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妻がメルカリに出品した

妻が僕の私物をメルカリに出品しようとしている。

平成に入った頃から、僕の収集癖というべきものが始まった。

お菓子のシールやカードダス、ガチャガチャ、PETS、、
当時小学生だった僕は、小遣い片手に近所の駄菓子屋や、学区外のオモチャ屋にビビりながら出かけたものだ。

中学生の頃は、別のクラスの少し変わった気になる生徒が、休日には粗大ゴミ置き場を巡り、ジャンク品を修理して使うという、さながら北の国からの純(ペンチ時代)のような活動をしていて、僕も彼の真似をして粗大ゴミを目指して友人と遠出した思い出もある。(結局、月一回の粗大ゴミの日を調べずで収穫ゼロ)

その頃から5歳上の兄の影響で音楽にも興味を持ち、近所にレコード屋があるという理由で進学する高校を決め、当初は何を買っていいかも分からず、とりあえず映画や昭和ドラマのサントラ盤をdigっていた日々。

大学生になるとリサイクルショップという存在を知り、珍しそうなものを集め始める。
限定やイッテンモノの響きに惑わされたり、
同じものが安く大量に販売されていると、
物欲の虫が騒ぎ出し、抑える事が難しくなった。

ゴミ捨て場、喫茶店の解体現場、リサイクルショップ、フリーマーケット、古本屋をループする毎日。
じきにブックオフやハードオフがどんどん展開しはじめ、まさにオフ会と称して友人とオフロードを巡ったりもした。

しかし、同じ趣味の友人と出かけると、欲しいものが被る。
それに気づいた僕らは、自然にしれっと一人で行動するようになった。

掘り出し物を見つけては、お互いネタと値段を披露する。
他人には全くわからないやりとりだが、これがとてもよい楽しみだった。

またD&DEPARTMENT PROJECTが動き出したのもそれくらいの時期でホントに憧れの的だった。

その頃からか、タダで大量に手に入る工業廃材やダンボールに興味を持ち始める。

バナナのダンボール箱が収集物を保管しておくのにちょうどいい事に気付き、バナナの箱、特にDOLEのハコをドル箱と呼んで、今度はそのドル箱を集め始める。

収集遍歴はその時代時代で趣味嗜好が緩やかに変化していっているのだが、現在まで続いているのがダンボールである。

ある事を機にダンボール収集が続いている理由を考察してみた。
辿り着いた答えは「重荷にならない」こと。

これまでモノを集めてきて、もはや思い出だけで満足できるモノも多くある。
であれば、断捨離を決行しても構わないのだが、思い出がある分、エネルギーを使ってまで処分する行為になかなか辿り着けない。
断捨離という字面が僕にはどうも強過ぎる。

学生時代に収集活動を共にした友人が発した言葉は、そんな僕を今でも楽にしてくれる。
「わざわざ頑張って捨てるほどのモノでもないよね」
そうなのだ。
持ってるモノは特にプレミアがついているような骨董でもなく、本当に極私的なガラクタたちなのである。
そこにエネルギーを使いストレスをためるのはなんだか勿体ない。
段々と感謝してリリースするくらいの“段謝リ”がちょうどよい。

そのような流れがあり、現在の収集欲を満たす対象がダンボールへと向かっているのであると。

処分を考えたときに、プラスチックで出来たものは粗大ゴミとして排出したり、リサイクルショップで二束三文で手渡したりするのは、どうも気が引ける。

しかし、リサイクルインフラの進んだダンボールは罪悪感なく廃棄出来るし、何か別のものに加工して価値を作るという行為も現在ではアップサイクルとして注目を浴びている。

収集の対象がダンボールに遷った今、
僕と平成を共にしたガラクタたちは、
写真アルバムのように思い出として
残ればいいと思いはじめた。

とはいえ、現物を見てコンマリさん風に自分で収集物とお別れするのは、平成の思い出(といっても物自体は昭和に作られたモノがほとんど)がまとわりついてお別れ出来る自信がない。
僕の中の平成がなくなる気がして。
ロスト平成。。。

そんな気持ちには全く関せず、妻が僕の私物をメルカリで売りたがっている。

最初は抵抗したが、このように思い出を文章化し、メルカリで販売履歴が残ればデータベース化まで出来る。

ならば、妻に出品を任せるのも手ではないか。僕の目には触れないように、どんどん出品していき、もちろん価格も妻が決める。
時々、僕はメルカリをチェックし恐らく愕然とする。
だが、それと同時にそのモノにまつわるエピソードをnoteに綴っていく。
売れれば、そのリンクQRコードをしおりにして発送することで、そのモノを手に入れた人にだけ、僕の思い出を託すことが出来る。
(買う身になると若干の気持ち悪さを感じなくもないが、、、)
時には、自分で買い戻すこともあるだろう。

これで断捨離が劇的に進むとは思っていないが、それとは別にコミュケーションが簡素化されていく現代に対し、このようななんだか回りくどいやりとりを試してみようと思う。

ひとまず、妻がメルカリに出品した。

その出品物を“ツマメル”モノとして、
ツマメル・ムーブメントを作れたらと思うこの頃である。