【本】柴田元幸『翻訳教室』朝日文庫、2013年.

もし、あなたが翻訳家になりたいという夢を抱いているのならば、その夢は一度徹底的に焼き尽くされたほうがいいのかもしれない。また、万が一「英文なんて思いのままに訳せるぜ!」などという意識を持っていたとしたら、実に危険だ。翻訳において大切なのは、ときには躊躇する勇気なのだ。 

本書は柴田元幸(アメリカ文学研究者・翻訳家)が2004年10月から2005年1月にかけて東大文学部で行った授業を文字化したもの。これを読めば、その場に参加したような感覚を味わえるというわけだ。

授業の進め方はこうだ。あらかじめ配布された課題文を学生全員が訳し、提出。それを柴田と数名の大学院生が手分けして添削し、コメントをつけて授業時に返却。学生は添削済みの自分の訳文を手元に置き、授業に臨む。授業中、画面に映されたある学生の訳文に、柴田がその場で赤を入れる。このときに受講生と重ねられた議論の数々が本書の最大の読みどころとなっている。終了時に、学生は次回の課題文の訳を提出する。この一連の流れが一学期間繰り返されるのだ。教える側にとっても教えられる側にとってもかなりきつい実践的な授業といえる。 

課題文の選択の妙は、読者を海外文学の愉悦に誘う効果もある。それらの著者の顔ぶれを眺めるだけでもワクワクする。スチュアート・ダイベック、バリー・ユアグロー、レイモンド・カーヴァー、村上春樹、イタロ・カルヴィーノ、アーネスト・ヘミングウェイ、ローレンス・ウェシュラー、リチャード・ブローティガン、レベッカ・ブラウン。本書を通して彼らの文章の癖や味を知ってしまえば、その作品を今すぐ読みたくなるだろう。

翻訳とは、暗記した単語を吐き出してハイ終わりというタイプの作業ではない。もちろんそれなりの単語力は必要だが、原文の文化的背景を学び、日本語の力を磨くことこそが求められている。受験英語につまずき、失望したあなたの感覚はまっとうであった。できれば、課題文を訳しながら本書をゆっくり読んでみよう。着実に実力がつくのがわかるはずだ。 

たとえば、corduroyという単語の訳し方ひとつとっても、翻訳という営みの奥深さを知ることができる。「コールテン」なのか「コーデュロイ」なのか。こんな一見どうでもいいことにこそ、翻訳の醍醐味があるのだ。こういうとき、柴田は世の流れに合わせることを薦める。「翻訳というのは自分の哲学や趣味を主張する場じゃないからね」(390頁)というのが彼の考えだ。小津安二郎の「なんでもないことは流行に従う。重大なことは道徳に従う。芸術のことは自分に従う」(390頁)という言葉を引き、翻訳という作業では、長いものに巻かれるのが正しい場合がとても多いと説く柴田。この箇所などは大変興味深い。

本書のハイライトは、ゲストとして招かれた村上春樹が翻訳に対する姿勢をおおいに語るところだ。村上が突然教室に現れ、ざわめく学生たち。だが、ここで素晴らしいのは、時間が経つにつれて、彼らが柴田によって鍛えられた遠慮のなさを発揮する点である。翻訳のことや彼の小説のことについて、普段以上に活発な質疑応答が行われるのである。

たとえば、学生の一人が村上の作品に音楽に関わる記述が多いことを指摘し、実際に音楽から受けたインプレッションを作品の中に取り入れることがあるかと質問する。これに対する彼の回答は、意外な方向へと発展していく。ここでさらに明かされる『風の歌を聴け』を最初英文で書いたときのエピソードなどは最高にスリリングだ。熱心なハルキストだけではなく、彼の名前を聞くだけで「やれやれ」と首を振ってしまう向きもこの箇所は必読。村上春樹に対するいっさいの固定観念を排して、この豊かな対話に耳を傾けてほしい。ここには、英語と日本語を往還し、訳文を作り上げる者のよろこびが溢れている。 

本書を通して、読者は「翻訳」の過程を見て学ぶだけではなく、「教室」と呼ばれるものの意味についても考えさせられるだろう。ここには理想的な双方向授業のあり方が示されている。とりたてて変わったことはしない。シンプルにディスカッションを重ねる。教師が一方的に話すのではなく、学生が積極的に参加することが教室づくりの肝なのだ。東大生でもなく、ましてや学生ですらなかった時期に柴田の授業を受けていた翻訳家・岸本佐知子の解説も非常に魅力的だ。どうかお見逃しなく。

翻訳にはたった一つの正解というものがない。だからこそ、やりがいがあって楽しい知的行為なのだ。読むこと、書くこと、話し合うこと。訳文という作品づくりのプロセスから学んだことは、広く他の分野でも応用できるだろう。充実の「翻訳教室」はいつでも読者に開かれている。  

【以上が本文です。投げ銭してくださった方は「追記」を読むことができます。反応を見ながら、どんどん書き足していくかもしれない。あんまり文字数が少ないとアレだからね。満足のいくサービスを目指します。】

【2014年8月27日12:17追記】

というわけで、第1回の書評でした。先の見えぬ私に100円を投資してくださったあなたに感謝します。どうもありがとうございます。いやもうね、人のご恩が身に沁みる今日この頃ですよ……。次なる題材のために皆様の想いを有効活用させていただきます。

世の中にはさまざまな事情により日の目を見なかった原稿というのがあるもので、これもそのひとつ。詳しくは遥か彼方で話すこともあるかもしれないが、要するに、媒体の望むものを書かないと、ボツになるわけです。そりゃそうだ。私はまだまだ甘い。スウィート・エモーション。

ライター養成講座に通ったわけでもない私にとって、目に飛び込むすべての光景が新鮮です。どぎまぎしてしまう。まだうまく説明できないけれど、学者の世界とライター界は薄い膜のようなもので隔てられていると感じます。そこをなんとか行き来して橋を架けたい。けんかをやめて 二人を止めて 私のために 争わないで もうこれ以上。ついでに言えば、イジメ、ダメ、ゼッタイ。

ゆるゆると、自分が編集長になったつもりで志村つくねのnoteを築き上げていきたいと思います。温かい目で見守っていただければ幸いです。


【2014年10月16日17:00追記】

結局この書評には投げ銭がなかった。世の中を甘く見ていた……わけではないが、現実を思い知らされる出来事であった。

時間を置いて読み返してみると、たしかにチップを弾むような内容ではなくて戦慄。要するに、グッとくるものがないんだよなぁ。なりふりかまわず、ありのままに書いたほうが好評を得られることが多い(←自己分析)。自分を大きく見せようとすると、失敗するね。

そもそも、noteを使ってお金をとろうという根性が浅ましかったのだ。今後は、よほどのことがない限り、全記事を無料で読めるようにします。それがいちばん気楽。いろいろレビューしてみます。


日々生きる水を与えてくださる皆様に感謝いたします。頂いたご支援は取材費、交通費などに充て、次なる記事をどんどん生み出していけたらと思います。いよいよです。ええ、いよいよなのです。