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砕け散る

「もしまた喀血するようなら動脈塞栓術をやりましょう!」

入院して七日目、ちょうど一週間が経った朝、結露による水滴が落ちる窓際で担当医から聞かされた言葉。だが、言葉というよりそれはむしろ宣告に近い、そんな印象を受ける口調だ。
次また喀血した場合には大腿動脈からカテーテルを挿入、そこに造影剤を注入、内部の状態を撮影した後、必要ならば金属コイル等の塞栓物質を用いて肺付近にある損傷した血管を塞栓する治療を施すらしい。
専門知識がない自分には「なんだかわからないがとにかく異物を体に入れるのは怖くてたまらない」そんな印象にしかならない。

短髪で無精髭の担当医は柔らかさの中にも医者としての厳格さを感じる。想いや気持ちと言った感情論など医療の前では後回し、いかに患者の間違いなく治療を進めて行くか、ただそれだけなのであろう。

喀血に耐えられず搬送され入院した翌朝、更なる喀血と三十九度の高熱が待っていた。意識が朦朧とする頭では「本当にここから生きて帰れるのか?」そんな不安しか浮かばなかった。

入院初日から三日目位まではそんな状態が続いた。熱の上がり下りに波はあるが身体中の感覚がすこぶる鈍くなり、寒気がするのに全身がとにかく火照り熱い。それはただうずくまるしか抵抗できない程にとてもしんどかった。四日目からは熱もだいぶ下がり体調はだいぶラクになった。朝晩に一回ずつ、止血剤の点滴を一時間かけて投与する。日本酒でも流し込んだように胸の辺りがカァっとなる。それは少し胸焼けのようで苦手だったが、それでも点滴が終われば制限はあるものの病棟内は自由に動き回れるし、何より入院先は個室だったので比較的快適だった。「このまま順調だったらすぐにでも退院できるかもしれない」人より前衛的思考回路は何の根拠もなく退院への最短記録に淡い期待を浮かべていた。

思えば、発症してメディカルセンターで初めて診察を受けた時も「きっと夏の暑さと疲れでのぼせただけだ」そう思っていた。翌日に総合病院で隔離されたときも「鼻血がのどに落ちてむせてしまっただけかもしれない」そんなことを思っていた。ある程度の年月を費やし専門知識を得たプロフェッショナルな現場スタッフを前にまだ「単なる偶然の軽症と何事も無く帰宅」を信じていた。翌朝、緊張感のある先生からの陽性反応の報告にあっさりとそんな期待は砕け散った。無知と言うのは本当に恐ろしいものだ。

四日目の夕方、また喀血してしまった為、止血剤の点滴が二十四時間に切り替わった。二十四時間と言っても一日で終わりなわけではない、午前零時に新しいパックにまた切り替わるだけ、つまりしばらくは四六時中ずっと点滴漬けというわけだ。

これには参った。何をするにも点滴のチューブを気にしなければならない。自由奔放に生きてきた身としては捕まり首輪を繋がれたようで非常に厄介だ。

これは旅行ではない、遠足や合宿でもなけりゃ何かの研修でもない。
これはれっきとした入院なのだ。
そして、自分はれっきとした病人なのだ。
いつ何時もどこへでも点滴に付き纏われ、またしても軽はずみな期待は呆気なく砕け散るのであった。


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2020年9月6日、帰宅直前に突然咳き込んだと思ったら喀血(5分程でおさまる)。日曜の夜だったので救急のメディカルセンターにて採血と胸部レントゲンを撮る。血液に異常は無しだが肺に何か変な影があると伝えられる。

9月7日、総合病院にて事情を伝えてCTスキャン。看護士さんがやりとりする度に防護服になり個室に隔離され感染症の疑いがあることを説明される。結核の血痰検査、コロナPCR検査を受ける。

9月8日、病院より検査結果の連絡。コロナは陰性だが結核の陽性反応との事。翌日から強制的に入院開始の予定だったが同夜にまた喀血し救急車にて搬送。

現在、隔離病棟にて治療中。






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