あのとき、本当は何を考えていたんだろう

私には姉がひとりいて、姉とは誕生月が同じだ。
子どもの頃は毎年のように、誕生月の頃に、遊園地に連れて行ってもらった。それが、誕生日プレゼント。
わざわざ車とフェリーを使って、暮らしていたのと違う県にある、遊園地へ。
園内のレストランは高いしおいしくないからと、すぐ近くのお弁当屋さんで安っぽい容器に入ったお弁当を買ってから入園するのが定番だった。カラフルなプラスチックの容器に、海苔で巻いたおにぎりが二つ入ったお弁当。
そのお弁当すら、楽しい一日を象徴するようで、普段は嫌いで食べなかった梅干しのおにぎりも我慢できた。
帰る頃はいつも夜で、ちょうど仲秋の名月の時期だから、たいてい月がまあるく明るく輝いていた。
遊び、歩き、笑い疲れて、車の後部座席の窓ガラスに額をくっつけたまま、その月を眺めた。

両親は今でも仲が悪いわけではなく、父の定年後はしばしばふたりで旅行をしている。
けれど、私や姉が子どもの頃は、よく静かな夫婦喧嘩を繰り広げていた。
姉はそれを、「冷戦」と呼んだ。
片方が不機嫌さをあらわにし、でも理由は話そうとせず、それを見てもう片方も不機嫌になる。でも、ぶつかり合おうとはしない。
静かに怒り、静かに波は引いて、いつのまにかまた元に戻っていく。
なぜ、言いたいことを言い合わないのだろう、と子ども心に不思議だった。

私は今、自分の新しい家庭を築いている。
新しい家族。自分の、家族。
夫との喧嘩は、「冷戦」ではない喧嘩だ。
話したいことをできるだけ伝える。夫も、きちんと話し合って解決したいと思っている人だ。

私が子どもを産んだあと、母が少しだけ昔の愚痴を言うのを聞いた。昔、父から言われた言葉について。
私の知らなかった、父と母の関係性が垣間見えた。母は、父の言った言葉がずっと胸の内でわだかまっているらしい。
だから、不満があっても素直に話せなくなったんだなあ、と、あの頃の「冷戦」の理由がわかった気がした。

あのとき、本当は何を考えていたんだろう、父も、母も。
家族として楽しい思い出をたくさん作りながら、一方では、この暮らしを続けていくことに葛藤し、悩みながら、今日まで夫婦を続けてきたのかもしれない。
と、大人になった私は、やっと想像する。

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