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お手伝いさんの話

ホーチミン駐在員は、だいたいどこの家庭もハウスキーピングを利用していると思う。
いわゆる「お手伝いさん」である。

駐妻とお手伝いさん

我が家に来てくださっているお手伝いさんは、週2回・1回につきだいたい90分ほどで部屋中の掃除すべてをやっていただいている。
プロの方なのでいつも完璧に綺麗にしてくださり、ベトナムの勝手がわからない外国人にとっては本当に本当にありがたい存在である。

お手伝いさんが来ている間、外出されている駐妻さんが大多数だが、私は過去の経緯もあってなるべく家で待機するようにしている。

今来てくださっている方は3代目で、初代の方は産休のため1ヶ月ほどで交代、2代目はとんでもない人だったため担当を変えていただいたのだ。

色々あった2代目のこと

2代目は、

  • 来る時間が毎回めちゃくちゃ
    (朝早く来られるのが最も困る)

  • 椅子やテーブルの脚にぶつけまくりながら掃除機をかける
    (家具は家備え付けのものだから丁重に扱ってほしい。私への嫌がらせ行為だと一時期本気で思っていた)

  • そもそもあまり綺麗になっていない
    (あまりにも気になってこちらが覚えたてのベトナム語を使って声をかけるが、すっごい嫌そうな顔をされる)

  • 終わる時間ではないのに突然無言で帰る
    (マジで突然帰るので何も対処できない)


…と、ここには書けないことも含めて色々なことが起こった。
本来、お手伝いさんは我が家の暮らしを支えてくださる有難い存在なのに、いつしか
「私が家にいてこの人がちゃんと仕事しているか見張らないと」とだんだん不信感が募って、ストレスになっていったのだ。

異文化ショックでは片付けてはいけないと思った


今書いていて、
「いやあこんなの、ベトナムあるあるじゃんw」と思った。よく聞く話だし、なんでこの程度でストレスを感じていたのだろう、異文化ショックじゃーん、と当時悩んでいた自分がバカバカしく思えた。

しかし、当時のことを思い返していくうちに
「私は自分の認識を基準にして、
勝手に彼女に期待して、
勝手に彼女に失望していたのではないか?」
と気づいた。

社会人なんだから当然時間は守るでしょ?
仕事なんだからやることはキッチリやってから帰るでしょ?
と思っていたのは私のほうの理屈に過ぎなくて、2代目には2代目なりの理屈や都合があったのかもしれない。(あったとしても、許せないこともあるんだが…)


日本人は〜、ベトナム人は〜、という括りで話をするのはナンセンスだと思う。

ただ、思い通りに意思疎通できないのだから、日本にいた時以上に相手のことをわかろうとする努力を、お互いに理解し合う努力を私はすべきだったのではないか
と書きながら反省している。

お手伝いさんは暮らしのサポートをしてくださる役割だけでなく、わたしにとっての最初のベトナム人の知人であり、ひとりの社会人として忘れていたことを思い出させる存在でもある。

最後に、そもそもですけど

そもそも、異国で孤軍奮闘する夫を生活面でサポートするために専業主婦に転職したようなもんなのに、なぜお手伝いさんが必要なのか?私は必要ないのではないか??と未だにモヤモヤしている。

彼女たちのおかげでかなり楽をさせていただいてるが、ベトナムでの自分の存在意義に関してはこのモヤモヤはずっと消えない。
私は無職になったから、余計に必要とされたいと思っちゃうんだなあ…と自分のエゴが恥ずかしい。

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