友達の話

シンガポールの話は少し休憩です
あまり重たい話にならないよう気を付けたいのですが、ちょっと重めな話です。
これを読んだ方にも考えてもらいたいと思う反面、答えがあるわけじゃないからある意味どうしようもない愚痴をこぼさせてほしいという日です。
今日は
友達の話です。
僕は友達と喧嘩したり何かがあったときに仲直りみたいなことをした覚えがないのですが、皆さんはいかがですか?
小学生や保育園児の時に先生に言われるまま仲直りのポーズをとったことはありますが、覚えている限りその相手の中に今でも仲良くしている人はいないし、何なら苦手だと思っていることが大半です。
一般的にはどうなんでしょうか?一度苦手、というか嫌いになった相手は一生嫌いなままでしょうか?もちろんやむを得ない事情があって、それを後から知らされて、誤解が解ける。そんな漫画のようなシチュエーションであればそうとも限らないとは思いますが、そんなことなかなかないのではないでしょうか。
人を嫌うにもカロリーを使うわけですし、縁を切る、という言葉があるように、友人の受け入れられない一面を見てしまったら関わらないようになるのが一般的なのでしょうか?それは部分的に共感できますが、もったいないなとも思います。
少しだけ自分の話をさせてください。
僕はそもそもが人見知りで、小さいときは初対面の人に会っただけでも泣いていましたし、年に一度会うかどうかの親戚にもおびえていました。そんな僕がいろいろ拗らせつつも無事に大学生になっているのだから、大袈裟に誉めてほしいところですがそれはまたの機会に!
それで、僕は友達を作るときにこいつとは仲良くできそうとかできなさそうとかぐちゃぐちゃ考えてしまうわけです。人見知りな人には共感していただけるのではないでしょうか。
そんな予想はたいてい当たらないのに、です。
高校まではこの仲良くできそう、といった予想が立てやすかったのですが、大学からとても難しくなりました。頭の悪い高校だったから、というのもあるのかもしれませんが、大学生はなんというか無気力に感じます。無気力とは少し違いますが、正確になんと表現すればいいのかわからないので、とりあえずは無気力で。具体的には、いわゆる「よっ友」というやつです。特別趣味や話が合うわけでもないのに敵対していないというだけで一緒にいるような関係。帰りたいのに帰れない、ご飯に誘ってもノリが悪い、簡単な課題を見せるよう頼まれる。ひどく退屈です。
そんな友達でもなければ他人でもないような関係が気持ち悪くて、ひそかに離れることがしばしばあるのですが、これもまたもったいないなと思うのです。
もったいないと思う理由は二つとも共通しています。僕が喧嘩したり、離れたりで縁を切った彼らにも別の友達がいて、その中には親友のようなものもいるのでしょう。全く何の魅力もない人にはそれはあり得ません。つまり逆説的に、自分以外にも友達がいる彼らの魅力を、自分は理解できていない。こんなにもったいない、損をしていると感じることはありません。
まとめると、友達百人ほしいです!


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