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AIに求められること、人に求められないこと

はじめに断りをいれておくが、このノートは佃の思いつきを書きなぐったメモのッコピペであるため、結論はない。
あと、挿入されている画像も特に意味はない。


人間社会の一般常識として、「人間は間違える生物」である。

しかし、AIとなってくると話は大きく変わってくる。
人間で許されるミスがAIでは許されない。
二つの存在に何が求められているか、何をなすべきがが大きく違うような気がする。
↑まあ、当たり前ではあるが、、、


そもそも、AIを含むテクノロジーと呼ばれているものは人間にできないことを実現するために開発された。
そういう意味では、人間には不可能なことを可能にする存在が不可能を不可能のままにしていることは改善されるべきである。

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開発者側の視点で見ればこれは理にかなっているのだが、User目線で見ると少し話が変わってくる。
Userが常にこのことを意識しているとは思えないからだ。
たとえば、自動運転などがそうだ。
と、思ったけど自動運転の場合、人間にできることをアウトソーシングしているので、先述した「テクノロジーと呼ばれているものは人間にできないことを実現するために開発された」技術ではない。

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人間を一種の部品と見立てると話がSFチックになってくる。
機械達は自分たちの繁栄のために人間に脳の機能(コンピュータとも言える)をアウトソーシングしている。
人間中心主義から離れて、マクロな目線で物事をみるとアウトソーシングとは一方的な関係ではなく、両義的なものなのかもしれない。


話を戻すと、人間が機械側にミスをなくすように要求していることは人間中心主義と言えるかもしてない。
機械側からすれば、人間の知能をアウトソーシングとして獲得しているのに、人間が考えることすらもしたくないと言い出した訳だ。
これは機械も人間の使い方を考え直さなければならない。
ミシェルフーコーのいう管理社会のようにイデオロギーを植え付けるのも一つ手かもしれないが、人間にきづかれてはいけない、もしくは気づいたとしても「まあ、いっか」と思わせるだけの工夫が必要だ。(人間は民意が強い生き物なので、大衆を騙すことができれば大丈夫)
これは、AIを使って人間の行動を解析すれば比較的簡単にいけそうではある。

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中国では現に行われている。
もう一つの手は、人間の利用方法を変えることだ。
機械が人間のようになるために人間にデータセットを組んでもらう、というのはまあよくある話だ。
やはり、人間の、生物の曖昧なことに対する処理能力を利用すべきなのか?
現段階でもDeepLearningをもちいれば曖昧な問題を解決することはできる。
しかし、それは一つの問題に特化した時の話である。
人間のように一つの問題に特化した個体同士がコミュニケーションを行うことで意思決定を行える訳ではない。
人間のうちにあるものを尖らせたものが、これまでに発明されてきたという話なら面白そうであるが、、、。

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