死ぬ気で「いま」を戦う。
普段こんな投稿しないけど、文章も校正もぐちゃぐちゃですが備忘録として。
久々に同期と電話して、励まされ、そして、とてつもなく勇気をもらいました。
e-Educationのフィリピン担当として、あらゆる経験と挫折と成長をいただいた昨年。
一方、日本に帰国してからもうすぐ1年が経とうとしているけど、全然価値も提供できていないし、成長を感じられないままでいました。
正直、決めた!と思っていてもどこか納得感のないまま進んでいました。
MAKERS、STYZでのインターン、帰国してからのトビタテの活動、eeduでのクラウドファンディング、自分の企画など。
多くのチャンスや人に恵まれてなかなかないモノをいただいていたのにも関わらず、燃え尽きて、「自分」が見えなくなってしまった3ヶ月前。
そんな中、今日夜遅くにも関わらず、電話をした同期から多くの大切なことをたくさん思い出させてもらいました。
その中でも、一番今の自分に響く言葉がこの言葉でした。
「今を死ぬ気でがむしゃらに生きる、頑張る」
日本に帰国してからは、周りが就活に取り組んでいたり、起業しサービスを開発し提供し、資金調達していたり、自分の生き方を決めて突っ走っているやつらに幸運にも囲まれていました。
どうしても周りを気にしてしまう、自分はこんなにもチャンスをいただいているのに何もできていない、関わってくれた人たちのことをないがしろにしてしまっている。
MAKERSでお世話になっているクロスフィールズ代表の小沼さんから毎回のように厳しくも示唆深い本気のお言葉を毎回いただいていたのにも関わらず。
そんな感情にずっと埋め尽くされていました。
自分は自分だと言い聞かせてもどこか腑に落ちない「繋奏太郎」がいる。
結局、ここの結論は、「今を死ぬ気で頑張れていない自分」だと気づかされました。
いろんなことをこなしてしまっている、いや、こなせてしまえるようになってしまった。
どこか去年の成長した自分のキャパシティの中に安住してしまっている自分がいました。
・やるかやらないか、それに尽きる。
・そして、決めたなら今この瞬間を全速力で走りきれるかどうか。
結局この二つに全ては尽きることを大事な同期から思い出されました。
この二つは、自分がフィリピンで悩んでいた時、e-Educationの直属の上司の吉川さんから学んだことでした。
話は少しそれますが、映画「ボヘミアン・ラプソディー」を1人観に行ったストーリーを伝えさせてください。
フレディ・マーキュリーがQueen・個人で生きてきた生き様をドキュメンタリーにした映画です。
彼は音楽に人生を賭け、突き進み、成功したかに見えたけど、見えないところでのセクシュアリティやバンドのファミリーとは何か、そして、何よりも表現に妥協しないこと、その時々を死ぬ気で生きているフレディの生き様に胸を奮い立たせられました。
ラスト30分くらいはもう泣きっぱなしで。映画で泣くなんて多分初めてくらい。
そして、彼だけではなく、自分の周りにもそういう人たちばかりいることに気づかされました。
ああ、かっこいいって涙を流したのは「今を死ぬ気で生きている」から。
それは去年やってたことじゃん。輝いてたんじゃん。
そう思わされました。
周りなんて関係なくて、現地のために、自分が正しいと思うことに突き抜けること、やってたじゃん。って。
e-Educationの開人さんが常々口にしている言葉があります。
「自分の選択した道を正解にする」
いや、ほんとにその通りだなと。
結局今を死ぬ気で突き進み、その道を正解にする以外にない。
それが「納得感」ではないか、そう思います。
去年は去年。そして、今は今。
去年乗り越えたことで何を悩んでいるんだ。今を泥臭くがむしゃらに生きること。
結果、それが未来に繋がる。
今、自分の周りにいてくれる友人たち、そして向き合ってくれる方々には本当に感謝しかありません。
遅すぎるくらいに気づかされました。
どんな道に進もうと、死ぬ気で進む、向き合うことを決意したそんな夜でした。
まだまだ書き足りないのですが、また整理して書き足していこうと思います。
おやすみなさい。
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