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夕暮れノイズ

屋上を隅から隅まで所狭しとウォーキングするジャージ姿のおじちゃんが握り締めるラジオから首都高の渋滞情報が聴こえてくる。最新式のクリアな音質ではなく、少しノイズが混ざるポケットラジオは今日もまた池尻大橋を先頭に用賀まで断続的に渋滞していると教えてくれる。
商業用バンの社用車は今どきナビもなく、FMラジオも壊れていてAMしか聴けなかった。BluetoothはもちろんCDデッキなんて気の利いたものはない。シートも硬くて遠出する度に尻が悲鳴をあげる。負荷を和らげるため様々な工夫を凝らしたが未だ正解には辿り着けていないのが現状だ。
聴くものといえばスマホのボイスメモに録り溜めた作りかけの自作ソングと、時折、耳を澄ます渋滞情報ぐらいだった。今となってはそれも遠い昔の出来事のように感じ、どこかの断続的な渋滞も他人事のように思えた。

入院して2週間が過ぎようとしたある日、初めて屋上に出れることを知った。共用の洗面所で話しかけた同い年くらいの女性患者が教えてくれた。看護師さんは当たり前になっていることはあまり教えてくれない、屋上に行けることも、院内食に選択肢があって用紙に記入して提出することも。得手して世の中はそういうものだ。大人になればなるほど自分にとっての当たり前が相手にとっては当たり前じゃないことをいちいち考えて教えてあげれるほどの余裕がない。看護師さんもきっと意地悪でもなんでもなく、ただそれどころじゃないぐらいに日々の業務で忙しいのだろう。勇気を持って女性に話しかけた賜物とも言えるその吉報を聞いたのはもう夜だった。「明日さっそく屋上に行ってみよう」明日の天気予報は台風らしい、でもそんなことは微塵も関係ない、そう思って眠りについた。


「階段を昇る」という行為すら久々で嬉しかった。すっかり弱っている脚の筋力を鼓舞するように一段飛ばしで駆け上がった。隔離病棟にいる限り、入院中はいっさい外には出れないと思っていた。朝から夕暮れまで窓越しに雲行きを眺めては、何もできない自分に切なくなっては情けなくなる。完全な不自由ではない、でも決して今までのような自由はない。そんな歯痒い現実を突き付けられる日々は精神的にもダメージが大きかった。その反動もあり、屋上への扉を開けて空を見た瞬間には心が跳ね上がった。思わず「うわあああ」と声が出ていた。今まで見てきた幾多の絶景に匹敵するぐらいの感動があった。国道沿いから海が見え、いよいよ波打ち際へと裸足で駆け出すような、あの気持ちによく似ている。風が強い、台風の影響か、雲の動きは早く、蜘蛛の子を散らすように小雨がパラついている。前に風を浴びた時に感じていた夏の匂いはカケラもなく、すっかり秋の匂いだ。
足元のビーチサンダルは否応無く季節ハズレになった。そんななんでもない気象を感じられるのが久々であり、たまらなく嬉しかった。
天気に関係なく空とはこんなにも美しいものだったのだ。



それからと言うもの、毎日屋上で空を見るのが日課となった。朝日を浴び、ベンチに座っては風に吹かれ、雲の形をぼんやり見上げ、夕暮れに胸を震わせてはまた夜を越える。そんな当たり前の繰り返しが今は尊い。屋上のまわりは高い柵で囲ってある。当然と言えば当然だ。色んな想いの人がいる、空に希望を抱く人も逆に絶望を抱く人も。それでも空は美しい。空はいつだったって僕らを魅了する、なんてドラマチックなんだろう。柵の隙間から切り取られたジオラマみたいな街を見下ろしながら、相変わらず聴こえてくるノイズ混じりのラジオをBGMに「元気になったらどこへ行こう」僕はただひたすらそれだけに胸をときめかせている。

もうすぐ退院だ。

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