【#いいねした人を批判する】

・恵まれている自分の首を絞めて帳尻を合わせようとしていないか?自分を責めることは何の贖罪にもならない。高い位置に産み落とされた人間に求められるのはさらに高く飛翔することだけだ。

・湧き出した感情、編み出した思想を、自分の外で形にすることに対して切迫感・場数が足りていない。生来のニヒリズムが足を引っ張っているのかもしれないが、どんな鋭い洞察も行動・発信に結びつかなくては自分の中で腐って消える。

・集団を相手取った時の大局観には優れているが、一方で自分のことになると、手を引くタイミングが早すぎる。あと8歩踏み出さなければそのパンチは当たらない。無論、自分がカウンターをもらうリスクは取らねばならないが。

・自分で作り出した精巧な地獄を、自責思考で全て引き受け行動によって脱したタフネスには目を見張るものがある。後は、自分以外が抱えた地獄とどう向き合うかだが、強き者にもそれを引き受ける義理はない。

・それは天性の魅力か、それとも後天の魔性か、自分のための舞台を整えるのが実に鮮やかだ。その上ならいつまででも舞えるだろう。しかし、その巧さの中に耽溺するのは、自分の脚を折るのと同義だ。荒野を駆ける“ただ”の人だけが辿り着ける場所がある。

・薄いシナリオなんて捨ててしまえ。現実世界に台本はない。いつもはじめに役者が動いて、後から物語がついてくる。お前が歩いたところが道だろう。今見えてる道なんて、お前の足が踏みしめた時には脆く崩れるかもしれないんだぞ?

・世間が、社会が、よく見えている、典型的な早見え早指し。賢く、要領が良い。だが、それ故に見えている範囲でしか動いていないのではないか?世界は君の広い視界の外にももっともっと広く広がっている。暴れてやれ、そのスクリーンを破いてやれ。そして創り出せ。誰も見たことのない地平を。

・君の最も恵まれている点は、「直ぐに手に入るものには価値がない」ってことにいち早く気付けるチャンスが与えられたことだろう。わかりにくく、一見ダサく、地味なところにこそ、仕掛けられているものだ。ド派手で鮮やかな爆発を起こす爆弾ってのは。

・ふわふわで柔らかく、それは君が纏うものではない。心から欲するところのものだ。だがしかし、柔軟性、柔らかさは“芯”が持っているべきものなのだ。いちばん柔らかさが必要なところの硬さが、君を苦しめることがあるんじゃないかな。

・趣味でやってんじゃないんだぞ、生きるってのは。君から見れば、切迫感と自分ゴト化に雁字搦めになってるように見えるやもしれないが、これが趣味とプロの違いってもんよ。ぬかるんで滑って、歩く姿はカッコ悪いが、ここを行くしかないんだ。深いところを充たす為には。

・羨ましいほどホンモノなのに、嘘ばっかりついてると、嘘みたいな人間になっちゃうぜ。たまには俺にも殴りかかって来なよ。思いっきり殴り返してやるからさ。真の平和はいつも、デカい武力の傘の下。

・考えて、積み上げる。考えて、また積み上げる。これができるのは努力ではなくもはや才能だ。それが一切できない男の言葉を聞く用意があるならば、肝に銘じるといい。それはあくまで土台であって、飛び立つ瞬間はいつの時代も逸脱だ。

・顔も良ければ、実力もある。それは努力の賜物だ。努力できない、逃げてばかりの人間が世の中にはゴロゴロいる。それを足蹴にするのではなく、手を差し伸べて引き上げる。寛容は勝者の特権。強くあれ、優しくあれ。それがもはや若くない成熟した男の歩む道。

・社会科学って、ラボで実験するわけじゃないから生きた現実を相手にしてるような気になるけど、研究をする以上は枠を決めなくてはならない。その枠の中で研究して論文を出すだけの動きではアカデミックに閉じていく。日常の対話の中で研究視角を増やしていくのも大事でしょう。歳下の彼女を作るとかさ。

・いつまでも被害の物語を手放せないと、残念ながらいちばん憎む相手の支配からは脱せない。解放されるための鍵は、実は許しと受容にある。誰かのせいじゃなく、自分の愛でこの世界を生きていこう。一時の憎しみは仕方がないが、持ち続けても良いことはない。

・自由にやることが最も能力を発揮できるタイプは、どこに所属するかによって社会に対してのベクトルが変化しがちだ。公の組織は最も無難な選択肢であるが、無難なだけで最善ではない。そして、組織は組織である以上、組織することができる。

・民俗学はロマンに溢れた学問だが、市井を生きる人はロマンなんかで飯を食っているわけではない。肉体を持った人間には、肉体を以てあたるほかない。そうでなければロマンの押し付けに成り下がる。そして、他人の霊性をみとめるためには、自身の霊性を練り上げねばならない。