【映画】Art&Copy

【内容】
有名な広告クリエイターが、事例を交えながら広告クリエイティブのついて、クリエイターとての覚悟や大切なことを交えて語る。

【感想】
コピーからアート▷コピー×アートとなったが、今の時代はどうなるのか?コンテンツからアプローチした場合はどうなるのか?自分の立場に落とした時に、何を宣言し実行するのか?そのあたりの問いは探りたい。
今強制的に絞り出すと、メディア・コンテンツ×アートにしておこう。メディア・コンテンツがテキストやアート性をすでに帯びているのでもしかするとズレてるかもしれないが。と考えるとメディア・コンテンツ単体を作るのが次の道か。ただ、それを前提に作品(コンテンツ)を作ることは、本当に正しい姿なのか。そもそもコンテンツは作品になり得ないとの感覚も多少なりともある。
自分が制作に関わった広告にクレジットが入っても誇れるような成果物にこだわる必要あり。
タイアップでは相手に委ねることも重要との考えから、結構あずけがちやったけど、相手のクリエイティブをインストールして、自らがCDとしてたち、クリエイティブに責任を負う覚悟が必要。そうなるためには、今以上に表現も幅を広げる必要あり。

結論、今の編集クリエイティブ的から得たクリエイティビティーを、全力で古典的なArt&Copyにぶつけにいくのが良さそう。

【やること】
最終のクリエイティブは自分が責任を持って作る

【思い出しながらメモ】
●DBBのフォルクスワーゲンの広告
●元々クリエイターの地位は低く営業が人気職だった
●リークロウの最初の会社は凄い保守的だった
●ジョージロイスのトミーは今にも通じるPR的要素が強かった。▷当時の時代性から検証しても面白いかも
●クリエイターは不安定という前提で組織を設計
●ランニング文化はナイキが作った▷宣伝費の話してくるやついるけどブランドの意味が全く理解できてない
●ジョージロイスはやっぱりやり切ってる
●広告はアートや文化になる(リークロウ)
●広告は毒ガス(ジョージロイス)
●創造性のない広告はかなり多い
●広告を掲載する人へのリスペクトもあり
●ジョブスとウォズは1984年の広告が「商品でないのどうなん?」と役員から言われて身銭を切る覚悟だった▷これは自分もやろうとしていたので引き続き忘れずに
●生活者の声なき声を、ブランドが代わりに行ってあげる(私らしくみたいな広告作った女性)
●トミーフォルフィガー創業者は広告で宣言したことを実現させるためにボタン一個までこだわった

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