ「距離を取って」「リスペクト」を持っていたい。


そんなことをぼんやりと思っているときに、ツイッターかテレビかは忘れましたが、コント村という若手コントユニットの活動を目にしました。

ゾフィー上田さん、ハナコ秋山さん、ザ・マミィ林田さん、かが屋加賀さんからなる、コント大好き集団です。

コント村村長は、どんな若手コント師もコントだけで飯が食える世界作るという野望を持っています。その中で印象的だったのが以下の部分。

・知名度こそ低いが音楽だけで飯が食えている人はたくさんいる
・知名度こそ低いが俳優だけで飯が食えている人はたくさんいる
→知名度こそ低いがコントだけで飯が食える人がたくさんいていいはず!

その通りだなぁ。これは応援するっきゃないでしょう。コント師を始めとしたお笑いの地位が上がっていくことで、そのファンである私もお笑い好きを公言しやすくなるでしょう。

さて、僕のような賛同する素人ファンとしてできることは何か。

それは、あたかも好きなアーティストのファンが曲を友人に共有するように、好きな芸人さんのネタを共有することではないでしょうか。

僕はお笑い全般が好きですが、ネタの共有という観点で言うならばコントが一番適しているのではないのかなと思います。その要因は「作品性」の強さです。

お笑いのメインジャンルとして漫才があります。賞レースの規模や知名度はコントより高いですが、「ただの二人喋りをお客さんに聞かせる」という形式をとっているため、「身近すぎる」ところがリスペクトを持たせることが難しい点かと思います。

(あとは漫才について素人が色々と語るのは野暮な部分が多いような気がしていて、そういうことを望んでいる漫才師の方もあまりいないのではないかと想像します。)

その点コントは、本人たちは別の人物を演じておりコントの中の世界に閉じて笑いを生み出すため観客との距離が取れます。本人がどんな人であっても映画やドラマのような作品として観ることに近い部分があるのです。


ということで、前振りが長くなりましたが僕はこのnoteを使って、好きなコントを紹介していきたいと思います。(マガジンもよろしくお願いします。)


まずは、コント村の活動に協賛したいものとしてコント村村長を務めるゾフィー上田さんのコントから紹介します。

ゾフィー上田さんの「性格の悪いモノの見方」と「それを笑いに昇華させ方」がこのネタに出てると思います。

とあるインチキ臭いカリスマ講演者をパロっているので、パロディ元を知っているのといないのとでは面白さに若干の差が出ますが、知らなくても十分面白いです。


それではお楽しみください。

ゾフィーで『世の中に必要のない人』。







ゾフィー上田さん得意の「カルト的なカリスマ性を持っていそうな雰囲気の講演者のキャラ」が個人的に好きです。カリスマ性を纏おうとしている人が上手くいっていない様子って、外野から見るとなぜか喜んでしまうんですよね。(僕もかなり性格が悪い)

このコントのすごいところはお客さんに実際に手を挙げてもらっていて、会場全体をコントの世界にしてしまうところです。

大体のコントはステージ上がコントの世界、観客席は外の世界になります。しかし、このコントでは観客席をコントの世界から出し入れしています。どういうことかというと、お客さんに手を挙げさせるシーンではコントの世界に入れてしまいます。しかし、鳩柱がホワイトボードに書いて見せるシーンでは、観客席はコントの世界から出ています。なぜなら、お客さんは笑っていますがその笑い声は鳩柱に届いていないからです。

ちなみにこのネタはピンのネタではありません。途中で観客席から発言をしている人が相方のサイトウさんです。


お楽しみいただいたのは、ゾフィーで『世の中に必要のない人』でした。

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