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【短編小説】お茶漬けガール

東京大学を、首席で卒業して、
一流企業に、僅か、入社二年目で、部長の地位まで、上り詰めた女…ヨシエ。
俗に言う、キャリアウーマンというやつだ。
サバサバした性格で、常に上から目線で物をいう。
また、頭が良いだけではなく、美貌も兼ね揃えている。サラサラした艶のある、黒い長髪に、男性顔負けの高身長。その上、モデル並みのスタイルで、
芸能事務所から、何社もオファーがきた程だ。
一見、完璧すぎる彼女だが…短所も存在する。
それは…全く、料理が出来ないということだった。
九割、外食で済ませ、繁忙期で、自宅に仕事を持ち込む時は、カップラーメンか、お茶漬けを流し込む。
そんな不規則な食生活を繰り返し、
ついに、会社の健康診断に、引っ掛かった…。
再検査で、異常は無かったが、どこも数値が悪く、
医師から、「なるべく自炊するよう」告げられた。
休日を利用して、料理教室に通うも、慣れない手つきと、危なっかしい包丁の扱い方に、しびれを切らし、
料理教室を強制的に辞めさせられた。
先生いわく、「ここまで、センス無いのは、珍しい。」とのことだ。
ネットや、料理の本を、片っ端から、集めて、
持ち前の頭の良さで、調理法は、すぐに暗記するが、
実技が、所詮ダメだった…。
開き直り、「料理なんて一生やらない!」と言い切って、実家の母を頼り、規則正しい食生活に改善した。
美容室で、待ち時間中、週刊誌を読んでいたら、こんな記事に、目が止まった。
「男性が結婚相手に求める順位。」
一位は、家庭的で、料理が上手な女性。
鬼のような形相に変わり、力強く、本を閉じた。
いつしか、彼女の前で、「手料理」という、ワードが、タブーになっていった。
この後、行きつけのエステと、ネイルサロンで、女を磨き、夕食がてら、大衆居酒屋に足を運んだ。
お酒は、あまり好きじゃないが、ここの「もつ煮」が、絶品で大好物なタメ、何年も通っている。
女性一人でも、ふらっと立ち寄れる雰囲気のお店と、
店主の閻魔大王みたいなおじさんだが、仕事は丁寧で、「もつ煮」以外の料理も、全部美味しい。
また、無口で、話かけて来ないし、余計な詮索も、一切してこない。ヨシエにとって、唯一のオアシスだ。
いつものカウンター席の隅に、腰を下ろし、
もつ煮と生ビール、シーザーサラダを注文した。
「あいよ。」と、重低音の声で、それに答え、しばらくして、閻魔大王は、手際よく、生ビールとお通しの枝豆を出した。珍しく話かけられた。
「お嬢さん。ウチの店、久しぶりだねー?」
「はい。会社の健康診断に引っ掛かって、自炊しろと言われまして。」
「そっか。じゃあ塩分控えめで、もつ煮食べる?」
「出来るんですか?」
無言で、コクりと頷き、調理にかかった。
出された塩分控えめのもつ煮は、あっさりしていたが、ちゃんと味が染みていて、非常に美味しかった。
ビールを飲むのも、忘れて、箸が止まらない。
何杯でも、食べれそうだ。
ペロッと平らげ、お代わりした。
一つ席を空けて、爽やかな、好青年がやって来た。
ビシッとした、ネクタイと、背筋を見て、
(この人、絶対仕事出来る!)と、すぐに思った。
それどころではない!良くみると、顔も好みだ。
潔癖症のヨシエは、あまり恋愛経験は無いが、
久しぶりに、ビビッ!と来た。
身に付けている、腕時計や、靴を物色。
そこそこ、経済力は、ありそうだ。
誰よりも、プライドが高く、ましてや、女から話かけるなんて、豪語同断。しかし、この期を逃すと、
一生会えない可能性もある。何とか、話すきっかけが欲しい。そんな時、閻魔大王が、恋のキューピッド役になった。「お嬢さん、確か電機メーカーに勤めていたよね?」、「あ、はい。」
「こちら、建築士の柄澤さん。今度、独立するから、パソコンまとめて欲しいんだって、相談に乗ってあげてくれる?」
閻魔大王に感謝!これで、話すきっかけが出来た。
ていうか、独立イコール、社長!?
お互いに、名刺交換して、挨拶した。
声も、ハッキリと滑舌良く、丁寧で、無駄の無い喋り。思った通りの、理想な男性に巡り逢えた。
改めて、乾杯して、ビジネスの話題になった。
「えっと、弊社の新型パソコン、デジブックは、最新のOSが内蔵されていて、容量も…」
(ヤバい…動揺して、忘れてしまった…。)
またしても、閻魔大王が、フォローする。
「お待ち。」と出されたのは、彼の奢りで、頼んだ
刺身の盛り合わせだ。アワビも入って、かなり豪華だ。それを二人で、つついて、場が和む。
「とにかく、詳しいことは、後日、パンフレット持って来ますね。」、「はい。因みに、明日とかって、都合良いでしょうか?」
「はい!是非。」、何が是非なのか?良くわからないが、また翌日、彼と会えるとなると、心が踊った。
気分を良くしたヨシエは、お酒を追加した。
この後、二時間、世間話から仕事の話まで、大いに、盛り上がった。そして、彼がボソッと呟いた。
「何か、小腹が空いたなぁ。シメにお茶漬け食べようかな。」、威勢良くヨシエも、「良いですね!ここの鮭茶漬け、美味しいですよ。」と言って、ヨシエも、同じやつを注文した。
サラサラと、流し込むように、茶漬けを頬張るヨシエ。一気に掻き込むのが、醍醐味らしく、
米粒、一粒も残らずほんの数秒で、完食した。
どんぶりを置いて、我に返った…。
(しまった!女らしくない食べ方しちゃった…)
しかも、彼よりも、先に食べ終わった…
(ドン引き、されるかしら…)
そんな疑問は、すぐに吹き飛んだ。
彼は、「良い食いップリですね~ハハハ」と、言って
「そういう女性好きだなぁー!」と、付け足した。
嘘かホントかわからないが、笑いの渦になったので、内心ホッとした。
楽しい時間は、あっという間に過ぎて行く。
終電の時刻が迫り、「本日は、とても楽しかったです。」と言って、彼が、帰る素振りを見せる。
「こちらこそ。」と、それに答え、ちゃっかり自分も、一緒に帰ろうとする。
肩を並べて、駅まで歩いて行った。
内心(今日は、エステ行って来たし、このままお持ち帰りされても、オーケーよ!)と、思ったが、
今まで、話していてわかったが、彼に、下心は、全く無い。なので、残念(?)だが、誘われないだろう…。
帰り道は、別々だったが、ギリギリまで、一緒に居た。ひとり帰りの電車に揺れ、窓の外を見つめ、彼のことを、振り返っていた。思い出したり、考えれば、考えるほど、彼のことを、気になっていた。
一つ、気がかりなことがあった…。
既婚者では、無さそうだが、あれだけカッコ良くて、仕事も出来て、モテないハズがない!
(当然…彼女いるんだろうな…。)
翌日_________。
ランチがてら、待ち合わせのイタリアンで、
一足早く、お店に入り、化粧室で、入念に、最終チェックするヨシエの姿があった。
ここぞという時のタメに、今朝、高価なファンデーションを使った。一応(?)俗に言う、勝負下着も着けて来た。席に戻り、「まだか!まだか!」と、彼を待つ。お店のドアが開いた!「彼か!?」
違った…。
彼のもう一つの魅力は、「姿勢」だ。
歩く時も、腰を下ろしている時も、ビシッと常に正しい。自信と育ちの良さが、そのまま現れている。
堂々と、ビシッとした姿勢で、店の方に歩いて来る男性が、視界に入った。間違いなく彼だ!
彼を見た瞬間!急に、カーっと頬が赤くなり、全身が熱くなった。胸の高鳴りもする。惚れている証拠だ。
手を振って、合図した。それに気付き、足早に、来てくれた。「遅くなって、申し訳ないです。」
約束時刻の五分前で、全然遅れてないが、
女性のヨシエを先に待たせたのが、悪くて、詫びた感じだ。本日のおすすめランチを注文した。
パソコンのパンフレットを渡し、今日は、動揺せず話が出来た。最後に「ご検討下さい。」と呟いたら、
食後のコーヒーを啜りながら、「決めます。三十台よろしくお願いいたします。」と、言った。
思わず、席を立ち、回りの目も気にせず、「ありがとうございます。」と大きな声で、深々、頭を下げた。
この不況で、一気に三十台も捌け、御の字だ!
これで、益々、社内でのヨシエの株が上がる。
そして、もう一つ、嬉しい言葉を頂いた。
昨夜、閻魔大王の居酒屋で、映画や音楽の趣味が共通していることが分かった。
チケットを差し出され、なんと!映画に誘われた。
本音は、パソコンが売れてしまったら、もう会えないんじゃないか?と、ビクビクしていたから、
余計に嬉しかった。すぐに手帳を取り出し、
デートの日取りを決めた。普段見せたことのない、「楽しみ~」と、甘えた口調と、ややぶりっ子的な素振りを見せ、積極的にアピールした。
その日の夜、ひとりで舞い上がっていた。
その理由は、映画に誘ったということは、彼女がいない可能性大である!ベッドに飛び込み、ばた足して、喜びを表現した。
普段、能面のような表情で、会社に居るヨシエは、
嬉しさのあまり、思わずニヤニヤしてしまい、部下に突っ込まれる。「部長。何か良いことあったんですか?」、その問いかけに、ハッと我に返り、「何でもないわ。早く仕事に戻りなさい。」と、いつもの冷めた口調に戻った。

デート当日__________。
こまめなLINEのやり取りで、彼の好みの女性のタイプが分かった。某大人気女優だ。
自慢じゃないが、良く似ていると言われる。
つまり、彼は、私のことがタイプか!?
話も合うし、もしかしたら、今夜…告白されるかも!
期待して、飛びっきりのお洒落をして、出掛けた。
道中、色々な妄想が膨らむ。
そして、人生で初めて「結婚」を意識した。
浮かれた足取りで、映画館に着いた。
休日ということもあり、人でごった返している。
チケット売場から、少し離された丸い柱に、彼の姿が見えた!…それだけではない…。
隣に、親しそうな女性も居る…。
声を掛けて良いのか、躊躇したら、向こうが気づいて、話かけてきた。「こんにちは。」
遠慮気味に、返事した。「…こんにちは…。」
隣の見ず知らずの女性に、軽く頭を下げる。
女性も、同じ対応をしてきた。それを見た彼が、紹介がてら、とんでもないことを口にする。
「婚約者のさえこです。こいつも、一緒に見たいと言うんで、連れて来ちゃいました。」
「…あぁ…それでしたら、私、お邪魔だし…二人で、楽しんで下さい。」
「全然邪魔じゃないですし、一緒に見ましょうよ。」
「いえ、帰ります…。失礼します!」と言って、足早に、その場をあとにした。
人生最悪の日だった…。
自分だけが、浮かれていて、バカみたいだった。
「婚約者が居るなら、最初から言ってくれれば良いのに…」歩きながら、ぶつぶつ愚痴をこぼしていた。
パソコンの納品も、済んだし、彼の連絡先を全て、消去した。LINEで、何件かメッセージが入っていたが、見もしないで、即ブロックした。
久しぶりの片想いで、失恋のダメージは、大きかった。少しでも、自分を慰めようと、海に出向いた。
九月中旬位までは、まだサーファーがいるが、
十月を過ぎると、さすがに誰もいない。
いや、釣りをしている輩が、二名いた。
その内の一人は、見覚えある顔だった。閻魔大王だ。
皮肉にも、閻魔大王のおかげで、彼と話す、きっかけが出来て、デートまで漕ぎ着けた。
「こんにちは。」、淡々とあぐらをかいて釣りしている閻魔大王の背中に話かけた。
ムクッと、こちらに振り返り、それに答えた。
「やぁ。こんにちは。」
バケツに目を向けると、魚が五匹程、釣られていた。
「釣り、お上手なんですね。」
「三十年やっているからねえ。」、そう言っている間に、また釣れた!
隣に、腰を下ろして、ボーっと、果てしない海を眺めた。その様子を見て、閻魔大王が、問いかけた。
「何かあった?」、「えっ!?いや、別に…。」
「俺で、良かったら、話聴くよ。」
本心は、誰かに聞いて貰いたかった…。
閻魔大王は、口が固いし、人生経験も豊富だ。
思い出しただけで泣きそうで、涙を必死にこらえながら、ゆっくり語り出した。
「あのう…先日、知り合った柄澤さんのことで…。」
「あぁ。」
「今日、映画に誘われたんです。そしたら、婚約者も一緒に連れて来ていて…。嫌になって逃げて来たんです。酷いと思いませんか?居るならいると、最初に、言ってくれれば良いのに…。」
「俺で、良かったら、話聴くよ。」と言っておきながら、ウンともスンとも言わないで、閻魔大王は、黙々と、釣糸にエサをつけている。まぁ、閻魔大王の良さでもあるし、下手に慰められるより、黙って聞き流してくれた方が、逆に良かったかもしれない。
案の定、気持ちが少し楽になった。
お礼を言って、帰ろうとしたら…
閻魔大王が、こんなことを口にした。
「良かったら、今晩、ウチに来なよ。奢ってやる!」
閻魔大王なりの優しさなのか、配慮なのか?
その気遣いが、何か可愛くて、嬉しくて、思わず「はい!伺います。」と笑顔で答えた。
さて、夜まで、何をして、時間を潰そうか、考えていたら、新規オープンのスポーツジムが、目に止まった。しばらく運動不足ということもあって、足を運んだ。中に入ると、まだ新しい運動器具ばかりで、得した気分になった。受付も、インストラクターも、若く、感じが良い子ばかりなので、「このジムは、絶対流行る!」と、勝手に解釈した。
一時間程、汗を流して、近くのスーパー銭湯で、体をサッパリさせた。喉も渇き、お腹も空き、足早に閻魔大王の店に、一番乗りで行った。
暖簾を潜ると、いつものように「いらっしゃい。」とボソッと呟いた。「昼間は、どうも」という、会話もなく、相変わらず、黙々と、厨房で作業している。
先に、生ビールとお通しが、出された。
「マスターも、一杯いかがですか?」
ヨシエに背を向け、トントントンと、華麗な包丁捌きしている動きが、ピタリと止まり、「御言葉に甘えて、頂きます。」と呟いた。
プロレスラーのような体格で、腕は、太ももくらいある!腹も、大きく膨れていて、(さぞ、呑むんだろうなぁ~)と、凝視していたら、意外にも、チビチビ飲んでいた。しばらくして、料理が運ばれて来た。
本日釣れた魚の刺身に、いつものもつ煮、幻の裏メニューと常連客から囁かれている餃子。豪華な鯛茶漬けが、テーブルに並ばれた。どれから食べようか、目移りしていたら、新鮮な刺身から頂くことにした。
鮮度、歯応えが、やはり全然違う!
次に、ずっと気になっていた幻の餃子に、ありつく。
一口食べて、「一目惚れ」のような衝撃を受けた。
外側の皮は、パリッとしていて、内側は、モチモチしている。肉ではなく、具材が、野菜ってのも良い。
勿論、閻魔大王は、プロの料理人だが、プロの本格的餃子だ!思わず、口にした。「マスター。こんな美味しい餃子初めてです!なぜメニューに載せないのですか?」、餃子を褒められ、照れた様子で、それに答えた。「ありがとう。その餃子、作るのに、一日かかるんだよ。」、納得した!(それほど手間をかけているから、こんな美味しく出来あがるのか!)
ペロッと平らげ、もつ煮も完食。
最後に、贅沢な鯛茶漬けを一口、口に運んだ。
「旨い!」ことは、鉄板として、鯛の後味が、ずっと残る!その余韻に浸りながら、一気にご飯を流し込む。海苔も、高価な品を使っているだけあって、
風味も、後押しする。カッカッカッカッと、どんぶりの底から、米、海苔、鯛の切り身をかき集め、
ラストスパートをかける!
目を閉じて、まだ余韻に浸る。
「はぁ~…」軽く、吐息をついて、どんぶりと箸を置いた。美味しそうに、頬張るヨシエを見て、問いかけて来た。「もう一杯いく?」
間髪入れずに、「はい!お願いします。」と、威勢良くどんぶりを掲げた。
二杯目も、ペロッと食べて、思わず呟いた。
「こんな美味しい料理にありつけて、失恋なんか、忘れたわ~明日からまた頑張れる!マスター本当にありがとうございました。」
閻魔大王は、珍しくニコニコしていた。
そこへ…。
柄澤がやって来た…。
ヨシエを見るなり、「やっぱりここに居た。どうして電話出てくれないんですか?LINEもブロックしたでしょ?」
ヨシエは、露骨に嫌な顔をして、言い返した「…婚約者がいるのに、なぜデートなんか誘ったわけ?それに…もうすぐ結婚するんでしょ?こんな所来てないで、彼女さんの所に行けば!」
「実は…彼女と、結婚先延ばしにしようと思っているんだ…。」
「…はぁ?…なぜ?それに、それが私と、何の関係あるって言うの?」
男は、急に大声で呟いた。
「俺!ヨシエさんのことが、好きになりかけてきているんだ。」
「…今さら、そんなこと言われても…彼女居たことを隠す人間なんて、信用出来ないから無理!」
「そんなこと言わないで、とりあえず話聞いてよ。」
「嫌!」
「マスターご馳走様でした。お休みなさい。」と言って帰ろうとするヨシエの腕をガッと掴み、離そうとせず、閻魔大王が、駆けつけて男を突き飛ばした。
柄澤がキレた。「客になんてことするんだ!」
閻魔大王の顔つきが変わった。ただでさえ強面なのに、怒ると迫力が更に増す。
「他のお客さんに迷惑だ。出てけ!」
男は、帰り際、こんな吐き台詞を言って出て行った。
「こんな店…ネットに書き込んでやるからなぁ!」
ヨシエに、振り返り「怪我は無いかい?」と優しく囁いた。「はい。大丈夫です。ごめんなさい巻き込んで…。」、閻魔大王は、「これ…持ってって」と言って、スーパーの袋を手渡された。中を覗くと、タッパーに鯛の切り身と冷凍した幻の餃子が入っていた。高価な海苔も頂いた。良くお礼を言って、店をあとにした。

ある日、会社内での出来事______。
廊下で、同期の栗崎とバッタリ会った。
彼も、同じく、入社二年目で、部署は違うが、スピード出世した。ヨシエとは、気が合い、つもる話もあるので、ランチがてら、社員食堂で、話すことになった。ここで、食事するのは、何年振りだろうか…?
良く、研修中、二人で、肩を並べて、仕事の話や将来について語りながら食べていたのを、思い出していた。栗崎も忘れていなかった。そして、呟く。
「でも、ヨシエ凄いよな!あの頃、言ってたこと、一つ一つ実現して、今じゃあ営業部長だもんな!」
「栗崎だって、企画開発部長じゃない!私より凄いし、尊敬しちゃうわ。」
立ち話していたら、厨房の中の女性が、注意して来た。「すみませんけど、食べないならお引き取り願います?」若い女で、イライラした声のトーンだった。
そして、何故かヨシエにだけ、睨んでいる。
ヨシエは、見下したような目と、口調で、言い返した。「雇われパートの分際で、もう少し、口の聞き方に注意しなさい!私の一言で、あなたなんか、すぐにクビに出来るのよ。」
「まあまあ。」と言って、栗崎が仲裁に入る。
「確かに、ここに居ちゃ、邪魔だもんな。メシ食おうぜ。」栗崎は、カレーライスを注文。ヨシエは、日替わり定食を頼んだ。トレイに乗せる時、味噌汁や、ご飯を、ドン!と力強く置かれ、その態度にカチンと来たヨシエは、堪忍袋の緒が切れそうになっていた。
女も負けていない!目も反らさず、思いっきり睨み付けて来た。まさに、一触即発状態だ。
またしても、栗崎がフォローする。
丸いテーブル席に腰を下ろし、セルフサービスのお茶を二人分、栗崎が取りに行っている間、まだ腹の虫が収まらないヨシエは、女を再び見た。
向こうも、遠目で、しつこく眼を飛ばしたままだった…。女が作った料理なんか、一切、口にしたくなかったが、本日の日替わりは、大好きなサバの味噌煮だったので、渋々、食べることにした。
味噌汁を一口飲んで、思わず呟いた。
「しょっぱい!」、ズカズカと女の所に苦情を言いに行った。「何、あの味噌汁…しょぱすぎて飲めないじゃない!わざとでしょ?私に何か恨みでもあるの!?」、女は、平然を装いながら、それに答えた。「普通の味付けですよ。」、すぐ近くに、部下の女性が居た。彼女も、同じ物を食べていた。勝手に一口、味噌汁を飲むと…普通だった。そして、彼女にヨシエの味噌汁を飲ませて見ると…苦虫を噛み潰したような顔で、「嫌だ~しょっぱい!」と呟いた。
栗崎も、両方飲み比べてして、「確かに…変だな。」
ベテランの社員食堂のおばちゃんが、やって来て、深々頭を下げて、こう言った「申し訳ございませんでした。すぐに作り直しますので!」
女の頭を鷲掴みして、頭を下げるように、ガッと、するも、女は、頑なに、拒否した。それどころか睨んでいる。その態度に、おばちゃんは、叱った。「早く謝りなさい!何しているの!?」
「もう、結構です…。」そう言い放って、ヨシエは、背を向けて、その場を立ち去った。
慌てて、追っかけて栗崎が、問いかける。
「気分変えて、外でフレンチ食べ行かない?美味しい店、知ってるんだ。」
ヨシエは、何かを思い出したように、ハッとして、女の所に、足早に戻る。
顔をまじまじと見て、確信した!
「あなた…どこかで見たことあると思ったら…柄澤の婚約者よね…?」
「違います!」
「前に、映画館で会ったじゃない!?」
「誰かさんのせいで、結婚が破談になったので、もう柄澤さんの婚約者でもなんでもありません!」
「何よ、その言い方…。私のせいと言いたいわけ?言っておくけど、ハッキリ断ったし、全ての連絡先、消して、何の関係も無いですから!」
女は、チッと舌打ちして、洗い物の小皿を厨房の床に思いっきり叩きつけた。ガシャーン!「何事か?」と、全員振り向いた。迷惑になるので、外に呼び出した。遠くで、栗崎が見守る。
「アンタが振ろうが、気持ちなかろうが、そんなこと、どうでも良いんだよ!アンタのところに…気持ちいったのが…悔しくて…。」
「あなた、いつから、ここで働いているの…?」
「話反らすなよ!あームカツク!その顔…態度…。」
「じゃあ…私にどうしろと?あなたが振られたのは、あなたに何の魅力が無かったからじゃないの?」
「…本気でムカツク…!!その自信ありげの、上から目線…。」
危険を感じた、栗崎は、一足早く仲裁に入った。
「はい、そこまで!そろそろ昼休み終わるから、各自仕事場に戻ろうか。」
数時間後________。
営業部の入り口で、栗崎が手招きで、ヨシエを呼び出した。時間が経ち、多少怒りが、収まったヨシエは、いつものように、戻っていた。
「どうしたの?」、その問いかけに、栗崎は、ひそひそ声で答えた。「さっきの食堂のさえちゃんっていう女の子、人事部で調べたら、今週に入ったばかりだって。」、「ふーん…。私に復讐目的かなぁ?」
「さぁ、そこまでは、分からないけど。」
「わざわざ知らせてくれて、ありがとう。」
そう言って、自分のディスクに戻ろうとするヨシエの背に、問いかけた。「あのさ、今晩って空いてる?」
振り向いて、髪を耳にかけて、それに答えた。
「何の予定も無いけど?」、「良かったら、飲み行かない?さっき、あの子の騒動で、ほとんど話せなかったし。」、「そうね。行きましょう。」
口元が緩み、嬉しそうな足取りで、栗崎は、自分の部署に戻って行った。

都内のとあるBARにて______。
小一時間くつろいでから、栗崎から、こんな質問をぶつけられた。「ヨシエって、今、彼氏いるの?」
「居ないよ。」、「そんな容姿端麗で、仕事も出来て、言い寄って来る男、選べないとか?」
「そんな人誰もいないわよ。」
「へぇ意外。逆に、彼氏いると思われていて、寄りつかないのかなぁ?、じゃあ…好きな人とか…いる感じ?」、「私は、仕事が生き甲斐なの。男なんか興味無いわ!」、「寂しく感じることとか、無いの?」
「そりゃ…たまにあるけど…。」
バーボンを一気に飲み干して、栗崎は、真剣な面持ちで、囁いた。「俺…彼氏に、立候補しようかな…。」
「冗談やめてよ。」と、言って鼻で笑い、カシスオレンジを口に運ぶが、まんざらでもなさそうだ。
「いや、冗談なんかじゃないし、勿論、結婚を前提に、付き合いたいと思っている!」
「気持ちは、嬉しいけど…さっきも言った通り、仕事以外興味ないの。それに、栗崎を男として見れない。これからも良い仕事仲間の関係でいたいのよ。」
続け様に「ご馳走様。」と言って、店を一足早く、あとにした。
翌朝、会社に行ったら、自分の席が無かった…。
「何かの間違い?」かと思い、部下全員に、聞くも、「さぁ…知りません。」の返答しか、返って来なかった。あたふたしていたら、専務に呼ばれた。
「専務、どういうことでしょう?私の机が無いのですが…?また人事異動ですか?」
ここの所、営業成績が、群を抜いて良かったので、
また昇進かと、確信していた。
専務は、窓の外の景色を見つめ、こう告げた。
「いや、会長命令で、クビみたいだ…。」
「は?何かの間違いでは…!?」
「役員会議で、決定事項だ。話は以上!お疲れさん。」
珍しく、ヨシエは、平常心を失い、取り乱していた。
「ま、待って下さい!わ、私が、どんだけ会社に、利益を貢献していると、思っているのですか!?」
「それと、これとは話が別!」
「な、何が別なんですか!?私が、一体、何したって言うんですか…!?」
専務は、回りに、人がいないか確認したのち、
小声で、囁いた。「会長の御孫さん…怒らせたみたいだなぁ…?」、それを聞いて耳を疑った。
(会長のお孫さん?)思いあたるフシが無い!
「社員食堂のさえこさんだよ…。」
「ええー!!」、思わず大声を出してしまった。
「あの…小娘が…会長の、孫だったんですか…!?」
「コレ!小娘って、ものの言い方…止めなさい!とにかく、会長は、お怒りだ…。もう、君は今すぐに、出て行きなさい。」、「そんな…大体、喧嘩売ってきたのは、向こうなんですよ!」
「この際、そんなことは関係ない。」
「会長に謝罪しに行くので、会わせて下さい。」
「もう手遅れだよ…。」
「納得出来ません!個人的理由で、解雇されるなんて…。」、「退職金、多く上乗せするから、早く出て行ってくれよ。」、そう言い残し、専務は去って行った。直談判するために、食堂に乗り込んだ。この時間帯は、仕込みや、掃除等で忙しい。それなのに…
ここでも、会長の孫と知らされたのか?ベテランのおばちゃんをはじめとする、先輩達を、アゴで使っていた。等の本人は、中央のテーブルで、横柄な態度を取りながら、コーヒーを飲んで、スマホゲームをしている。いきなり怒鳴り込んだ!「ふざけないでよ!やり方が卑怯よ!」、女は、どや顔で「何が~?」と、笑いながら、問いかけて来た。内心(ざまあみろ!)と、顔つきも、物語っている。
ケータイをポンと投げ捨て、こんなことを呟いた。
「まぁ、私の一言で、お祖父ちゃん…機嫌直るし~。もう一度頼んであげても良いわよ…。」
「…いくら…?」
「はい?」
「…いくら払えば、良いのかって聴いているの!」
「お金の問題じゃない!土下座して謝って!」
「私は…お金を払って謝罪したいの…。」
「私、そういうの大嫌い!早く跪いて、私が、間違ってました。ごめんなさい。と言ってよ!」
「…。」
「ほら、早く~。」
「もう、いいわ…こんな会社、こっちから辞めてやる!」
噂を聞きつけ、栗崎が、やって来た。
「ヨシエ…。聴いたよ…。」
クッと、振り返り、女に、怒り口調で、こう言った。
「君、いくらなんでも、やりすぎだよ…。」
「私に、そんな口の聞き方していいの?あなたも、クビになりたいの?」
「…それは…。」
ヨシエが、栗崎に、ボソッと呟いた。
「もういいの…。職場に戻って…。」

その日の夜________。
久しぶりに、閻魔大王の居酒屋に、足を運んだ。
九州に旅行に行ってたらしく、お土産に、明太子を沢山頂いた。早速、お茶漬けで試してみたい。
明らかに、元気ないヨシエを見て、客足が落ち着く時間帯に、閻魔大王が気にかけて来た。
「何かあった?」
これまでの経緯を全て、話した。
「そっか…。それは許せねぇーな…。コネというのは、たちが悪くていけねぇーやな!まぁ、ヨシエちゃんみたいな優秀な人材は、他にも雇ってくれる所は、あるだろう?」、「はい。実は、過去に何社から、ヘッドハンティングがありまして、その誘いに乗ろうと思います。」
「そっか。そっか。」と、ニコニコしながら、閻魔大王は自分のことのように、喜んでいた。
帰る前に、小腹が空いたので、いつものシメのお茶漬けを頼んだ。
数分後に、出されたお茶漬は、いつものと違う…。
閻魔大王いわく、今日に限って、お茶漬注文が殺到され、米も、具材も切らしてしまい、
冷凍のご飯と、普段口にしている、ふりかけタイプのお茶漬けの素だった…。
「悪いね…こんな物で、勿論、タダで良いから。」
そう言って、閻魔大王は、申し訳なさそうに、背を向けたが…

同じ、お湯の分量と材料を使っているハズなのに…格別に、こっちの方が、美味しかった!

その疑問をぶつけてみた。
「気のせいだろう?」と、閻魔大王は呟くが、
「いいえ!長年お茶漬けを食べ続けている私には、ハッキリ違いが、分かります。」
何かの作業を終え、閻魔大王は、厨房の席に腰を下ろし、ゆっくり語った。
「そう言えば、お袋も同じこと言ってたな。普段、自分で煎れて飲んでいるインスタントコーヒーよりも、オヤジが一度だけ煎れてくれたコーヒーが、格別に旨く、忘れられないって!何かの錯覚だと思うけど、不思議だよな…?」
ウンウン。と頷き、今まで気になっていた質問も、ぶつけてみた。「そう言えば、マスターって、どうして居酒屋やることに、なったんですか?」
「単純なことさ!ヨシエちゃんみたいに、美味しい美味しいって喜ぶ顔が見たくてさぁ~。俺、頭も悪いし、これといった特技も無いから…料理の道に進んだだけさ。」
「いえ、マスターの料理は、お世辞抜きで、本当に美味しいです。それに、料理人も、立派なお仕事です。」
そこへ、団体客が入って来た。
「いらっしゃい。」
さらに、別の団体客もやって来た。
あたふたした閻魔大王の姿は、初めて見たかも知れない。オーダーから、料理、酒出しまで、全部一人で、やるとなると、さすがに手に終えない。
すかさず、ヨシエが呟いた。
「マスター、私、手伝いますよ!」
「えっ!?本当かい?悪いねぇ…じゃあ、酒出して貰える?」
「はい!」
伝票に書かれていた、生ビール、ビンビール、ハイボール、レモンサワー、日本酒を確認して、
準備に、取りかかった。
サーバーで、作り終えた生ビールを見て、閻魔大王が指摘する。「半分、泡立っているし、それは、客に出せないなぁ。」、「すみません。やり直します。」
「グラスを傾けながら、俺がハイって言ったら、一旦、手を止めて。」
言われる通り、やってみた。
「ハイ!」、ピタッと手を休め、「注いで。」と、言われて、数秒後に、「ハイ!止めて」、それを数回繰り返し、ようやくオーケーサインを頂き、客に出した。初めて自分で、注いだ生ビールを、男性客は、美味しそうに、グビグビ、一気に半分以上飲んだ。
妙な感動を覚えた!
余韻に浸っている場合ではない。
ビンビール、日本酒を出し、レモンサワーとハイボールは、調理しながら、閻魔大王に教わって、作った。
やり直し等も食らって、少々時間がかかったが、
全部、酒は捌けた。しかし、「生おかわり!」、「ハイボール追加ね。」と、押し寄せて来る。
合間に、料理も運ぶ。段々、生ビールのコツが掴めて来た。少し垂れてきた泡を拭いて、(我ながら、良い出来だ!)と感心して、運んだ。
一段落ついたと、思いきや…
閻魔大王が大きな声で、呟いた。
「ヨシエちゃん、ゴメン。焼き鳥、ひっくり返して!」、料理を一切出来ない、ヨシエは、火にビビる!煙もむせ混む…。モタモタしていたら、焦げてしまう。火力が強く、弱めたいが、それすら、やり方が、分からない。躊躇しているヨシエを見て、
「ヨシエちゃん、焼き鳥いいわ。今揚がった唐揚げ、器に、よそって。」、「はい!」返事だけは、元気が良いが、今度は、油が少し飛んだだけで、「ギャー」と、騒ぐ始末…。結局、閻魔大王に苦笑されながら、厨房を追い出されてしまった。
数時間後___看板時刻______。
ようやく、終わったと、思いきや、流しには、
山のような、洗い物が残っていた。
「これは、俺がやるから良いよ。ありがとう。ヨシエちゃんのおかげで助かったよ!」
「いえいえ。私なんか足手纏いで…。」
「コレ。」と言って、封筒を手渡された。
中を覗くと…現金一万円が入っていた。
「バイト代。」、「要りませんよ!そんなの。」
「受け取ってよ。」、「嫌です。いつも、マスターには、サービスして頂いているので充分です。」

家路に着いた頃には、深夜一時を回っていた。
クビを告げられ、人生で初めて居酒屋で働いて、
長く、疲れた一日だった。
だけど、心地よい充実感に浸っていた。
自分が、注いだビールを美味しく飲み、「美味しかったよ。」と客に言われて、心底嬉しかった。
「やりがい」、「いきがい」みたいのを実感したような気がした…。物心ついた時期から、勉強漬けで、
国立一期大学を出て、一流企業に就職した。
真逆の仕事だったけど…得るモノは、大きかった。
気づいたら、着替えもせず、風呂も入らないで、
ゴーゴーと、いびきをかいて寝てしまった。
ハッとして、目が覚めたのは、翌朝の十時半。
「ヤバい!遅刻だ!」と、焦るも…
「あっ…会社行かなくて良いんだった!」
コーヒーを入れ、テレビをつけて、再び、寝っ転がり、くつろいだ。
しばらくして、シャワーを浴びて、閻魔大王から貰った、博多明太子で、お茶漬けを食べた。
本場、九州の贅沢な明太子を味わい。
思わず、立て続けに、おかわりした。
しばらく休もうと決め、次の就職先を後回しにして、
隣街まで、散歩がてら、出向くことにした。
いつも、仕事のことばかり考えていたので、
のんびり歩くのは、何か心地よい。
天気も良く、流行りのカフェで、お茶したり、
お洒落なブティックで、沢山買い物もした。
気づくと、会社勤めのサラリーマンや、学生がぞろぞろ帰宅する時間帯になっていた。
夕食をどこかで、食べて行こうと、物色していたら、
「お茶漬け専門店」の看板に、目が止まった。
(お茶漬けなんて、家でも食べれるし、一切料理出来ない私でも、作れるのに…わざわざお金払ってまで、食べに来るお客さんなんているのかしら?)
一人で、ふと疑問に思った。
だが、店内を見渡すと…狭いカウンター席に、びっしり客で、溢れかえっていた!
興味を持ち、店内に入った。
威勢良く、母親の年齢層に近いおばちゃんが、
「いらっしゃいませ!席空くまで、もう少し待っててね。」と言って、出迎えてくれた。
背広を来て、後頭部が薄いおじさんが、お茶漬けを掻きこんでいる背後に陣取る。店内のシステムを確認すると、三百円で、ご飯と漬物が、おかわり自由。
お茶漬けの具材は、鮭、高菜、タラコ、海苔、昆布、イカ(試したことがない!)、梅、しらす…他にも、日替わりで、うなぎやフグ、鯛等、高級食材も選び放題、食べ放題みたいだ。目の前のおじさんは、額に汗をかきながら、王道な鮭と、海苔を頬張っている。
ナイスチョイスだ。店内は、皆、無言で、お茶漬けを掻きこむ音、カッカッカッ…と、響き渡っている、異常な光景だった。
「ごちそうさん。」一人の男性が、席を立った。
直ぐ様、ハイエナのように飛び付き、腰掛けて、前金で、三百円手渡した。イカを初挑戦しようと思い、
大葉とわさびが添えられて、出てきた。
透き通った、真っ白い北海道産真イカは、新鮮で、柔らかく、口の中でとろける絶品だ!これだけでも、醤油につけて、普通に刺身で食べても旨い。
二杯目は、何にしようかと悩んでいたら、
店主のおばちゃんが、微笑みながら、呟いた。
「本日、銀鱈オススメだよ~。」
なんと、贅沢な!即答で、それに決めた。
焼き加減も、丁度良く、塩の味つけが絶妙で、
口の中は、甘さと、ほど良いしょっぱさ、それと、
酒粕の風味が、ハーモニーを奏でていた。
また、お茶漬けのお湯は、熱湯で、肌寒い、秋の街を
ブラブラして、冷えた体を暖め、それが、全身に伝わってくるのが、分かる!心身共に、幸福感を得て、
この店に、来て正解だったと、つくづく思った。
さて、胃袋は、まだ満たされていない。
最後は、さっぱりした物が食べたくて、梅を選択。
この店の凄い所は、具材のほとんどが、産地直送で、仕入れている。出された梅茶漬けも、和歌山の南紀梅だ。採算がとれるの?と、首を傾げながら、美味しく頂いた。梅の酸味で、もたれ感が無く、後味も、シャキッ!として、逆に元気がみなぎってきた。
帰り際、「ごちそうさまでした。どれも最高に美味しかったです!近々、またお邪魔します。」と呟いたら、おばちゃんの様子がおかしい…。
先程まで、愛想良く、元気な声だったのに…
陰気くさい表情と、暗いトーンで、喋った。
「ありがとうね…。でも、今日で、店閉じるの…。」
「えっ!?」思わず、驚いて大声を出してしまった。
せっかく、良いお店に巡り会えたのに…ガッカリだった…。良く見ると、さっきは、空腹で、食べることしか頭になかったが…店内の壁に、「本日で閉店します。長いご愛顧ありがとうございました。」と、貼ってある。ヨシエは、諦めきれなかった。
(こういうお店が、もっと流行れば良いのに…。)
それは、一瞬の閃きと、会社を辞めたタイミングも重なり、勢いに任せて、こんなことを口にした。

「私が、このお店やります!」

おばちゃんも、食べていた客、全員箸を止めて、
ヨシエの顔を見て、キョトンとしていた。

後日__________。
退職金と、貯金を全額使って、借金無しで、
店を買い取った。居抜きなので、調理器具や、食器を買う手間と予算が省け、すぐにでも、オープン出来そうな勢いだ。
しかし、大問題が発生する…。
ヨシエは、調理師免許を持っていない。
おばちゃんは、所持しているので、そのまま雇えば、問題ない。話を持ちかけたが…腱鞘炎と、腰のヘルニアで、元々、引退する予定だったので、あっさり、断られた…。こうなれば、今から自力で、免許を取ろうと、考えたが…所詮、料理の才能が無い…。
全財産払って、今さら後戻りも出来ない!
切羽詰まっていたら…閻魔大王から電話がきた。
用件は、「松茸が入ったから、食べに来ない?」だけだったが、ニヤリとして、足早に向かった。
松茸は、勿論楽しみだが、早速、相談した。
閻魔大王は、かなり驚いていた。そりゃそうである…
料理経験の無いド素人が、いきなり店を始める!なんて聞いたら、誰でも腰を抜かす。
それでも、親身になって、眉間にシワを寄せて、考えてくれた。
暖簾をしまった閉店後に、その答えを聞けた。
「俺が、その店、手伝うよ!」
「えっ!それは心強くて、嬉しいけど…私のお店と、マスターの店、両方やるのキツくない?」
「いや、ヨシエちゃんの店、一本で行く。」
「いやいや、そんな…成功するか分からないし…何の保証も無いですし…。」
「良いんだよ。俺は、気ままな独身生活で、金は、ほとんど必要ねぇし、そこそこ貯えもあるし、それに…
足腰が限界きているみたいでよー。そろそろ、この店畳もうかと、最近考えていたんだ。」
閻魔大王が、手伝ってくれたら、百人力だ!
自信はなかったが、甘えて、頼むことにした。
「これから、よろしくな。」と笑顔で言った閻魔大王が、仏のように見えた。

店名は、「お茶漬け専門店 良家」に決まった。
ヨシエとかけている。料金も、メニューも、ほぼ前の店を引き継いでいる。居酒屋歴三十年の閻魔大王は、手際良く、仕込みを済ませ、二人で、試食することになった。ご飯が、やや硬炊きだし、味付けも、濃すぎて、やり直し。今度は、柔らか過ぎて、ご飯がべちょべちょしている…。具材も、お湯を注いだ時の計算も入れないと、いけないので、調整が難しい。
一週間、試行錯誤の結果…ようやく完成した。
ヨシエと閻魔大王の友人、知人、家族を各自呼び、
身内だけで、プレオープンすることとなった。
匿名で、アンケート用紙を書いて貰い、色々、指摘して頂いた。一番気になる味付けは、四十票中、半数が「普通」と回答されていた。本音を言えば、ヨシエも、そう感じていた。今のままでも、客に出せるが、今一歩、何かが足りない気がした…。
しかし、ここ最近、寝るまを惜しんで、調理に没頭している閻魔大王に言えなかった。
そんな、中途半端な状況下の中、ついに本格的に開店した。ヨシエは、料理が出来ない分、ホームページ作成したり、自らビラを配ったり、広報活動をしていた。宣伝の効果は、実り、新規と、前のお店の常連客が、押し寄せて来た。
オープン初日は、行列が出来るほど、大盛況だった!
この状況は、次の日も、その次の日も続いた。
しかし、閻魔大王は、首を傾げていた。
ヨシエの「どうしたの?」の問いかけに、
「一見さん、ばかりで…リピーターが来ないなぁ…。」
と答えた。長年、飲食店を経営していた閻魔大王の読みは、鋭かった…。
オープンから、一週間後、早くも、客が途絶えた…。
一日で、三名のみ…という日もあった。
本日も、閑古鳥が鳴いていた…。
焦っていた。二人で、改善策を練ろうとしたら、
全員ボーズ頭の高校生グループが、やって来た。
(野球部?部活帰り?)、男達は、九席しかないカウンターにびっしり並び、久しぶりの満席になった。
しかし、育ち盛りで、部活の帰りとあってか?
腹を空かした男達は、ガツンガツンお代わりした。
一人、平均四杯食べた。中には、七杯食った輩もいた。これでは、赤字である…。正直、成長期や、大食いの方達には、ご遠慮願いたいのだが…
お金の無い学生にとっては、こういう店は、助かるので、どうしても集まってしまう。
結局、この後、二名、客が来ただけで、この日の暖簾は、下げた。賄いがてら、余った食材で、お茶漬けを食べた。食事をしながら、閻魔大王が、こんな提案をする。「いっそのこと、食べ放題辞める?」
「私も、それ…ずっと思っていた…。」
「一杯ずつ料金頂く?」、「いくら位が良いかなぁ?」、「食材にもよるけど、百五十円採って、ギリギリ利益出る感じかなぁ…。」
ヨシエに、不安がよぎる。「でも、下手にコロコロ変えるより、他に改善点も、あるかも知れないし…。」
「というと…?」、「プロの経営コンサルタントに、相談してみようと思うけど。」、「ああ。それがいいかもね。」
翌日、早速依頼した。勿論、無料ではない。
ヨシエの貯金は、底をつきかけていた。
失敗すれば、来月から、自分の生活も、閻魔大王に払う給料も、一切無い…。
しばらくお店を休み、徹底的に、コンサルを受けた。
コンサルタント雲川氏は、過去に、二十店舗以上の閑古鳥が鳴いている飲食店を再起させた実績があり、人望も、暖かく、アドバイスも丁寧で分かりやすい。
また、客足の年齢層、来店する時間帯等を、こと細かく、調べていた。頼りになる存在だ。
雲川氏に、お茶漬けを食べさせた。
落ち着いた物腰と、優しい口調なのだが、
言うことは、キッパリ言うみたいだ…。
オーソドックスな鮭茶漬けを半分、頬張ったところで、箸を置き、ズバリ指摘した。
「この程度なら、家庭でも作れます。プロの味じゃありません。」
仕入れ先は、前の店と同じところから取り寄せている。ご飯の炊き方も、何度も試行錯誤した!
お湯の分量も、間違えてない…何がいけないのか、問い詰めたら…こんな答えが、返ってきた。
「切り方に問題ありますね。」
閻魔大王が、シケタ面持ちで呟いた。「切り方?」、「はい。鮭にしても、ただ無造作におろしてませんか?」、「そうだけど…切り方で、味が変わるなんて、思えないんだけど…?」
一応、三十年、居酒屋の厨房に立っていた閻魔大王の料理人としてのプライドもあり、段々不機嫌になってきた。雲川氏は、ヨシエと閻魔大王を、ある料亭に連れて行った。顔見知りのお店らしく、女将さんと板前さんと親しいみたいだ。「板さん。いつものお願いします。」、雲川氏が注文して出されたのは、ごく普通のマグロの刺身だった。「食べてみて下さい。」
普通に美味しかった。
そして、数分後に、料理が運ばれて来た。
また、マグロの刺身だった…。
雲川氏が言う、「さぁ、こちらも食べてみて下さい。」、ヨシエも閻魔大王も、(せっかく料亭に来たのだから、もっと他の料理も食べたい)と、内心思っていた。渋々、二皿目のマグロを口に運ぶと…
衝撃が走った!明らかに、一皿目とは、全然違う!
全く異なる次元の旨さだった。
二人共、箸が止まらない。おかわりしたい勢いだ。
雲川氏が呟いた。「実は、両方共、同じマグロを使っています。」、閻魔大王が、それに反論する。「嘘だぁー!全然、違ったぞ!」、ヨシエもそれに、賛同する。「そうね。とても同じマグロとは思えなかったですけど?」、板前が、割って入ってきた。
「いえ、雲川さんのおっしゃるとおり、二皿とも、同じマグロを使わせて頂きました。」
「どういうこと?」、閻魔大王の問いかけに、板前が答えた。「最初のマグロは、使い慣れてない包丁で、無造作に切った物でして、二皿目のは、わたくしが、普段から愛用している包丁で、魂を込めて切りました。」、切り方ひとつで、ここまで味が変わるなんて、信じられないが、目の前で、目の当たりにされた。実は、閻魔大王は、ここに来る前から、わかっていた。本来、鳥の唐揚げや、焼き鳥等、揚げ物中心に出すことが多く、元々、包丁は、得意ではなかった。
帰り道…閻魔大王が、ヨシエに突然謝った。
「ごめん!ヨシエちゃん。俺の包丁捌きが未熟だったばっかりに…客足が飛んだ…。申し訳ない!」
ヨシエは振り返り、呟いた。「いえいえ、寺越さんは、何も悪くないですよ。私こそ、そんなことも知らずに、無知だったり、もっと事前に、色々リサーチするべきでした。」、寺越とは、閻魔大王の名字だ。
「良し!今晩から、早速、包丁の練習してみるぜ。」
「大ベテランの寺越さんなら、すぐに扱えるように、なりますよ。」、「おっと、ヨシエちゃん買い被り過ぎだぜ!ところで、雲川さん、他に、調理のことで、改善点はあるかい?」
「気になったのが、食材の保存と解凍方法ですね。」
鶏肉ばかり扱っていた閻魔大王は、魚の保存と解凍のやり方が、間違っていたみたいだ。細かいことだが、
些細な下準備で、鮮度や臭み等、変わって来る。
雲川の紹介で、具材の保存と解凍のその道のエキスパートに、後日、習いに行った。
結果、全然やり方が、間違っていた!
閻魔大王は、やると決めたら、とことん極める人間だ。寝る間も裂いて、包丁の練習もして、
渾身の力作、鮭茶漬けが、ヨシエと雲川に出された。
カウンターに置かれた、鮭茶漬けは、食べる前から、風味が、以前より、全然違った!これは、改善した解凍方法により、臭みが無く、新鮮な素材を生かしたタメだ。一口、運んだ瞬間、あの料亭で食べたような衝撃が走った!箸が、止まらなくなり、ペロリと平らげた!雲川氏は、満面の笑みで、こう言った。
「百点満点、いや百二十点ですね!」
閻魔大王は、照れた様子だった。
「さすが、寺越さん!これならお客さん絶対帰って来ますよ!」ヨシエも、褒める。
そして、今度は、広報も指摘された。
ヨシエが独断で作ったホームページを、ほぼ修正され、全くの別物になったが、読んでみると、確かに、お茶漬けを食べたくなる文面や、足を運びたくなるキャッチフレーズだった…。
自信満々に、雲川が呟いた。「明日から、営業再開しましょう!」、「はい!」

三日程で、客足は、戻った。
週末には、完売する日も、あったほどだ!
それでも、単価が安いので、客が押し寄せても、
利益は、あまりなかったが、やっていける自信がついた。この後も、雲川氏に、一ヶ月間、見守って貰い、
「もう問題ないでしょう!頑張って下さい。」と、プロのコンサルタントのお墨付きを頂いた。

半年後_________。
順調に店は、繁盛して、経営は、少しずつだが、
余裕も出てきた。だが、新メニュー開発や、新規顧客を獲得するために、ビラを配ったり、ヨシエも閻魔大王も、日々努力していた。
ある日、看板十分前に、ふらっと一人の女性客が、やって来た。具材も、ほとんど残っていないし、食べ放題というシステム上、時間的にも、損をするが…
その女性は、カウンターの中央席に、腰を下ろした。
「いらっしゃいま…」、ヨシエの言葉が詰まる。
その理由は…良く見ると…さえこだった…。
向こうも、ヨシエが、店を開いたことは、知らなく、
お互いに、驚いた様子で、しばらくフリーズしたままだった。閻魔大王が、問いかける。「どうしたの?ヨシエちゃん、知り合い?」
「…例の…。」、ヨシエの暗い声のトーンと、曇った表情で、すぐに察知した!そして、閻魔大王が怒鳴る。「アンタが、会長の孫かい!?ヨシエちゃんを会社から追い出しやがって、帰ってくれ!」
ヨシエが、止めに入り、こう呟いた。「もういいの!」、今度はさえこに、目を合わせて、こんなことを言った。「いらっしゃいませ。三百円で、好きな具材と言っても、ほとんど残ってませんが、選んで、食べ放題です。」、さえこは、ここに来て、初めて口を開いた。「驚いた…。こんなお店で、働いていたのね。悔しいけど、あなた優秀だから、すぐに、大手企業に、勤めて、いるかと思っていた。」
「何になさいますか?」
「えっ、じゃあ…梅で。」
「かしこまりました。少々お待ち下さい。」
準備している間に、さえこが問いかける。
「ひょっとして…こんなご時世だし、再就職出来なかった?なんか、ごめんね…。こんな所で、アルバイトしている姿見てたら、哀れで…。」
さえこはいきなり席を立ち、大声で謝った。
「私、大人げなかった。本当にごめんなさい。」
しかし、ヨシエは、何も答えない。
そして、用意出来た梅茶漬けを出した。
「お待ちどう様です。」
さえこは、梅の端を箸でつまみ、ご飯にのせて口に運んだ。お湯も啜り、思わず絶句した。
「美味しい~!こんな旨いお茶漬け、生まれて初めて食べた。」、「ありがとうございます。」
さえこは、無我夢中に、一気に掻きこみ、今度は、王道の鮭を注文した。
調理している間、さっきの問いかけに、答えた。
「私、ここでバイトしているんじゃなくて、脱サラして、この店、立ち上げたの。勿論、他社からオファー断ってね。だから、自分で選んだ道なの。あなたは、何も責任感じないで良いのよ。」
「それに…。」
「むしろ、あなたのおかげかも…!会社を辞めなければ、こんな充実した毎日と出逢えなかった…。」
さえこが、恐る恐る質問をぶつける。
「後悔…本当にしてないの…?」
笑顔で、にっこり、それに返した。
鮭茶漬けを頬張りながら、こんなことを呟いた。
「でも、ホント美味しい!また来ても…良い…?」
「はい。ありがとうございます。いつでもお待ちしております。」、閻魔大王も、申し訳なさそうに、言葉を発した。「さっきは、怒鳴って、すみませんでした。これからは、牡蠣が旬なので、是非いらして下さい。」、「私、牡蠣大好き~!絶対食べに来る!ところで…」さえこは、閻魔大王の顔をじろじろ見て、意味深に、ニヤニヤしながら「だ~れ?」と、ヨシエに問いかける。ヨシエが、答える前に、閻魔大王が、先に呟いた。「あっしは、ただの雇われ料理人ですよ。」、ところが…すぐさまヨシエが、とんでもないことを口にする!
「寺越さんは、顔は怖いけど、真面目で、努力家で、優しくて、頼もしくて、良き理解者。」
照れた様子で、顔を真っ赤にして、閻魔大王が、言った。「そんな褒めたって、何も出ないぞー!」

「何もいらないから、結婚して。」

「エッ…!!」、「えぇー!?」
閻魔大王とさえこの声が、シンクロした。
「おいおい、ヨシエちゃん…。おじさんをからかっちゃいけないぜぇー…。」
「いえ、本気よ!これからも、ずっと一緒に居たい!」
閻魔大王は、動揺して、洗っている食器を落としながら、それに答える。
「いやいや、俺、もう還暦だし…ヨシエちゃん、若くて美人だし、釣り合わないよ…。」
「そんなの関係ない!」さえこが、突然割って入って、そう言った。続けて、閻魔大王に叱るように、呟いた。「男は、年齢なんて関係ない!ヨシエちゃんの好意に、ちゃんと答えなさいよ!」

「こんな俺で良ければ、是非よろしくお願いします!」

パチパチと、さえこの拍手音が、店内に、こだましていた。

数ヶ月後_______。
ヨシエと、閻魔大王は、一週間、新婚旅行で、グアムに来ていた。
綺麗なビーチで、透き通った海を目の前にして、
肩を並べて、満喫していた。
閻魔大王が、呟いた。「俺は、世界一の幸せ者だね!だって、こんな若くて美人な嫁と、こんな所に居るんだもん。」
「でも…こんな贅沢な旅行は、二、三日で、充分かなぁ?性分なのか知らねえが、俺は、働いていた方が良い…。」
フフフと、笑い、ヨシエも同じことを思っていたようだ。「まだ、二日間あるけど、明日の便で帰りましょうか?」
「それに…日本食も恋しくなってきたしね!」
「そうそう!何が一番食べたい?」
二人は、声を揃えて呟いた。

「お茶漬け。」

この物語はフィクションです。
この度は、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
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