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記念日

どうも頭が重たくていけない。さっきから手汗が止まらない。そして、クーラーがきいてるはずなのに暑い。思わずため息をつく。

澄み切った空を汚すように、ある程度まとまった雲が数個、窓から見えた。
風がそよいでいるのだろう、木々が左右に揺れていたが、音は何も聞こえないし、もちろん爽快感が味わえるわけでもない。
聞こえるのは水槽に空気がぶくぶくと入る音だけだ。
そういえば朝は聞こえていた、耳鳴りのような蝉の鳴き声もいつのまにか聞こえなくなった。
連想して、蝉は何のために生きているのだろう、とぼんやりと考えた。

昼ごろから左手の薬指が、ちくちくと針に刺されたように痛い。
ピアノをやろうにも痛むので、今日は途中で切り上げてしまった。

暇になったので、英語の問題集を開いて解いてみるが、長文に入った途端、英語が脳に流れなくなり、これもまた途中で切り上げた。

今日で、初めて自分が書いた文章をネットの海に放り投げて1年だ。


しかし、今日という日、7/24は前述の通り、なんの変哲もない、いや少し体調が悪いくらいの日であった。
記念日、というものはなんら価値のなさないものなのではないか、とふと考える。
もし地球が500日周期で太陽を中心に公転するのならば、記念日は500日ずつの周期でやってくる。
たまたま365日なだけなのだ。

では記念日とはなんなのか。
ぐるぐる考えた結果、記念日はリマインドではないか、という結論に至った。
その日を忘れずに、初心に帰るための。
何も考えずに始めてしまったnoteだが、私の書いた文章をアップロードをした時に湧き出た高揚感は、筆舌しがたいものである。

ただ同時に、この高揚感が、未だに味わうことができるのは嬉しいことなのかな、と思う。
結局思いつきで始まったリマインドのために、なんでもないこの日を書いて、高揚感を得ようとしているのである。




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