言葉と歌声

私は日本語しか喋れないし書けない。
学生時代に英語の成績は特に悪くはなかったが、好きなのは辞書片手に和訳する作業で、結局好きなのは日本語だった。
高校1年生の頃に英語の担当教師が若い情熱的な女性の先生で、授業で出された課題『imagine』の歌詞を訳す、の出来栄えをすごく褒めてくださったのを覚えている。自分の能力の範囲内で最大限に素敵な和訳にしたい、と頭をひねったのでうれしかった。
たとえば英語が喋れたり、書けたり、もっときちんと読めたりしたらいいのになあと思う。
近場の英会話教室を検索してみるこの頃である。

子どもは3歳7か月。
まだまだ日本語を身につけている最中で、たとえば朝の準備を盛り上げるために「お着替え競争しよう」と言うと楽しげに服を着替えて、自分の勝ちだ!と確信した瞬間に「◯◯ちゃん、負けちゃった!」と言ってしまう。いや、勝ちだよ。
「お母さんを◯◯ちゃんが抱っこするの」とか。いや、私が抱っこする側であなたは抱っこされる側だよ。
こういった、逆になっちゃってるパターンの言い間違いが現在は一番多いと思う。

そんな子どもだが、やはりぐんぐん成長しているのである。
最近気づいたのは、自分なりの言葉を使うようになったなあ、ということだ。
以前は、「このシチュエーションではお母さんは『座って食べようね』と言ってたな」と覚えていて、「座って食べようね〜」とそのまま言ってみたり、「座って食べないっ!」とブチギレたりするパターンがほとんどだったと思う。
でも、だんだん自分なりのアレンジをきかせるようになってきた。

私が「あーお腹痛い…」と言ってると「お母さん、お腹痛いの? あったかいシート(愛用している、おなかに貼って温めるための発熱するシート)持ってこようか? ◯◯ちゃん、お母さんによしよししてあげるの…」とか言い出す。看護しようとしてる…。その心遣いもうれしい…。

それから先日、ふたりで出かけて買い物をして荷物が多い中、住んでいるマンションに着くと、子どもが自分の上着も放り出し、自転車用ヘルメットも子どもの希望で買ったものの袋も持たない上で「エレベーターじゃなくて階段がいい!」と言った。
私は「えー! 嫌だよお、だって◯◯ちゃん荷物多いのに1つも持ってくれないじゃん!」と大人気なく不満を言った。
それを覚えていて、それから数日後にまた自転車で出かけて帰り着いたとき、子どもは言った。
「◯◯ちゃん、荷物1つも持ってくれないのに、それでも階段で行きたいの…」。
私の不満ポイントをちゃんと押さえた上で、希望を伝えてきてるなあ、と驚いたし、さすがに少し笑ってしまった。まあ、荷物は少しだけでいいから持ってほしいところだ。もちろん軽いものでいいから…。

子どもの首が座ったり、寝返りしたり、立ったり歩いたり、それらの成長には、もちろん大きな驚きを感じさせられる。背もめちゃくちゃ伸びて、抱っこするたび「重い! 大きい!」と思う。
でも私が子育てをやってみて、いま一番興味深いなあと感じるのは、子どもの言語の習得だ。
別に専門家ではないので何を言えるわけでもないが、子どもが語彙を増やしたり、自分なりに使ってみたりしていることがおもしろいなぁと思う。
「すごいね、そんな言葉を知ってるの!」と驚いて伝えると、子どもは、ちょっとはにかんで、でもうれしそうに笑う。
絵本がめちゃくちゃ好きで、まだいくつかのひらがなの形と音を覚えたくらいなので絵本のページの字は読めないのだけど、読んでるかのように暗記してスラスラ言っている。
私も言葉が大好きで、ことわざを覚えたり、漢字を覚えたりするのも好きな子どもだったので、「これは私に似たのかな」などと考えると、うれしくなる。

ちなみに話が脱線するが、ほかに子どもの得意なことは音を聞き取ることで、どうやら耳がいい(これは夫に似たようだ)。
いわゆる音感というのか、一度聴いたメロディーをすぐに口ずさんだりするし、保育園の出し物で違う学年の子がやっていた劇の歌を覚えて上手に歌っていた、音程もなかなかよい。
私は、基本的に3歳くらいの子どもの歌って音が外れてると思い込んでいたので、これには衝撃を受けた。ちゃんと歌える子もいるものなんだなぁ、と。

自分の方を見てほしいときに「お母さん、◯◯ちゃんのお顔を見て?」と言う、その優しい言葉の選び方も、ちょっと大丈夫かしらと思うほど入り込んで好きな歌を歌い上げる声も、大好きだ。
この先の成長もとても楽しみ。

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