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常夏の街、季節とのかかわり方。

ホーチミン、常夏の街。
日本のような四季がなく、雨季と乾季しかない。
・・・雨季と乾季しかないというが、本当にそうなんだろうか?
言うて、ちょっとは雨季と乾季の間に秋めいたり、春めいたりするような、あのなんとも待ち遠しいような、ちょっと寂しいような瞬間が訪れるだろうと思っていた。

先に言っておく。皆無である。

現在のホーチミンは「乾季」に該当する。
毎年前後するそうだが、10月~11月頃から3~4月頃にかけてのおよそ半年間が乾季、残りの半年間については「雨季」となる。

雨季も数か月ほど体験したが、日の出と同時にカンカン照りになり、午後は必ずといっていいほどスコールがくる日々が続いた。
しかも、スコールが日本の夕立ち・ゲリラ豪雨と違うのが「いつ降り始めていつ止むのか、全くわからない」というところである。
30分ほどで止む日もあれば、降ったりやんだりを繰り返す日もあるし、朝から夜中までずっとじとじとと降り続く日もある。それが毎日、半年も続くというのである。

ただ、このスコールとつきあう日々によって割とメリットもあった。
まず、雲行きがちょっと怪しいな、とか、風が急に強くなったな、とかの、天気の移り変わりにいち早く気付くようになった。日本にいた時はそもそも日中に空を見上げることも、天気の移ろいを感じる暇もなかったし、そんな心の余裕もなかった。
お天気予報のアプリもないので(というか晴れか雨しかないし、気温も年間通じてそんなに変わらないから需要がないのだろう)、自分の感覚を疑ったり信じたりしながら行動するのがちょっと新鮮でもあった。

また「毎日昼過ぎたらスコール」なので、逆に貴重な日差しのある午前中をいかに有効活用するかが死活問題になった。
雨季の時期は、日の出とともに起きるようになる…というか、日の出の日差しから既にまぶしくて起きざるを得ない。結果的に活動する時間帯も早まっていくのである。雨がつづくと何かと嫌な気持ちになるものだが、毎日規則正しくスコールはやってくるので、ある意味自分の生活も規則正しくなった。
これはこれで悪くないかもな、とも思う。

一方の乾季はというと。
雨季とはうってかわり、ほとんど雨が降らない。肌感覚だが10日に1度ほどのペースである。(たまに2日連続で来る日もあるが…これは結構萎える)
そして朝晩は少し涼しい風を感じ、日中はカラッと晴れる…という毎日が続く。風の涼しさは、小学生のとき夏休みの朝ラジオ体操にでかけたあのすがすがしい心地を思い出す。

雨季から乾季にかけてはいわゆる「季節の変わり目」に値するのだが、
11月頃から「そういや最近、雨降る日減ったな」
「今日ちょっと涼しくかったな」と実感した日が何日かあり、
でも相変わらず意味不明なスコールもきたりするので、
「あ!これが乾季ってやつか!!」と気付いたのは師走も中盤のことであった。風情とは…とも思ったが、そもそも常夏の街なので仕方ない。

年中常夏というのは一体どんな感覚だろうかと内心ワクワクしていたが、
仕事をしていないというのもあり、家でのルーティンワークを生業にしている私にとっては「時間が止まった」ような感覚に陥っている。
そういえば日本からベトナムに来たのも真夏だったため、永遠に夏を過ごしている。
無職モラトリアムを過ごしているという意味でも、物理的にも、永遠の夏休みの中にいるのかもしれない。
(今、いい感じにオチがついたなと思っている。)

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