想像してごらん

私が操れる言語は今のところ日本語だけである。
英語、という科目の成績が悪かったということはないけれど、文法も単語も本当にまったく記憶に残っていない。
きれいさっぱり忘れている。
日本における英語教育の敗北、を体現しているかのよう(もちろん、能力や興味や努力の不足であることは理解しています)。

そんな私だけれど、高校1年生のときにビートルズの『imagine』を訳してきなさい、という課題が出されたときは、本当に悩み、辞書を引き引き、頑張って訳したものだった。
そして担当の英語教師(情熱と希望溢れる、新卒の可愛らしい女性の先生だった)にとても褒めてもらった。

でも、そこで私が気づいたことは、
「結局、私が好きなのって、日本語なんだなあ」
ということだった。

小学生の頃から、いちばん好きで、いちばん得意だった科目が、国語だった。
作文を書けば学年代表として全校生徒の前で読まされ、読書感想文はいつも高評価で、学校代表として何かのコンクールに出品された覚えがある。
そして、そのまま成長した私は、文章を書くことを勉強できる大学に進学した。

大学では、お題に沿って1コマの授業時間内で短編小説を書いたり、詩のゼミに入って批評しあったりした。
研究はあまり好きじゃないけれど、書くのは、苦にならなかった。
もちろん、いつでもスラスラ書けるような才能があったわけでは、ないけれど。

小学生から高校生までは「学年で1、2を争うくらい国語が得意で、文章書くのが特別うまい子」だっだと思うが、「文章を書くことを勉強できる大学」なんぞに入れば、そんな人だらけだった。
自分はそれほど特別ではない、と知った瞬間でもあったし、それでもなお、「自分の書くものをこそ、私は好き」とはっきり思えた期間でもあった。

そして卒業後は、IT企業でウェブやメールマガジンの編集職をやった。
結局、書くこと以外に「私はこれが得意なんです」と人様に言えそうなことが、なかった。
やはり、会社には文章を書くのが当たり前に上手な人ばかりいたけれど、同期のひとりが「もちださんの文章って、リズムがいいよね、読みやすい。声に出して読んでもいいような」と言ってくれて、そこが私の持ち味なんだなあ、と思うことができた。
仕事はまるでできなくて、劣等感や申し訳なさにまみれながら残業しまくる毎日を送って、ただでさえ低い自己肯定感はさらに地面にめり込むほど低くなった。

世界中がリーマンショックで騒いで、しばらく経ったら、会社も経営が悪化した。
なんやかんやで会社を辞めることになった。
忙しくなる時期に在籍している状態になるのが心から嫌だったので、次の仕事も決まらないのに、さっさと退職してしまった。こういうところは、ちゃらんぽらんなのである。

「もう編集の仕事だけはしたくない」
そう思っていた。
転職活動は、事務職を希望して進めてみたが、たいした志望動機もなく、うすっぺらな受け答えしかできないので当然のように決まらず、半年くらい無職だった。
そこから、さすがに働かなければと、時給の安い事務職の派遣を見つけて、仕事を始めた。
べつに事務のスキルがめちゃくちゃ上がるようなところではなく、若い女の子はそれなりに可愛がられ、給料は本当に安く、やる気のない社員の話し相手をして愛想笑いしながら過ごすような職場だった。
それでも、自分なりにあれやこれやと考えて行動していたら、見てくれている人はいるもので、契約社員にならないかという話をいただいて、派遣期間が終了してからも働くことになった。
3年間働いた。総務課と経理課で。
ひたすら電話を取り、役員のお茶を入れ、社員のお使いで銀行へ出向き、面倒なおばさん社員にマウンティングされて若干精神的にまいりながらも働いた。
最初の会社には奇跡的なくらい嫌な奴がいなかったので、「世の中ってこんなに嫌な奴がいるんだな」と知ったのも、この職場だった。

そして、契約社員としての契約期間満了のタイミングで、また転職活動をした。
その結果働き始めたのが、いまも働いている会社である。
信じられないことだけど、また編集職についてしまっている。
転職活動中に、とある派遣会社にも登録をした。
「女性向けに、紹介予定派遣をすすめる」という会社で、担当のアドバイザーみたいな人がかなり丁寧に話を聞いてくれて、好感の持てる派遣会社だった。
「私は人に恵まれていて…」と話したら、「そんな風に思えるのは素晴らしいです」と感動して泣いてくれたので、びっくりした(でも実際、本当に、のほほーんと生きてる割に周りのおかげでなんとかなる率が高い人生なので…)。

そのアドバイザーの方に言われたのだ。
「せっかく文章を書けるのだから、もう一度、編集をやってみたらどうですか? あなたの強みはそこだと思うんです」と。
そ、そうなのかなあ…編集かぁ…と迷ったけれど、そのアドバイスに則り、編集にも目を向けて転職活動をするようになった。
その結果、おもしろそうだなと思える会社に出会って、とんとん拍子に選考は進んでいった。
「ここで働く気がするなぁ」と思った会社から、内定が出た。

親身になってくれたアドバイザーの方に、「実は正社員の仕事が決まったので、ご紹介いただく話は、申し訳ないけどなしになってしまいます」と報告に行った。
「編集をやってはどうか、と勧めてくださったおかげです」と言ったら、また涙ぐんで喜んでくださった。
その方の会社にはなんの得もないのに、ありがたいことだ…。

結局、ずっと、文章を書いて生きてる。
勉強は得意ではなかったけれど、文章を書くことだけは好きだった。

また少し、生き方に迷うことも増えてきたけれど。
でも、やっぱり、文章を書くところに行き着くような気がする。
仕事じゃなくても、何か書くんだろうなと思う。
好きだから、というだけで。

こんな今を、想像していなかったよね。
子どもの頃も、大学生の頃も、最初の編集職を辞めた頃も。

不思議なものです。

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