空気も風も、人の心も

「空気を読む」という言葉が広まり、多くの人が使うようになった頃は、たしかまだ制服を着ていた。
流行りの言葉となったらしく、あっというまに周囲で「空気読めよー」「あいつは空気が読めないから」という台詞が聞かれるようになった。

「空気読めよ」と、目の前の他人に対してなんの考えもなく陽気に吐き出せる人の、「空気の読めなさ」が、気になる。
気になるというより腹立たしくて、信用ならなくて、嫌悪する。とても。

「空気を読む」という言葉は、場の雰囲気を白けさせないとか、面白おかしい状況に水を差さないとかいう意味合いで使われているようだ。
みんなが笑っている中で「それは正しくない」と怒るような行為は、つまり、「空気が読めない」。

私は、「空気が読めない」タイプなのだろうと思う。
言わなくていいことを言ってしまい、すごく後悔したことも、少なくないし。
初対面の人との、あたりさわりのない世間話も、苦手だし。
年齢的な話でいえば、いい大人。
でも、大人らしく、ソツなくその場の役割をこなすような人に、なれている気がしない。

空気を読める人間には、どうやら自分は今後もなれそうにもない、という自覚はある。
けれど、世間ではうまくやれなくても夫とは気が合うし、わが子ともくだらないことでニコニコ笑い合えるし、大好きな友人もいるので、まあいいか、このままいくしかないな、と思う。

それでも、うまく立ち回れたら、それに越したことはないだろう。
まわりから「大人らしく」、「空気を読む」ことを求められている気がしてしまって、気分が落ち込むときも多々ある。
「空気なんか読まない、読む必要などない」と言い切れるような、強い自分を持っていない。

でもさ、でも…
読めなくないか。
空気なんて。
あるいは、風だとか、人の心を読む、という意味にも置き換えてみるけれど。

「空気読めよ」と言ってる人が、その一言で場の雰囲気を壊しているのを何度も見たから、やっぱり、信じられない。
本当に「空気を読めている」人なんか、いるのか。
空気を読めているつもり、の人は、まわりが空気をその人に擦り合わせてくれてることに、気づいていないだけなのでは。

嫌い、という言葉は強いから、使うのを避けがちだけど。
「空気を読む」「空気読めよ」という言葉は、嫌い。

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