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Beauty Japan岐阜大会を終えて
はや2ヶ月ー。


私が挑戦するにあたり
唯一挑戦の報告ができなかった人がいた。

母親・・・。

私が小学2年生の頃、
母親の持病が見つかり入退院の繰り返し。


母親のいない幼少期を送ってきた私には

さみしい・・・

以外、幼少期をあまり思い出せない。
(※2年前までは無菌室に入っており、
現在は自宅にて療養中です。)


甘える 委ねる 弱音を吐く
イコール ダメな事と思い込んで
育って来てしまった私は、

泣いちゃダメ!
笑顔でいなきゃいけない!
強くいなきゃいけない!
私がやらなきゃ!


小さいながらに
毎日必死で色々な感情を背負い
よく頑張って来たと思う!笑
(授業参観、運動会、お弁当持参の日
どの行事も大嫌いでよく仮病使っていたな...)

正直すごくすごく寂しくて
周りがただただ羨ましかった。

きっと家族を離れ病院での生活...
母親も私以上に寂しくて
辛い思いをして来たのだと思う。

けれど、
さみしい!!!
認められたい!!!
私を見て欲しい!!!

母親の愛情が欲しい
母親に認められたい一心で
進学、海外留学、就職と、
私なりに努力をして進んできた。 

それでもやっぱり心は満たされなくてね、
そんな母親とは心の距離が出来ており
未だどこかぎこちなない関係・・・。
(単純に素直になれない私がいるのよね笑)

頑張れ!応援しています!
お母さんは役に立てるかわからないけれど
何かあったらいつでも言ってください。

岐阜新聞の掲載記事と共に送られて来たLINE


私が向き合っていないだけで、
私が受け取れていないだけで
母親からの無償の愛は本当は伝わってる。

今回の挑戦がなかったら
母親と向き合いたい...!
と、思うこともなかったと思う。

新聞に載った事で私の挑戦に
母親が気付いて連絡くれて応援してくれて。

私がママの救世主として活動していく以上、
なんでママの救世主になりたいと思った?
私の想いや活動内容などなど・・・

過去のおかげで今の私がいること。
母親に感謝と共に伝えて進んでいこう。

母親と向き合うことでもっともっと
私の可能性は拡がるだろう。

いつもありがとう


順風満帆に生きて来たと
思われがちな私ですが、
波瀾万丈な人生だったからこその使命。

少しずつ投稿していきます...✍️


なみなみの挑戦はまだまだ続く。

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