隠蔽された死の匂い

原っぱを突っ切る道を歩いていたら、道を渡ろうとしたのであろうミミズが何匹も何匹も干からびて死んでいた。

俺は幼いころ、地面を見ながら歩く癖があった。
そのせいでえらく猫背であった。
だから、ミミズの干物を見ると小学生の頃を思い出す。

原っぱを抜けると、森になった。
森の入り口には植物の垣根がある。

小学生の頃、夏が来るとこの森に通っていた。

ある夏のはじめ、あれは朝だった。
この垣根で脱皮を試みたアブラゼミが、全身が茶色く硬い殻から抜け出す直前に息絶えたようだった。

さかさまになった半透明の彼は、乳白色で透けていて美しかった。
そのからだには、すでにたくさんのアリがまとわりついていて、
その黒く小さな虫は、植物の枝を伝って地面まで列を為していた。

夏はものすごい強い生命の香りと一緒に、死の匂いを持っている。

森の奥に進んでいく。
晴れた夏の真昼だというのに、森は暗く涼しい。

ハエの羽音がする。
耳元でブンブン大きな音を出している。

足元を見るとコガネムシが死んでいた。
その近くに俺の足が降りたから、一旦獲物から離れたんだなお前は
悪かったよ

森の奥で、死んだミミズを見た。
その周りにはびっしりとアリが這っている。

みずみずしい死体にありつけて良かったな
ミミズも、せっかく運んだ水を太陽に刺されて吸い込まれてしまわなくて、よかったじゃないか

思えば、森の中で生き物が群がるのはふたつの時だけだ。
食事の時と、生殖の時。

食事の時は、大抵、別の誰かが死んだときだ。

たくさんのアメンボが池の上を動いて、繊細で複雑な波紋を起こしていた。

紫陽花が咲いていた。咲き誇っていた。
咲いたそばから虫に葉を食われて穴だらけになっていた。

咲くことは、外に自らをひらくことだ。
無制限に、不特定多数に、開放することだ。

咲く花は、自らのエネルギーを、内的なわだかまりを、欲望を、衝動を、
ひらくことで外にたくすのだ。

咲く花を見る。あるいは食う。
俺達は残酷だ。
ひらかれた彼を欲望のまま食べる。皆で群がって我先にと食べる。

そこで咲く花は刹那のうちに消費される。

美しいと思う。

そうなることを承知で花は咲くのだろう。
咲くことは打算や損得勘定の外にある。

生きるのは、咲くためさ。
咲くことは死ぬことだ。

そうでなければ、なぜ生きる。
咲くときのために咲いた花を食って生きてきたんだろう。

また、アブラゼミのことを思い出した。

果たして、無念だろうか
俺はそうは思わない