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源頼光と頼光四天王が出てくる資料

明治以前に書かれたものに限定しています。
書名と出てくる人物名です。

『御堂関白記』
源頼光、下毛野公時
下毛野公時というのは坂田金時のモデル説のある人です。

『今昔物語集』1120年以降? 源頼光、卜部季武、平貞道、坂田金時
巻第二十五 第六「東宮大進源頼光朝臣、狐を射る語」源頼光
      第十「頼信の言に依りて、平貞道、人の頭を切る語」平貞道
巻第二十七 第四十三「頼光の郎等、平季武、産女に値う語」平季武
巻第二十八 第二「頼光の郎等ども、紫野に物見たる語」平貞道、平季武、坂田公時
巻第二十九 第十九「袴垂、関山にして虚死して人を殺す語」平貞道

『古事談』1212年頃?
下毛野公時

『源平盛衰記』1240年より前?
源頼光、渡辺綱、卜部季武、平貞光、坂田金時

『古今著聞集』1254年頃?
源頼光、渡辺綱、卜部季武、平貞光、坂田金時

『御伽草紙』1330年以降(現在出版されているものは江戸時代に書かれたものです)
源頼光、渡辺綱、卜部季武、平貞光、坂田金時

『土蜘蛛草紙』現存している最古のものが14世紀
源頼光、渡辺綱

『酒呑童子草紙』15世紀頃
源頼光、渡辺綱、碓井貞光、卜部季武、坂田金時

『前太平記』江戸時代
源頼光

『拾遺和歌集』
源頼光

『後拾遺和歌集』
源頼光

『金葉和歌集』
源頼光

『善知安方忠義伝(うとうやすかたちゅうぎでん)江戸時代

『拾遺和歌集』、『後拾遺和歌集』、『金葉和歌集』は源頼光の歌が載っています。
あと頼光の歌ではありませんが、頼光の家で藤原長能が詠んだ和歌が『後拾遺和歌集』に載っています。
『赤染衛門集』は源頼光の名前が1度出てくるだけです。
ウィキペディアに赤染衛門が頼光のことを詠んだ和歌を残していると書いてありますが、『赤染衛門集』に載っている和歌のことなら「頼光の邸の壁に和歌を書いた」と書いてあるだけで頼光を呼んだ和歌ではありません(旅の途中で雨に濡れたという愚痴です)。

神社の伝承などは調べていません。
出版されていて入手可能なもののみです。
そのため『平家物語』は入れていません(現在出版されている『平家物語』の「剣之巻」は頼光と頼光四天王の部分が入っていないので)。
山東京伝の『善知安方忠義伝』は創作なので入れるか迷いましたが一応入れておきます。

その他

頼光四天王

実在の人物だった源頼光と、金時のモデル説のある下毛野公時以外は生きている時の資料には名前が出てきません(前述のように神社などの伝承は分かりませんが)。
そして『源平盛衰記』より前は綱が出てきません。
『今昔物語集』も解説には頼光四天王と言う言葉が出てくるものの、本文中には四天王という言葉は出ていません。
『源平盛衰記』から綱や四天王という名前が出てくるようになります。

源経基(頼光の祖父)から始まる歌人の家系

頼光の祖父・源経基が勅撰集に2首、満仲が1首、頼光が3首で以後世代を経るにつれ入集される歌が増えていって頼政が59首。
ただ武士で一番多いのは頼光の弟・頼信の子孫、頼朝の息子の実朝で92首(頼朝も1首入集しています)。

頼光の歌が入っている勅撰集は以下の3つです。
『拾遺和歌集』(1005年~1007年頃)は調べても誰宛だったか分かりませんでした。
『後拾遺和歌集』(1086年)は頼光の次男・頼家の母親へ贈った歌。
『金葉集』(1124年)は相模母との連句。
相模母と言う名前からも分かるように娘の相模が有名な歌人なので慶滋保章女ではなく相模母と書かれているようです。
相模母の従姉妹・保憲女も『賀茂保憲女集』という歌集も出ている歌人。
なので賀茂家も陰陽師と言うだけではなく、割と優秀な歌人の家系でもあります。
相模は頼光の養女とされていますが、父親が不明なので本当は頼光なのかも?

源満仲-頼光-(略)-頼政(59首)
   |
    L頼信-頼義-義家-頼朝ー頼家
                  ∟実朝(92首)

頼光、相模母、晴明との関係は ⇩ こんな感じです。

賀茂忠行ー保憲ー保憲女
 |  |
 |   ∟慶滋保章ー相模母ー相模
 |         |
 |        源頼光
弟子・安倍晴明

様々な『羅生門』と『御伽草紙』

『羅生門』というタイトルの作品は複数出ていて色々紛らわしいのですが。

謡曲(能楽)の『羅生門』
あらすじは頼光四天王が度胸試しで一人ずつ羅生門へ行った所、綱が行ったとき鬼が出たというものです。
この鬼がただの鬼の場合は『平家物語』「剣」に出てくる話と同じで舞台が羅生門になっているだけです。
茨木童子の場合は大江山での仕返しに来た事になってて綱が一人で退治する話になるらしいです。

芥川龍之介『羅生門』
これは頼光四天王とは関係のない話です。
そして芥川龍之介の小説を映画化した『羅生門』は小説『羅生門』を映画化したのではなく、『藪の中』という作品を『羅生門』というタイトルで映画化されてます(どっちにしろ頼光四天王は関係ないです)。

そして、謡曲の影響なのか江戸時代に出版された渋川版『御伽草紙』は茨木童子が綱に腕を切られた事になっていますが、『酒呑童子草紙』では茨木童子が腕を切られたとは言っていません。

おまけ

『ガイドブック 新宿区の文化財 伝説・伝承』

渡辺綱が大蜘蛛退治をした話が載っています。
蜘蛛の井というところは前はバス停であったはずなので昔から伝わっていた話です。

神社などの伝承は分からないと書きましたが、新宿は地元なのでこれだけは見付けました。

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