M先生

小学二年生のときの担任のM先生は、若い女性だった。
すらりと背が高く、ほっそりとしていて、卵型のきれいな輪郭で、眉のカーブが優しく、目は涼しげでいかにも理知的だった。
声にはあたたかさと丸みがあり、口調も穏やかだったと記憶している。

M先生は、宿題として日記を書くように言っていた。
本を読むことと文章を書くことが好きだった私は、いつも楽しんでその宿題に取り組んだ。

あるとき、学級だよりに、私の書いた日記の文章が載った。
M先生が選んでくれたもので、「もちださんは、いつもたくさんの本を読んでいます。だから、こんな詩人のような文章を書けるのですね」と、整った文字でコメントが添えられていた。
私は胸がどきどきした。
きっとその日、うれしくて飛んで帰り、帰宅してすぐ母に見せたのだろう。
その学級だよりは、今でも実家に保管されている。

紹介されたのは、当時住んでいた集合住宅のベランダから見えた夜景のことと、拾って持ち帰ったどんぐりのこと、という他愛のない二つの日記だった。
黄色い表紙の、大きなマス目の並ぶノートに、筆圧の強い汚い文字で書いた。
詩人のよう、という言葉がうれしかった。

また、M先生はクラスの子どもたちに、「お互いの苗字を呼び捨てにするのはやめましょう。苗字というのは、その人の家族や、ご先祖みんなのものです。呼び捨ては、その全員を呼び捨てにするようなことです」と教えていた。
それは、呼び名という単なる形式の話だけではなく、人への接し方の話だったのだろうな、と思う。
いまの私はきっとあのときのM先生よりいくつも年を取っているが、あんな風に子どもたちに丁寧に真摯に接することは、とてもできない(もちろん、そもそも人には適性というものがあるわけで、私は教職に就こう、向いている、と考えたことは一度もないけれど)。

学年の終わりには、先生とツーショットで撮影した写真を、布張りの手作りの写真立てに入れて、クラスの全員にプレゼントしてくださった。
赤いギンガムチェックの布地だった。
写真を撮るとき、先生は私の肩に両手をそっとのせた。
M先生は、素敵な先生だった。

三年生からは、違う小学校へ転校になった。
もともと父が転勤のある仕事で、小学二年生の私は、すでに引っ越しを三度経験していた。
それまでと違ったのは、今回は転勤ではなく、親が戸建て住宅を購入したことに伴う引っ越しだ、ということ。
「二、三年経ったら、そこを去る」というのが、私にとっては当たり前のことだった。
去ることを悲しんだ記憶もないし、新しい町にわくわくした記憶も、特にない。

M先生にはその後、一度だけ、引っ越した先の町のスーパーの前でばったり会った。
世間はせまいとは言うが、声をかけられて驚いた。
引っ越したすぐ後でもなかったし、M先生もたまたま用事があって立ち寄っただけ、と話していたと、思う。

文章を書くことを、好きになれた理由は、いろんな人が褒めてくれたから。
その中でも、M先生に褒めてもらったことは、私の中で思い出深い。

いまでも、私は書くことが好きです。

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