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つくコレとアニメで出てくる強キャラとポピュリズム

はじめに断りをいれておくが、このノートは佃の思いつきを書きなぐったメモのッコピペであるため、結論はない。
あと、挿入されている画像も特に意味はない。(自分的には理にかなって入れている)

以下は、一ヶ月前(2019/09/19)に書いた文である。

最近、つくばコレクションが炎上している。ミスターNo3の畑直行さんが信号無視を含む動画をアップしたことに端を発している。正直、コレが炎上することも批判する人がいることも理解し難く、驚くことこの上なかった。ガンダムZに出てくるシロッコに言わせれば、「これでは、人に品性を求めるなど絶望的だな。」という感じだ。自分も炎上していること自体に関心はなく、ただ単純にこの構図が昭和のガンダムによく見られ、最近のガンダムには見られないことと関連性があるように感じ筆を握っている。

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さて、前置きはこの辺にして本題に入って行く。自分が関心あることは「シロッコのようなわかりやすい強キャラが現代のアニメーションに登場しうるのか?」ということだ。
パプテマスシロッコとは機動戦士ガンダムZに出てくるキャラクターだ。
名言としては、

「常に世の中を動かしてきたのは一握りの天才だ!!」
「戦後の地球を支配するのは女だと思っている」
「私の使命は重力に魂を引かれた人々を解放することだと思っている」
「世界の都合というものを洞察できない男は排除すべきだ!」


など、がある。
自分をて天才だと信じて疑わないエリートだ。
SNSの発達によって大衆の声が力を持っている。そんな時代にこのような分かりやすいキャラクターは登場しにくいように感じる。アニメに出てくるキャラクターは本当の意味で人格を持たないからだ。現実世界では、ホリエモンのような強キャラはいるが彼には人格があり一定の信者のような人たちもいる。しかし、アニメのキャラクターには人格がなく、自己発信は」できない。萌えキャラを嫁といって神格化する人々もいるが(各言う自分もその一人)、それとは根本的に違うだろう。このような現実世界に味方がいないキャラクターという存在をどのように強キャラにすれば良いのだろうか?

とまあ、このようなことを一ヶ月前は考えていたわけであるが、最近公開された映画『JOKER』と『ダークナイト』を見て考えが変わった。

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単純に時代背景の問題のような気がする。2011年までは「人間はまだ戦える!」とおもわれていたが、震災によって人間は無力と言うことを思い知る。そして、ブレグジットとトランプで人間に崇高な思想など似合わないのではないか?という絶望感が広がる。この辺の出来事は人間の考えを大きく変えたのではないか?
人類からニュータイプは出てこないのではないか?
みたいな当たり前の議論になってしまい、恥ずかしい。

Jokerはいわゆる強キャラであるが、愛されている。
単に作品の完成度なのか?日本のアニメ事情の話なのか?
またもや、結論が出ない議論を長々としていしまった。
強キャラがたたかれるのも、出る杭は打たれるみたいな昔からある話なのかもしれないが、何か引っかかることがる気もする。

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